イタリア旅行


 チャオ! 
イタリア周遊の旅 11日間

2005年9月26日出発
2005年10月6日帰国

JTB旅物語


今回の旅行の目的は?

 古代ローマ帝国を建設し、中世キリスト教文化を育み、ガリレオやレオナルドダビンチがキリスト教文化から新しい実証科学を唱え、近代の実証科学の発祥の地となった歴史の多彩な国であり、世界3大料理のひとつ、フランス料理の源流になった国である。
さらに、工芸やデザインも大変優れ、陽気な人柄の国であるらしい。そういう人間が造り上げてきた文化の遺産や、現状の姿を目で確かめて見たかった。

以前、ミラノには出張で2回ほど行ったことがある。今回は南部を除いて各地を周遊するので、イタリアを実感できるのが楽しみだ。

イタリアという国は?


イタリア国旗

 長靴を履いたような形の国で有名。国土面積は日本の約80%。 緯度的にも日本と同じような位置にあり、気温はローマと東京はほとんど同じ。何か近親感がある。イタリアは、大陸部と半島部と点在する島々の3つから成り立っている。北イタリアは大陸部、半島部分は南と北に分ける。中部と南部の境界は明確でない。

歴史的な背景で、旧ナポリ王国領を南イタリア、トスカーナ州と旧教皇国領を中部イタリアと呼ぶ。中央部をアペニン山脈が走り、国土の90%は山間地で、これも日本とよく似ている国だ。

100年ほど前まで、イタリアは独自の文化を持つ都市国家の集まった国であった。都市毎にある教会の鐘の音は、その街に住む人々の愛郷心を育ててきた。地方ごとの愛郷心は大変強く、お互いの対抗心が今なお強く残っている国である。イタリアのサッカー試合では地元のチームを熱狂的に応援する。

日本は一道、一都、2府、43県で成り立っているが、イタリアは20州(レジョーネ)から成り立っている。各州は前述のように独自の文化を育んできた。

日本と同様、4季ははっきりしている。夏はヨーロッパ各国と同様に日陰に入ると涼しい。湿度は高くない。 

行程のあらまし

9月26日   関空⇒フランクフルト⇒ミラノ  《移動》 
9月27日  ミラノ 午前:コモ湖観光
午後:ミラノ市内観光 
9月28日  ミラノ⇒ベローナ⇒ベニス 《移動・観光》
ベローナ観光
ベニス観光 
9月29日 ベニス⇒ラベンナ⇒サンマリノ
⇒フィレンツェ 
《移動・観光》
ラベンナ観光
サンマリノ観光 
9月30日 フィレンツェ⇒ピサ⇒フィレンツェ  《移動・観光》
ピサ観光
フィレンツェ観光 
10月1日 フィレンツェ⇒サンジミニヤーノ
⇒シエナ⇒アッシジ 
《移動・観光》
サンジミニヤーノ観光
シエナ観光
アッシジ観光 
10月2日  アッシジ⇒ポンペイ⇒ナポリ  《移動・観光》
ポンペイ観光
ナポリ観光 
10月3日 ナポリ⇒カプリ島⇒ナポリ 
⇒ローマ
カプリ島青の洞窟観光
《移動》 
10月4日  ローマ⇒ヴァチカン⇒ローマ ローマ市内観光
ヴァチカン観光
ローマ自由行動 
10月5日   ローマ⇒フランクフルト⇒関空 《移動》 
10月6日 ⇒ 関空  


9月27日(火) コモ湖⇒ミラノ市内
  いよいよ、観光が始まる。
ミラノからバスで約1時間、コモ湖へ
コモ湖遊覧オプションツアー)。
少し曇り空でガスがかかっていた。
世界の俳優や有名人の別荘が
両岸に建ち並んでいる。

 
  ミラノの代表的な建造物
ドーモ寺院
 
内部
大変大きな教会
  ミラノを象徴するアーケード
ガッレリア
アーチ形の高く美しいアーケードが
スカラ広場に通じている。1877年に完成

両側にはレストラン、書店、カフェなど
様々な店が並び賑わう。

 
   アーケードを抜けると
レオナルド・ダ・ヴィンチ像
建っている。
左の建物はスカラ座

いつも観光客でにぎわう広場。
  スフォルツァ城
1466年完成、
レオナルド・ダ・ヴィンチが建築に加わったと
言われている。

 
   
城の裏側のセンピオーネ公園
一休み
  サンタマリア・デレ・グラッツェ教会

教会の修道院の食堂に描かれた
レオナルド・ダ・ヴィンチ
『最後の晩餐』
について、入館前に
説明を受ける。
 
9月28日(水) ミラノ⇒ベローナ⇒ベニス 
 
蔦に覆われたジュリエットの家
右の出窓から、眺めていたのだろうか?
ベローナ

ジュリエットの家と、ジュリエット銅像
 
   街角のロミオ&ジュリエットの
道化師

こういう道化師をよく見かける。
   
エルベ広場

屋台が立ち並んでいる。
   
エルベ広場
いろんな野菜が並んでいる。
  ヴェローナのシンボル
アレーナ(円形闘技場)

今も野外オペラが上演されるアレーナ

期限世紀に建てられた遺跡
長さ152m、幅128m、高さ30m、
22,000人収容できる。 
  ベニスに到着

船でヴェネツェアに渡る
沢山のモータボートが行き交う。

 
 
巧みな櫓さばきでゴンドラを操る
名物のゴンドラと水上バス
 
 
 
鳩で一杯のサンマルコ広場
  観光客でにぎわうサンマルコ広場
 
  運河に架かるアーチ橋とゴンドラ 
   
色鮮やか
ベネチアングラスの数々
  ヴェネツェアの中心 
サンマルコ寺院と広場

世界中の観光客の集いの場
  サンマルコ広場の近くの屋台
建ち並ぶ土産物店
9月29日(木) ベニス⇒ラベンナ⇒サンマリノ⇒フィレンツェ
  ラヴェンナの古い教会

モザイク画で有名

照明が暗く内部の写真が撮れず残念!

ガッラ・プラチーディアの廊
5世紀半ば、ラヴェンナの基礎を作った
ガッラ・プラチーディアにより建てられた

 
 
サン・ヴィィターレ教会
548年建立、8角形の建物
サン・ヴィターレ教会のモザイク画
 

 
傑作とされる「テオドラ妃と随臣・侍女達の図
 
「ユスティアヌス帝が宮廷人を従えた図」
  サンマリノ共和国
世界5番目の小国、人口25,000人
山と丘の観光国

 
   
  リベルタ広場と政庁
   ティターノ山頂からの眺望
素晴らしい景色!!

少しガスがかかっている
  サンマリノ教会
1361年建造の古い建屋
9月30日(金) フィレンツェ⇒ピサ⇒フィレンツェ
  《 ピサに移動》
ピサの斜塔
   写真の撮り方で傾斜が変わる?
左上の写真と左の写真の斜塔の
傾斜が大きく違うように見える。
左の写真は今にも倒れそう!


綺麗な芝と大理石の堂々とした
建物ふぁある
ドーモ広場
  《フィレンツェに移動》
天国の扉
ミケランジェロの作品
 
   フィレンツェの象徴
花の聖母教会
ドーモカテドラル

白、ピンク、グリーンの大理石の幾何学模様で
飾られた美しい大聖堂
1296年〜172年の歳月をかけて造った
華やかなルネッサンス風建造物
  礼拝堂 
  ジョット の鐘楼

高さは85m、
ジュットの設計になる鐘楼
414段の階段でテラスに登れる
  ヴォッキオ宮

94mの塔を抱く優雅なゴチック建築
旧フィレンツェ共和国政庁舎
 
  シニョリーア広場
ヴェッキオ宮と沢山の彫像が並ぶ広場
 
   ミケランジェロ広からの眺望

ここからフィレンツェが一望できる
観光スポット


アルノ川の両岸の風景
まさに絵になる風景だ!

フィレンツェの繁栄の姿
綺麗な街並み、
イタリアの素晴らしい風景だ
  ミケランジェロ広場からの眺望

広場に「ダビデ像」のレリーフがある
 
  ミケランジェロ広場からの眺望
 
もう一度、
ドーモカテドラルと鐘楼をズームアップ
内部は3万人が収容できる広さ

10月1日(土) フィレンツェ⇒サンジミニャーノ⇒シェナ
  《移動》
サンジミニャーノ

美しき塔の街
中世の情緒溢れる街並み

 
    
塔は街の貴族のともに象徴として建ち並んだ

最盛期には70を超える塔があったが、今は14になった。
愛知県の常滑焼の煙突を思い出す。常滑には最盛期は1000基以上の窯と煙突があった。
今はひっそりとわずかが残っている。
こちらの塔は、要塞の役目と、信仰心と富を表しているらしい。
  高台からの眺望 

街角の屋台ではジャムを売っていた
   《移動》
シエナ
街の中にある世界一美しいと言われる
カンポ広場
地面が右から左に傾いている珍しい広場

 
プッブリコ宮マンジャの塔
エレガントな姿
 
マンジャの塔
高さ102mのレンガ造り
  《移動》
アッシジ

 
高台に建つ聖堂に至る街並み
 
サン・フランチェスコ聖堂
 
アーチ式の回廊

沢山のフレスコ画で有名
下の2枚はジョットの作品と言われている
 
ジョット作
「小鳥に説教する聖フランチェスコ」
 
ジョット作
「父親と決別する聖フランチェスコ」
   
聖堂内の祭壇、マリア様
10月2日(日) アッシジ⇒ポンペイ⇒ナポリ
  《移動》
ポンペイ
世界遺産ポンペイ遺跡
 
紀元62年2月25日の大地震の後、
79年にヴェスーヴィオ火山の大噴火で
一瞬にして大火砕流に埋まった町。
古代の生活の姿がそのまま残っている。


人が積もった灰で覆われ、肉体が朽ちて
空洞が残り、そこに石膏を流し込み、
横たわって苦しんで死んだ人の生々しい
姿を再現し、当時の光景がよくわかる。
   
かまど
   
いろんな店があり、賑やかだった
   
右はモザイク
左は神殿
   
祈りの場所や上下水道も完備されていた
 
サンタルチア港からヴェスーヴィオ火山を眺める
《移動》
ポンペイからナポリに移動
サンタルチア港周辺の散策

海に突き出した卵城
 
10月3日(月) ナポリ⇒カプリ島⇒ナポリ⇒ローマ
  《ナポリからカプリ島へ移動》
中型のフェリーでカプリ島に渡る
カプリ島で小舟に乗り換えて
青の洞窟に行く予定だった!!
 
   
カプリ島のヨットハーバー
空は暗転し、低気圧で波高し、
雨も降り出して、洞窟観光は中止に
今回の旅行の目玉の一つが瞑れた。
   左は岩肌を削って道路をつけ、バスが走っている。
右は山肌を削って、歩道をつけている。
凄いことをするもんだ!
 road
 
岩にへばりついて、家が建ち並んでいる 
  
夜は楽しくカンツォーネを聞きながらディナーショー
参加者に歌手が居られて、サンタルチアを歌って大喝采だった。(左の写真)
 10月4日(火) ローマ⇒ヴァチカン⇒ローマ
  《ローマからヴァチカンに移動》
早朝、ホテルを立ちヴァチカン市国に入る
国境の壁、入り口
 
  サンタンジェロ城
 
135年にハドリアヌス帝が自分の廊として建設。
歴代のローマ皇帝の墓となった。
中世以降は、要塞や法王の住居、牢獄などとして
使われた。
現在、内部は国立博物館
   
   
サン・ピエトロ寺院
   
豪華絢爛な天井画
 
サン・ピエトロ寺院内部
 

サンピエトロ寺院の巨大なドーム
   
サン・ピエトロ広場

1667年ベルニーニのデザインで完成、
広場を半円形に囲む回廊に4列のドーリア式
円柱が284本立ち並び、上部に140人の
聖人像で飾られている。
オベリスク(石柱)は高さ25.5m、重さ320トン、
中央右のマンションのような建物の最上階
右から2つ目の窓から毎日曜日正午、法王が
姿を見せて、広場の人たちを祝福するそうだ。


いつも大勢の人、人でにぎわう
 
ローマのランドマーク
 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
(ヴィットリアーノ)


イタリア統一を記念し1911年位完成。
ネオクラシック様式で、16本の円柱が弧を描く
コロナーデは圧巻だ

 
遺跡が街の中、至る所にある
 
コロッセオ(円形闘技場)
 
トレヴィの泉
肩越しにコインを投げ入れると再びローマを訪れることができる
完成は1762年、
 
トレヴィの泉の広場に集まる観光客
凄い人盛り
スリの名所でも有名
  コロンナ広場

 沢山の観光客で賑わう場所。
スリも非常に多い、特にここは
ジプシーの女の子が多いので注意。
かわいこちゃん2,3人に取り囲まれて、
と鼻の下を伸ばさないように!
10月5日(水) 
今日はホテルから、空港に直行、フランクフルト経由、関空へ帰国の旅
10日間はあっという間に過ぎた。

今回の旅行を振り返って

(1)イタリアはローマ帝国時代の遺跡、中世キリスト教文化の建造物、美術工芸、絵画その他の文化遺産、近世、近代の文化が国中に残っている。歴史の宝庫である。それもすべて一流のものが多い。歴史に興味ある人には、訪れて絶対、期待を裏切られない国だと思う。

(2)イタリア料理は、世界3大料理(フランス料理、トルコ料理、中国料理)の一つ、フランス料理の先生(元)になった料理である。16世紀、ルネサンス期にイタリアからフランス王、アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディスと専属料理人により持ち込まれた。それまでの粗野なフランス料理が一転したと言われている。イタリアは味の面でも一歩進んでいた。

(3)イタリアの5大都市は北からミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、ナポリだ。そこには、 様々な歴史、文化が育まれ個性豊かな街を形成している。バロック調のローマ、ルネサンスの街フィレンツェ、芸術とファッションの街ミラノ、水の都ベニス、永遠の劇場ナポリ、どれをとっても素晴らしい。

(4)カプリ島の青の洞窟だけが見られなかった。あいにくの低気圧で海が波立っていたので、催行中止となった。残念!今年の初夏に、再挑戦する予定。同時に、次回は南イタリアとシチリア島をめぐる予定。

(5)7年前の記憶をたどりつつ、編集をしたので、間違いがあるかもしれない。記憶がない部分 は、旅物語のパンフレットを見ながら、『地球の歩き方(イタリア編)』とインターネットで補足させて頂いた。