カタール航空で行く!
エーゲ海の宝石ミコノス島、サントリーニ島と
ギリシャ周遊 10日間


JTB旅物語
出国日 2013年5月16日(木)
帰国日 2013年5月25日(土)





古代世界史のリーダ役である憧れのギリシャと、澄み切ったブルーのエーゲ海を一度は体験したいと思っていました。ギリシャのツアーはミニクルーズ付が多いのですが、今回のツアーは、サントリーニ島、ミコノス島への本格的なクルーズが味わえるゆったりした行程でしたので、参加しました。

全日、晴天に恵まれ、全く雨に合わずに快適?少々暑いという感じでした。
日陰は涼しいのですが、直射日光はさすが地中海性気候の日差しで、顔に日焼け止めを塗りましたが、結構顔が黒くなりました。

今回の参加者は15名で、大型バスに贅沢なほどゆったりで、移動が大変快適でした。夫婦が3組、女性連れが3組、男性連れが1組、女性一人参加という少人数でしたので、全員すぐに和気あいあい仲良くなり、楽しい旅ができました。

添乗員は森田さん。美人で、終始素晴らしいアテンドをして頂き感謝します。

ギリシャはEUに参加していますが、財政破たんが取りだたされ、政情不安が一時騒がれましたが、行って見て、全くそういう不安のある場所はありませんでした。
観光地、リゾート地として素晴らしい場所だと改めて感じました。

行き帰りは、ANA共同運航のカタール航空で、ドーハ空港経由でした。この航路は初めてでした。関空からドーハまで約11時間、ドーハからアテネまで約5時間、乗り継ぎに2時間余りで、トータル18時間ほどかかります。ヨーロッパは北回りなら、もう少し短時間で行けるので、体力的には北回りが楽です。

カタール航空の機材は、日本⇔ドーハはエアバスA330、ドーハ⇔アテネはエアバスA320で、機体は新しく安心でした。機内食やその他のサービスに全く問題はありません。なかなかいいですよ。

旅行の行程
(主な旅行日程は当初予定どおり)
ミコノス島⇒アテネ航路がジェット船から大型フェリーに変更

 日程  行程  内容  移動  宿泊地
5月16日
5月17日
関西空港(23:55)⇒ドーハ(5:35)
ドーハ(7:50)⇒アテネ(12:50)
アテネ市内;ミニ観光
アテネ⇒デルフィ(180km/3時間)
往路:移動
デルフィ観光
世界遺産デルフィ遺跡
円形神殿(トロス)
空路
バス
航空機内
デルフィ
5月18日 デルフィ⇒カランバカ (210Km/4時間) アテネの聖域(アルマリア)
デルフィ博物館見学
バス  カランバカ 
5月19日 カランバカ⇒メテオラ(5km/20分) 
メテオラ⇒アテネ(350km/6時間)
アテネ⇒サントリーニ島(30分)
世界遺産メテオラ修道院
メガロメテオロン修道院見学 
バス
空路
サントリーニ島 
5月20日 サントリーニ島 サントリーニ島観光 
イアの街、レッドビーチ
イメロヴィグリ観光
イアのサンセット&ディナー
バス
徒歩 
サントリーニ島
5月21日 サントリーニ島⇒ミコノス島
(100km/2時間半)
ミコノス島自由散策  ジェット船
徒歩
ミコノス島 
5月22日  ミコノス島⇒デロス島(30分)
デロス⇒ミコノス島(30分) 
世界遺産デロス島遺跡観光
アポロンの聖域
ライオンのテラス など
クルーズ船
島内;徒歩
ミコノス島 
5月23日  ミコノス島⇒アテネ(150km/5時間)  午前中;ミコノス島散策
午後;移動
フェリー  アテネ 
5月24日  アテネ市内観光;午前中
アテネ(18:45)⇒ドーハ(23:15)
世界遺産 アクロポリスの丘
パルテノン神殿
新アクロポリス博物館
ゼウスの神殿 

古代アゴラ、博物館
アドリアノスの図書館
午後;帰路 航空機内
5月25日 ドーハ(1:40)⇒関西空港(17:25)  帰路:移動 空路 航空機内 

旅のアルバム

5月16日深夜出国、5月17日昼過ぎ、アテネ着 
 夜明けのドーハ空港に到着

関西空港を夜11時50分に出発、ドーハまで約12時間の飛行時間。
現地時刻は朝5時30分。時差は6時間。

沢山のカタール航空機が並んでいた。
ドーハ空港は広大な敷地で、乗換にはバスで15分もかかり、乗り継ぎビルに移動しなければならない。
そこで、セキュリティを受け、乗り継ぎゲートを通過して、さらにバスでアテネ行きの飛行機まで約15分かかって移動し、搭乗する。
早朝にもかかわらず、空港はたくさんの乗客で
賑わっている。
この空港は、カタール航空のハブ空港の役割を果たしている。 
中東地域は水が貴重品。
ドーハ空港の乗り継ぎビル内の売店で、何と750mlペットボトルのミネラル水が4.14ドル(US$)もする。 
ドーハ空港発 7時50分、QR4721便でアテネに向う。

前と後のタラップから搭乗する。
ツアー客は後部座席が多いので、後ろのドアからの搭乗になる。
天気は晴れ。飛行日和だ!

飛行時間は約5時間。
アテネ着は12時50分。時差はない。
エーゲ海上空を飛行し、もうすぐアテネに着く。
やっと来たか! 
いよいよギリシャ!
アテネ空港の上空で着陸態勢に入り、フラップが出ている。

天気は晴れ。
12時45分ごろ。
アテネ空港から、バスでアテネ市内に向かう
アテネ市内に着いた。
近代オリンピックスタジアム見学

第一回近代オリンピック会場となった
パナティナイコスタジアム
野口みずきさんが女子マラソンで優勝したところ。
広大なスタジアム。

古代スタジアムの建設はBC329年から始まった。
   
 アテネ市内のミニ観光を終えて、デルフィに向かう途中の景色
約180km/3時間 
海外旅行でいつも気になることの一つは、その国の工業力である。
工業力の判断の目安は送電線の張り方を見れば大体想像がつく。
ギリシャは超高圧送電線は6万ボルトから10万ボルト程度であった。
しかも3相1回線が目立つので、まだまだ工業の発展段階と言える 
バスの車窓から
広大な畑が広がり、この国もヨーロッパの国と同様な感じを受ける。
畑の休耕地? には太陽光発電設備が所々に設置されて、高圧電線に給電されている。
風力発電の風車は見なかった。 
 地中海性気候で、乾燥地帯なので、雨は少ない。
オリーブ畑が広がり、良質のブドウが実る。
野菜などを育てるには、冠水が必要である。
大きなスプリンクラーで冠水していた
デルフィの、ミニ観光
明日の予定を一部前倒し、円形神殿を見学
トロスの円形神殿跡
 
大理石の柱が3本復元されている。
白い部分は修復された部分。
 現地ガイドのジョージアさん
日本語を話すガイド

向こうに見える木はオリーブの木々。
この周辺一帯はオリーブ畑が多い。
円形神殿はこういう建物だったという復元図。
古代遺跡がそのまま残っていれば素晴らしいのだが、無残に破壊されている。 
   角度を変えて、反対側からの眺め。
大理石で埋め尽くされている。
修復された3本の柱が目立つ。。

この後、デルフィ市内のホテル『HERMES』に宿泊。
今日は長い一日であった。
5月18日(土) 
朝食後、ホテルのレストランのベランダからの
素晴らしい眺望。
少しガスがかかっているが、中央部に
コリンティアコス湾
がうっすらと見える。
下の谷間に広がる緑は一面のオリーブ畑。
デルフィ観光
世界遺産、アポロンの神託で有名なデルフィ遺跡と、博物館観光。
デルフィー遺跡の全体図 
 現地ガイド(ジョージア)の説明を聞く

手にするのは、アポロンの神殿付近の建物の
説明図

その後、徒歩で遺跡を見学
途中の石組みに、古代ギリシャ文字が 刻まれている。
この解読により、ここにアポロンの神殿があり、神託や儀式などが行われていたことが分かった。
アポロンの神殿へと続く聖道には、世界のへそ
(中心)を示す『オンファロス』(これはレプリカ)で本物は博物館に展示)がある。 
さらに進むと、宝物庫が修復されている。
白い部分は修復時に埋めた大理石、色の濃い
部分は当時の大理石。 
 いよいよ、アポロンの神殿
巨大な大理石の柱が建っているが、建物は破壊されている。
当時の姿はこういう立派な神殿であったという
復元図。
今残っていれば、息をのむかもしれない。 
その神殿跡の全体の姿。

右手の方に、地下室があり、そこで巫女が神託を授けたらしい。地下室にはもうろうとなるガスが立ち込めて、巫女が神がかり状態になり、奇声を発し、それを神官が聞き取り、翻訳したとされる。

日本にも、昔、各地に『拝み屋さん』という女性が居た。
彼女らはお経らしい呪文を唱えて、神がかりになった。
何か共通点を感じる。 
アポロンの神殿を通過して、さらに登ると、円形の劇場跡がよく見える。 
さらに、登って行くと、競技場に着く。ここは荒れ
果てた状態で放置されている。当時は、アポロ神に捧げるピュティア祭りがおこなわれていた場所。

ギリシャ人は、『健康な肉体に健全な精神が宿る』という考え方を強く持っていたので、体を鍛える競技場は各遺跡に残っている。
広さは長方形で、長さは200mはありそうだ。 
デルフィ博物館の見学 
デルフィ遺跡から徒歩で数分の所に博物館がある。
博物館の入り口。 
 館内に入ると、デルフィ遺跡の姿を復元した図が掲げられている。
その全貌を見ると、いろんな設備に圧倒される。中心の大きな建屋がアポロンの神殿である。
館内に展示されたギリシャのスフィンクス。
 
    女性像と男性像
上のスフィンクスもこの像も、唇の両端が少し上がったいわゆる『アルカイックスマイル』という表現になっている。

古都、奈良の仏像もこのギリシャの影響を受けたと思われるスマイル顔の仏たちが祀られている。
  ツタンカーメン王のマスクのような像。
 大きさは1mぐらいだったと思う。少し金色だったが、これは黄金の像ではない。
   黄金の出土品
  馭者(ぎょしゃ)の像
馬車を操っている若い馭者。
非常にリアルな表現で有名。


鋭い目つきに圧倒される。
また、まつ毛や、足の爪や血管に至るまで、
細かく表現された立像。
 
今日の主な観光予定はこれで終了。この後、レストランで昼食。
昼食後、カランバカへバスで移動(約210km/4時間) 
5月19日(日)
 朝、ホテルを出発し、数kmの近くに、世界遺産メテオラ がある。今回のツアーの
メインイベントの一つ。
メテオラはギリシャ北西部、セサリア地方にあり奇岩が立ち並ぶ珍しい光景、その上に
建設された修道院の総称。
メテオロスとは、中空のという意味。
俗世と関わりを立ち、祈りと瞑想に生きるキリスト教修道士たちが生活した。
9世紀に奇岩群の洞窟や岩の裂け目に住み着き、単独で生活したとされる。
14世紀には修道院の共同体が形成された。
教会内には、多数の素晴らしい『イコン』がありました。
イコン』とは、正教会において、信仰のかなめとなる キリスト、聖母、聖人などの
聖画像のこと。
   まず、アギオス・ニコラオス修道院が見える
ところでバスストップし、写真タイム。現在も二人の修道士が生活している。

修道士として、修道院に入るのも、出るのも一応自由です。
一度、出ると再び戻ることはできない決まりのようです。
普通の山とは全く違う光景が現れる。
その山の上や、崖の上に修道院が建っている。有名なものとして、6つ。 
 メガメテオラ修道院
 ヴァルラアム修道院
 ルサマ修道院
 聖ニコラス修道院
 聖ステファノス修道院
 アギアトリアダ修道院
  この修道院は山の中腹に建っている。 
  今回、見学したのは、一番大きい修道院で、『メガメテオロン修道院』1387年建立、

以前は、塔のような部分から綱はしごを降ろして、上り下りした。滑り落ちて何人もの修道士が亡くなったらしい。
現在の出入り口は崖に穴を開け、道を着けている。
崖に行き交うのがやっとの狭い道を付け、その階段を上り下りする。
中央向こうに他の修道院が見える。 
   上り下りする観光客
下を見ると、身震いする絶壁と高さ。
  メガメテオラ修道院の全景

メガとは『大きな』という意味で、沢山あるメテオラ修道院の中で、一番大きな修道院という意味。
この写真は、対岸のバスの駐車場から撮った
修道士が生活するための物資を運んだ索道
今は使っていない。
別の場所に、立派な人が乗れるロープウェイが
設置されている。
 

壁に『イコン』が掛かっている。
 修道院に入るには、女性は腰巻(スカート)を身にまとうことになっている。
女性はお尻が見えるとだめらしい。スカートでもスラックスでも同じだと思うが、そういう決まりのようだ。
入り口で腰巻を貸してくれる。
    ここは納骨堂!

この修道院で亡くなった修道士は土に埋葬し、3年経って骨を掘り出し、この部屋に祀っている。
骸骨が棚の上にたくさん並んでいる。
白いドレスが現地ガイドのクリスティーナさん

ドアの上に『イコン』がかかっている。
キリストの弟子たちの壁画が描かれている。
中央はキリスト
   中庭のようなちょっとした広場がある。
この左手に、きれいは水洗トイレも完備され、さすが観光国だ。
 壁に描かれたフレスコ画

ところどころ、剥げおちたり、変色したりしている。歴史を感じる。
 修道院の聖堂の入り口、

中は撮影禁止のため、映像はない。
天井から、黄金のように輝いた真鍮の装飾金具が吊り下げられ、ろうそくがともされている。広さは一般の教会のように広くはない。
 修道士たちのキッチン(台所)や食堂

いろんな食器や調理具が並んでいる。
  
囲炉裏(湯沸し?)も、パン焼き釜もある。
  テラスからの眺望は素晴らしかった。 

この光景は、トルコのカッパドキアに似た
ところがある。
カッパドキアは砂岩のためボロボロに浸食された所が多い。
ここは石が硬いようで、どうして隆起したのだろうか?
   滅多に撮らない二人の写真を撮ってもらった。
昼食はドモコスのドライブインレストランでとり、約350kmを走り、アテネ空港に向かい、
アテネ発(19:10)サントリーニ島へ 
サントリーニ島に着き、ホテル
KAMARI BEACH』 に入る。
ここで連泊する。
その後、夕食はカマリビーチを歩き、レストランで食事。
賑やかなビーチ通り。
この辺一帯は夜、2時、3時まで営業しているリゾート地
5月20日(月) 

 『KAMARI BEACHHOTEL』は建物が点在して、リゾートホテルの造りになっていた。

ドアの鍵が引き抜けなくなり、少し力を入れると
折れた。こんなトラブルは初めての経験だった。鍵はそっくり取り換えてもらった。
 サントリーニ島南部にあるレッドビーチを見学。
海岸の崖の部分が真っ赤な色になっている。鉄分の錆のようだ。
対照的に海の水は澄みきっている。
イメロヴィグリから火山島(Nea Kameni)
目の前に見える。
火山島を取り囲んだような弓なりの形のサントリーニ島 
海抜は300mほどあるらしい。
崖の上に街並みが開かれている。
 まっ白い家並みと、ブルーの海が対照的
角度を少し変えて眺めた写真。 
シンボルの青い屋根と白い壁のギリシャ正教会
 
高台から見下ろした教会
ドームはブルーに塗られ、頂点に十字架が掲げられている。 
 シンボルの青い屋根と白い壁のギリシャ正教会
中央の島が火山島(ネアカメニ)
その近くに大型クルーズ船が停泊中。
小型のクルーズ船も浮かんでいる。
海の色はブルー。 
 メインタウンのフィラで昼食。
レストランLITHOSに向かう一行。
今日のメニュはサラダ/カラマラキア
(イカの唐揚げ》/メカジキのスブラキ(串焼き)。
 昼食後は自由行動、街を散策
崖をロープウェイで降りて、港にゆく。
ロープウェイは6人乗りの小さなゴンドラが6つ連なって、つるべ式に行き交う。 
港(波止場)で釣りを楽しむ人
沖合には大型クルーズ船が停泊し、ヨットが浮かんでいる。
海はブルー。 
 海岸から上の街まで登るには、降りたゴンドラか、ロバ(馬)に乗るか、歩くかしかない。
高低差が約300mもあるので、ロバに乗って帰ることにする。
体重70キロを背中に乗せて、崖を登るのはロバにとって大変つらい仕事だろう。
しかし、3組の夫婦は初めての乗馬に奇声を発して楽しんだ。
 小さな町なので、歩いていると一行に出会い、
合流した。
添乗員の森田さんと、現地ガイドのリアさんと一行。
 海岸線に沿って崖にへばりつくように家が
立ち並んでいる。
イアでサンセットを待つ。
中央の高台が夕日の絶景ポイントらしい。
 
サンセットを待つ大勢の人々
 いよいよサンセットの時刻
20時04分
遠くにガスがたなびき、水平線がくっきりと見えない。
太陽が沈むと、街並みの雰囲気が変わり、
夕暮れが近づいた。。 
薄暗くなり、電燈に照らされたイヤの街並みは浮き上がって見える。

今夜で、『KAMARI BEACH HOTEL』も最後、明日はミコノス島に移動。 
5月21日(火) 
今日はサントリーニ島からミコノス島に移動する。出発までホテルの周辺を歩いてみた。
その後、バスで
10時30分にホテルを出発し、アティニオス港からミコノス島のオールドポートに移動。
ジェット船で約2時間、距離は100km
途中、イオス島、パロス島、ナクソス島に寄港し、ミコノス島に到着しました。 
カマリビーチ
 
早朝のビーチの屋台には誰もいなかった。
カマリビーチ
 
海岸で、早朝から体を焼く女性が一人寝そべっていた。
海は静かに磯の香りを運んでいた。
   カマリビーチ

砂浜は卵ぐらいの丸い小石と真っ黒い表面がざらざらの軽石のような石が転がっている。少し離れると、細かな砂に代わる。
カマリビーチ

 
砂浜に立てられた日よけの傘?
何の葉で造っているのだろうか?
カマリビーチ
 
街中に行くと、バギーカーのような4輪車が
走っていた。他に3輪のものもある。
島が狭いので、これは便利な乗り物だ!150cc前後の小さなエンジンを積んでいる。
カマリビーチホテル
 
ホテルの周囲を一回り散策して帰ると、ホテルの建物の壁に沿って綺麗なブーゲンビリアが
咲いていた。
朝、初めて気が付いた。

この後、ホテルを出発。
バスで港に向かう。
 港に向かうバスの車窓から、
オールドポート
を撮った。
急な坂道をヘアピンカーブを曲がりながら、大型バスがすれ違い登り降りしている。港には沢山のバスが並んでいる。
 
我々が乗った高速ジェット船

 エンジンの調子が悪くて、スピードが普段より出なかったそうで、到着が少し遅れた。
   船尾の2本の噴出穴から噴流を高速で排出して推進力を得るので、スクリューの船と違い各段に速い。時速は70kmぐらいが普通。
高速なので、デッキはなく、外に出て景色を楽しむことができない。
飛行機に乗ったのと同じように船内で外を
ぼやっと見るだけ。
 ミコノス島に到着。
島の雰囲気は、サントリーニ島と違って落ち着いた雰囲気がある。
エーゲ海に浮かぶ『白い宝石』と言われる。

たくさんの小さなプライベート教会がある。

プライベート教会とは、信者が何人か集まって教会を建てるらしい。
一般の教会と違い、自分たちの教会なので、一般の人は立ち入れないところが多い。
街のあちこちでよく見かける。
ミコノスタウンを散策。
 
落ち着いた感じの街並み
建物は真っ白に塗られている。
 街並みの風景、狭い道が続いている。
土産物店、
 夕食前に、少し高台からタウンを眺めた。
素晴らしい眺望。
 この高台に5基の風車がある。
小麦粉を挽くために造られた風車ですが、今はこの街のシンボル的存在になっている

布を張っていないので、風車は回らない。

オランダのキンデルダイクの風車と、羽根の形が違う。
こうもり傘の骨組みのような風車だ!
 そろそろ、夕暮れ!
レストランでサンセットを楽しむカップル、家族連れ。
しっとりと落ち着いた雰囲気がとても良い。

ここの夕日も素晴らしかった。
 今回のツアー御一行様

夕食前にパチリ!
皆さん元気に旅行中です。
夕食のレストラン、リトルベニスにて。
 夜のプライベート教会

雪が積もっているような錯覚を受けた。
角が丸みを帯びているせいだろう。
 食事の後、少し海岸沿いに歩いた。
夜景がきれいだった。手振れ気味。(ISO1000)

下の写真は堤防にカメラを置いて撮ったもの。
5月22日(水) 
朝、観光船でデロス島に渡る、島中が世界遺産に指定されている。
太陽の神、アポロンと、月の神アルテミスが誕生したとされる島。
今は、無人島で、昼間だけ観光客が訪れる島。遺跡を観光後、
島内の博物館を見学、その後、自由行動となった。島の中を散策後
船に戻り、ミコノスに帰った。
 前夜と同じ場所の朝方の風景。表情が随分違う
 
港近くの果物屋と魚屋の屋台
魚はもう売り切れに近い。
 デロス島行きの観光船

この船で約30分足らずで到着する。
普通の観光船で、甲板やデッキも楽しめる。
沢山のデロス観光客で一杯。
 いよいよ出航!
ミコノス港を後に、デロス観光に行く
 観光船内のデッキ
日本人は船室内にたくさん残っているが、外国人?はデッキに出る人の方が圧倒的に多い。陽気に騒いでいた。
 
ミコノス島を船から振り返る。
デッキで写真を撮る女性
 デロス島に近づくと、島に遺跡が広がっている。
大理石の柱が沢山立っているのが見える。
ほとんど破壊され尽くされている。
歴史の残酷さを感じる。
 デロス島に上陸

いよいよ、世界遺産デロス遺跡観光が始まる。
 
 床に描かれたモザイク模様
 
 ディオニソスの家
大理石の柱と、床のモザイク画
 ディオニソスの家
古代ギリシャの 水道設備
 
 重さ32トン、高さ8mの巨大なアポロン像が
置かれていたと押される台座
 
左は、ライオンのテラス(レプリカ)
右は、博物館内に展示されている本物
 ミロのビーナス?

デロス島博物館内の展示品
 博物館内の展示品の様子

沢山の彫刻像、日常生活道具など展示されていた首のない彫像が多い。
 デロス島内と唯一の山

歩いて30分ぐらいで行ける。
石ころ道なので、トレッキングは中止した。
 山にゆく途中に神殿があった。
ここから港に向けて戻って帰った。
 ミコノス島で昼食、レストランでハプニング

店にペリカンジョージア(メス)がやってきた。
大きな魚をもらい、ぐい飲みした。
この店に来ると、餌にありつくことができるので、夕食時にもやってきた。
ミコノス島の名物になっているとか・・。
 夜のプライベート教会の写真で紹介した行くが
積もったように見えたが、昼間は違った雰囲気を醸している。真っ白な壁。
5月23日(木) 
 ミコノス島のニューポートからアテネのラフィーナ港に向かう。当初予定は
高速船クルーズだったが、船の都合で大型フェリーに代わった。この日は
風が強く、白波が立っていた。港に打ち上げる波しぶきがかかるほどだ。
この分では、大型フェリと言えども、少し揺れるかもしれない。乗船後、
案の定、港を出てからしばらくすると、少し揺れを感じたが、甲板、デッキに
出て、ビデオや写真を撮ることに専念した。フェリーになったので、高速船
の倍ほど時間がかかり、5時間余りかかってアテネに着いた。
 
大型フェリー
Blue Star Ferriesの船体(2万トンぐらい)
 港で、出発前の点呼
今日も空は快晴、風は強い
 
ミノコス島ニューポートを出港する。
海はブルー澄み切っている。
 
快晴の空に海はますますブルー
これぞ、エーゲ海の色だ!
 
途中で、ティノス島アンドロス島に寄港する。
 
アテネのラフィーナ港に到着した。
スーツケースをバスに積み込み、ホテルに向かう。
 バスの車窓から、乗ってきたフェリー

ラフィーナ港はアテネの玄関となっている。
今日のホテルは、アテネ市内の『TITANIA』ホテル。夕食はホテル内のレストラン、バイキング
5月24日(金) 
 いよいよ、最終日、午前中はアテネ市内観光。午後は3時半まで自由行動。
その後、バスでアテネ空港に向かい、ドーハ経由関西空港に向け帰路に着く。
観光の最終日、クライマックスのアクロポリスに行く。
 
アテネ市内で宿泊したホテル『TITANIA
繁華街にあり、観光には便利な豪華ホテル

中央部にドーリア式の大理石の柱を持つ国会議事堂と
その前に建てられている無名戦士の墓(横長の塀のような碑)
 
再度、国会議事堂無名戦士の墓に行く。
午前9時で衛兵の交代式があった。
衛兵は背が高い。
小生は173cm、彼は190cm。
いよいよ、アクロポリス観光が始まる。
アクロポリスは、高い丘の上の街の意味。
 
現地ガイドのアリティーさん
日本語が流暢で、分かりやすかった。
ワイヤレスガイドを準備する一行。
 アクロポリスからイロド・アティコス音楽堂を見下ろす小学生。
向こうには、広大なアテネ市内が広がる。
天気は晴天。
 
プロピレア(前門)

中央にドーリア式の柱、左右にイオニア式
柱がある。両サイドに建屋があり、神殿参拝者の奉納品など財宝を収納所。
ここも修復作業が行われている。
 
入り口に近い裏側から撮った。修復工事中。
パルテノン神殿は、長さが約70m、柱の高さ10m、幅は31m
柱は41本、柱は少し内側に傾けている。
 
パルテノン神殿
こちらが正面、15年間で建築、BC432年に完成。神殿内部にアテネの守護神アテナの高さ12mの巨大な像が安置されていた。1687年のヴェネチア軍の攻撃で破壊された。

エレクティオン
BC408年に完成、北側にイオニア式、南側にカリアティデスと呼ぶ6人の女性像を柱にした柱廊が張り出している。
 

6体の女性像が柱を兼ねて建っている。
屋根の重量に耐えるよう首と髪型で工夫しているという説明を聞いた。
これはレプリカ(コピー)で本物は、新アクロポリス博物館に展示。

アクロポリスは市内に浮き出た不思議な巨大な岩山(丘)。
周囲は崖になっているので、自然の要塞でもあった。
旗が立っている場所は展望台
 
アテネ神殿跡
BC6世紀アルカイック時代に建造された。
BC480年にペルシャ軍により破壊された。
 展望台からのアテネ市内の眺望
中央部の山は、リカヴィトスの丘
 
至る所で修復作業が続いている。
永遠に続く作業だという話だった。
女性研究員が注射器で薬液を注入していた。小さな大理石の破片一つ一つにナンバーを書いて管理していた。
新アクロポリス博物館
 
新アクロポリス博物館
博物館を建てる基礎部から遺跡が発見された。その遺跡の上に建屋を建設した。
 
館内は撮影禁止のため、写真はない。
自然の光を利用し、エコロジーに配慮した構造。廊下に並べられた遺跡の遺物の展示

ディオニソス劇場
ギリシャ最古の劇場で、酒と演劇の神、ディオニソスの聖域に造られた、
1万5千人が収容できる。

 
市内の至る所に遺跡が点在する。
自由行動の時間になり、日本食レストランで中華そばを食べてから、古代アゴラなどを見学 
 
何人かのグループで街中を散策、観光した。
上は、小さな古いギリシャ正教の教会、アギオス・エレフテリオス教会
ビザンチン様式の建物で、12世紀に建てられた。
 
街角の風景
祖とは30度ぐらいの気温だが、日陰は涼しく感じる。果物屋の屋台、ビワ、サクランボ、イチゴなど山積み
 土産物店が並んだ通り
古代アゴラ近くの街並み、庶民的な感じ
 
アドリアノスの図書館
2世紀ごろ、ローマ皇帝アドリアノスが建てたもの。建物の一部の壁が残っている。
 
アドリアノスの図書館の遺跡
代アゴラ
アゴラとは、市場、宗教、政治、文化施設が集まる場所。
生活の中心として重要な場所であった。
 
    
古代アゴラ博物館
館内の展示品の一部

地下鉄が地上に顔を出しているところ、
その横にも遺跡がある。
 
自由散策の帰路の街の人通り
 
街の様子
いよいよ帰国の旅に 
 
アテネ発:18時45分ドーハ行き、カタール航空QR477
  ドーハまで所要時間4時間30分、2973km
  (ドーハ着23時15分)
ドーハ発:1時40分、関空行き、カタール航空QR802
  関空まで所要時間は9時間45分、8046km
  (関空着25日17時25分)
全員、無事に帰国しました。お疲れさまでした。 
使用 カメラ:キヤノン7D+TAMRON B008E 18-270mm 
パナソニック ルミックスDMC-FS25


旅行中に感じたこと(雑感)

1   初めてのカタール航空に乗った。機材や機材や運航に問題は感じなかったが、飛行時間が長くかかるような印象を受けた。南回りの性だろう。
最近、中東の翼と言われるエミレーツ航空、カタール航空、エティハド航空の3社が急速に世界の航空業界に進出し、存在感を示してきた。この3社を総称して『ガルフ3社』と呼んでいる。その理由は、通常運賃の30%〜50%安で運行していること。羽田〜フランクフルト間は通常運賃がJALなら169,000円、ANAなら268,600円のところ、エミレーツなら124,020円で行ける。
しかも格安航空と違い客室サービスは通常のエアライン以上のものを提供している。エミレーツ航空はドバイ、カタール航空はドーハ、エティハド航空はアブダビ空港をハブ空港にして、世界各地につながっている。
運賃が安い理由は、燃料代が産油国と言うことで、特別価格で入手できるのだろう。
豊かなオイルマネーを背景に、新しい機材を投入しているので、安全だ!
2  今回はギリシャ文明に触れることと、エーゲ海の海を見たかったので参加した。イタリアは古代ローマ帝国を建設した偉大な歴史を有するが、その先に先人としてギリシャ文明が輝いていた。
しかし、行って見て、さらに分かったことは、ギリシャの先人としてエジプト文明があり、ギリシャ文明はエジプト文明の影響を強く受けていた。
古代の各文明は、それぞれが単独に発展したのではなく、歴史はつながっているという印象を持った。そういう意味では、以前に行ったトルコ遺跡はギリシャ文明の強い影響を受けていた。
中世のキリスト教文明、その後のイスラム文明、キリスト教の分裂、など近代に至るヨーロッパ地方の文明の流れを改めて感じる。 
 3 古代ギリシャの彫刻は『アルカイック スマイル』と言う唇の両端を少し上にあげた表現をしているが、古都奈良の薬師寺や法隆寺などに見られる仏像も同じ表現法を取っている。これはギリシャ文明や、後に発展したヘレニズム文明が東洋にも伝わってきたことの証のようです。 
 4 今回特に感じたことは、人物(男女を問わず)彫像に、首なしのものに多く出会ったこと。
素晴らしい彫像でありながら、首(頭)がない。大変残念であった。
これは、幾多の戦いで当時の征服者が破壊することで、自分たちの力を示したのだろう。
多くの建物(建造物)も同じ運命で、石造りの建物すら征服者たちには勝てなかった。
歴史にもしはないが、そのすべてが残っていたなら、世界の様子が変わっていると思う。
人間の性(さが)がなした破壊だろうが、素晴らしい歴史的価値を無くした罪は大きい。 

日本は島国であり、外国の敵が攻めてきて、自国の文化を塗り替えられたことはない。元寇が2度あったが、負けたわけではない。しかし、その日本ですら、国内の権力争いで、京都や奈良の神社仏閣が破壊や焼打ちにあっている。
勝者は敗者の持ち物を破壊することで、物質的、精神的な征服者になろうとしたのだと思う。
5  大理石に2種類あり、建造物は硬い質のエーゲ海大理石を、彫刻には彫りやすいアテネ大理石を使っている。大理石の硬さ、質の違いがあるということを知った。
アテネの大理石の石切り場はアクロポリスから眺めると、遠くの山に石切り場が見えていた。 
 ギリシャは良質のオリーブ油の生産国。年産の世界ランキングでは一位がスペインで86.5万トン、二位がイタリア、三位がギリシャ、四位がシリア、五位がトルコとなっている。
中でも、イタリアのオリーブ油は高品質で有名。オリーブは世界30カ国で生産されているが、98%が地中海沿岸地方で作られる。
ギリシャはオリーブオイル消費国としてはナンバーワン、特にクレタ島では年、一人40リッターも消費するらしい。
7  ブドウが栽培されているが、他の地方と作り方が違う。土地に直接這わしている。普通、ブドウはフランスでもイタリアでもスペインでも、畑に杭を立てて、鉄線をはり、それにブドウの枝を這わしている。ギリシャでは地這キュウリのように、そのままの姿で放置している。この方が乾燥に強いらしい。 
 8  白い壁の家並みが多い。これは地中海沿岸諸国でよく見る光景。太陽光が強いので、少しでも暑さから守るという智慧。壁は厚くして外気を遮断する。
サントリーニ島内をバスで走っている時、添乗員さんの説明があったが、屋根がアーチになっている家をよく見かけた。
ギリシャは地震がよくあるので、地震から守る智慧として、屋根をアーチ形にすることで、強度を上げているらしい。本当にどれくらいの効果があるか、疑問に思う。
それよりも、もっと鉄筋を太くし、沢山入れる方が強いはずだが・・・。
 9  サントリーニ島で、バギーのような3輪車や4輪車を良く見かけた。
エンジンは150cc〜300ccぐらいの小さなもので、日本の単車並みのエンジン。
二人乗りができるので、狭い島の中の移動手段としては打ってつけだと思う。雨も降らないし。
しかし、事故に遭うと怖いな!ハンドルは角ハンドル(単車と同じ)。
 10  キリスト教の歴史、
初代教会ができ、1453年東西教会に分裂し、西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれた。西ローマ帝国内ではローマカトリックになり、その後、ローマカトリックは、二つに分かれた。
マルチンルターの宗教改革によりプロテスタントが主に北ヨーロッパに広がり、絶体的な教会の力が落ち、信仰が中心になった。
ローマカトリックは南ヨーロッパが中心になった。
一方、東ローマ帝国はビザンチン(イスタンブール)が中心になり、ギリシャ正教として正教会を構成した。

キリスト教は大きく3つの宗派が存在することになる。加えて、イギリスは国教会としてローマカトリックから分かれ、英国国教会を設立した。

ギリシャ正教は立体的な偶像崇拝は認めないので、キリストの彫像は教会内にはない。代わりに平面画やモザイクが描かれた『イコン』が掲げられている。
『イコン』とは、キリストや聖母マリアの絵で、偶像ではない見えざる神を聖なるものとして祈りを大切にする。
ローマカトリックは、キリスト像や聖母マリア像や多くの聖人の像が祀られている。

教会の外から見て、その教会がどの宗派かを見分ける方法は?
屋根の十字架の形で十字が等辺ならギリシャ正教会、十字が縦長ならローマカトリック教会、
十字がなく、屋根に風見鶏などが付いていればプロテスタント教会です。
また屋根の形がタマネギのドームの形状ならローマカトリック教会、尖った屋根ならプロテスタント教会です。
ギリシャで見たギリシャ正教会の屋根はドーム状のものもあり、そうでないものもある。特徴は屋根に青いペンキを塗って大変目立つが、ヨーロッパにあるような巨大な建造物や空に突き刺すような尖塔を持った教会はない。

サントリーニ島で、一つのギリシャ正教会の中に入るチャンスがあったので見学したが、内部で会話して、修道女らしき人に厳しく注意された。教会は信仰の場所で、静かにお祈りをする所である。大変厳しい。

教会内部は質素で、ステンドグラスも見なかった。元々、ステンドグラスは綺麗さを誇示するものではなく、文字が読めなかった時代の人々が教会に来て、キリスト教の教えを絵で説明するための聖書の役割だった。今は、そういう必要がないので、見る人の目を楽しませてくれる。
 11  ギリシャ各地に、プライベート教会がたくさんあった。今まで教会と言えば大きな高い屋根の建屋だと思っていたが、ギリシャ正教会ではごく少数の信者が集まり、建屋をプライベートな教会として造っている。もちろん、一般公開はせず中には入れない。
あくまで教会は神聖な信仰の場所と言う位置づけになっている。
 12  信仰心が強いと感じたのは、メテオラの修道院だった。崖の上の人里離れた『超』隔離状態の中で自分を見つめ、キリスト教の教えを会得する修行は尋常な人ではできない。

60を超す奇岩が立ち並ぶメテオラの地に、11世紀ごろ、俗世を離れて厳しい修行をする人達が住み着いた。初めは岩の割れ目や洞窟の中で過ごした。次第に命がけで、崖を登り、てっぺんの平らな場所に小屋を建てて修行した。登り降りは梯子で、生活物資は巻き上げ機を使った。
14世紀になり、本格的な修道院の建設が始まり、1356年にはメガメテオロン修道院が建設された。16世紀には大小24の修道院が造られた。その後、18世紀になり修道院の後継者が激減し、閉鎖される修道院が増え、4つまで減ったが、今は6つの修道院が開かれている。その内2つは修道女の修道院となっている。

以前は、上り下りの途中で、はしごから落ちたり、ロープが切れたりして墜落死することがよくあり、1920年に石段を建設し、はしごを使うことが禁止された。
そのおかげで一般の観光客が、断崖絶壁の崖の上の修道院を見学できるようになった。

比叡山や高野山にこもって修行した最澄や空海にも通じるものがあるのかもしれない。
13   最後に、おもしろい話
最近、ギリシャでは、子供の名前に古代ギリシャ時代の哲学者である『ソクラテス』『プラトン』『アリストテレス』数学者の『ヒポクラテス』『ピタゴラス』大王の『アレクサンダー』などの名前を付けるのが流行っているそうです。
子供の対する親のロマンでしょうか?
特に、アレキサンダーはアレックスという愛称で呼ばれています。
偉大な名前を付けてもらった子供たちが大人になって、自分の名前をどう感じるか聞いてみたいものです。


最後までお読み頂き有難うございました。
お気づきの点がありましたら、連絡頂ければ
幸いです。

最後に、添乗員の森田さんにはお世話になり
有難うございました。付かず離れず、ちょうど
いい感じのケアや、気配りをして頂きました。
重ねて、深くお礼申し上げます。

今年は秋口にもう一回、海外旅行をしたいと
計画しています。