10月16日(火)〜18日(木)

四国・中国地方のドライブ旅行

 道後温泉(砥部焼)・しまなみ海道(耕三寺)・錦帯橋・安芸の宮島(厳島神社)・尾道・倉敷

16日(火)  自宅⇒明石大橋⇒淡路島⇒徳島⇒砥部⇒道後温泉
17日(水) 道後温泉⇒しまなみ海道⇒瀬戸田⇒岩国(錦帯橋)⇒安芸宮島⇒尾道 
18日(木)  尾道(千光寺公園)⇒倉敷(大原美術館・街並み)⇒自宅

概 要 
秋の旅行シーズンを迎えたので、思い立って四国・中国地方を廻る計画立て、ドライブがてら出かけた。 旅館は全てインターネットで事前予約した。

16日は、朝8時に家を出て、第二京阪高速道に入り、門真ICから近畿自動車道、阪神高速道湾岸道、明石大橋、淡路島高速、鳴門大橋、徳島道、松山道と高速道路を走った。
現在、中国自動車道路の宝塚付近で工事中のため渋滞が発生していたので、その影響か湾岸道路も込み合いあり、約1時間余り余計に時間がかかり、明石大橋に着いた。

徳島で一部、高速道路がつながっていない区間(板野ICで降りて、藍住ICで再度のる)があるが、距離が短いので難なく通過し、徳島自動車道に入った。その後は前後に車が数台しかないがらがらの高速道路を快適に西向きに走り、川之江JCTで高松自動車道を交わり、松山自動車道に入る。この道も空いている。車の燃費計は24km/Lを指していた。

予定より早く、午後3時前に松山に着いたので、寄り道して、砥部焼の里を見に行った。
砥部焼は、近くの山で取れる石を砕いて粉にし、それを練ってろくろや型に入れ、器を作り釉(うわぐすり)をかけた磁器である。詳細は後述しているのでご覧ください。

この焼き物は分厚く、頑丈で少々乱暴に扱っても壊れないと言う品物である。一言でいえば武骨な磁器で、悪く言えば繊細なところがないが、田舎の磁器として結構有名である。
砥部焼伝統産業会館に行き、名人の焼き物の展示を観賞し、その後、窯元に行き2時間ほど時間つぶして、道後温泉に早い目に向かった。

ホテルは『花ゆづき』という老舗旅館で、本館のロビーはエスカレータで登った2階にある。
チェックインして、エレベータで7階に上がるが、中央に吹き抜けがあり、11階建ての立派な建物。11階が屋上露天風呂になっていて、さらに別棟の建物の4階にも大浴場がある。
食事は10階のレストランで済ませ、その後、道後温泉本館の湯に出かけた。徒歩で2,3分の直近にある。今回は1階の『神の湯』(公衆浴場風)に入る。入浴料場400円、これはホテルの方から券を頂いた。本館の湯を出て温泉街を散策し、『坊ちゃんのカラクリ時計』に出る。

ちょうど8時を回ったところで、時計台の周囲には沢山の人出があった。カラクリ人形の演技は終わったところだったが、以前に来た時に見たので、写真を数枚撮ってホテルに帰った。

今日は366Km走行した。

翌日は、朝、7時半に朝食を取り、8時半ごろにホテルを出発。
松山から国道317号(山の中の道)を走り今治に出る。そこから『しまなみ海道』が始まる。
大島、伯方島、大三島、生口島、因島、向島を走る。
島をつなぐ沢山の吊り橋は構造的にそれぞれ違った形で、特徴があり、目を楽しませてくれる。明石大橋のような主塔を建て、両側から主塔に太いロープを張り、その主ロープから下に細いロープで橋げたを吊る構造と、主塔から何本もロープを三角形のように伸ばして橋げたを吊る構造のものなどさまざまである。遠くから見れば大変きれいだが、自分が橋を渡っている時は橋の上という実感があまりない。


当初の予定では、『村上水軍跡』を見ることにしていたが、この日はよりによって天気が崩れる予報で、しかも相当ドシャブリということであったので、ここはスキップし先を急いだ。
途中の生口島で高速道を降りて、瀬戸田にある耕三寺を訪ねた。ここはこの島の耕三寺耕三和尚が大成功し、財をなして母の菩提を弔うために建てた寺で、西の日光とも言われている。
随分古い話になるが、松下電器に入社し、新入社員研修中の販売実習をした時に、実習先であるショップ店の従業員慰安会に招待され、奥道後温泉に行き、ここに立寄ったことがある。その時は関西汽船の船であった。もう40数年前の話である。
入館料が1200円と高いので、入館しないで境内を見て、駐車場に戻り、そこで地元で取れるレモンを買った。

再度、しまなみ海道に戻り、因島、向島を通過し、尾道に着く。
この頃には雨が強くなり、高速走行が危ない状態。その雨の中を中国自動車道をひた走り、広島を通過し、山口県に入り、岩国ICで出る。そこから一般道を少し走ると、川沿いに錦帯橋が見えてきた。この頃は雨が小降りになり、歩ける状態になった。駐車場は河原にあり無料。ツアーのバスがたくさん河原に駐車している。

車を降りて、徒歩で半円形の木製の橋を渡る。
錦帯橋は半円形だと知っていたが、3つの半円があるのは知らなかった。橋げたは石組でしっかりしたものだ。その上に木で組んだ半円形の橋げた構造になっている。さらに両側に少し円になった取り付け用の橋げたがある。通行料金は往復で300円だった。
半円形の橋は木組みの階段状にして、円構成している。なかなかよく考えた構造だ。

駐車場に戻り、再出発。
次の行き先は安芸の宮島、『厳島神社』。ここも初めての観光。
再度、中国自動車道に入り、安芸ICで降りる。しばらく走ると港に出る。近くの駐車場に車を止めて、フェリーに乗る。フェリーはJR西日本と宮島松大汽船が運行し、2社がそれぞれ15分間隔で運航しているので、すぐに乗れる。乗船時間は約10分。すぐに宮島に着く。

宮島のフェリー乗り場から厳島神社まで歩いて10分ほど。赤い鳥居が海に建っているのが見える。社や回廊も海に浮かんでいるような感じ?と思っていたが、行った時は潮が引いていたので、鳥居はまだ水につかっていたが、回廊は陸地になっていた。


拝館料300円を払い、中に入ると、本殿で結婚式が行われていた。たくさんの人に祝福された新郎と新婦が幸せそうな顔で見つめ合っていた。ぐるっと回廊を廻り、外に出る少し雨が降っていたが、大きな傘を持って行ったのが正解でぬれずに歩けた。
土産物店がたくさん並び、もみじまんじゅう、しゃもじが目に付いた。何も買わず。

帰りのフェリーを10分ほど待って乗船。
切符は往路で往復を買ったが、片道にした方がいい。帰りはJRか松大汽船か出発時間の早い方に乗れる。まあ、5分ぐらいの差だから目くじらを立てるほどではないが・・・。

乗船後、10分して対岸の港に着く。

さあ、これから尾道に向かう。時刻は午後3時半で天気が悪いので、少し薄暗い。
中国自動車道を1時間半ほど走り、尾道市に戻った。
ここで一泊する。ホテルは尾道国際ホテルを予約していた。ここは温泉ではない。尾道で一番大きなシティーホテル。
雨降りの中の高速走行だったので、目が疲れたので、ゆっくり休養する。

翌日は、晴れていた。
尾道で有名な千光寺公園に行き、山の頂上の駐車場に止める。駐車代は500円。ここから『文学のこみち』を歩き、写真をとる。自然石に刻まれた25の文学碑が立っている。尾道を愛した文人の思いが伝わってくる感じがする。
途中、千光寺にお参りする。この辺からの瀬戸内海の眺望は実にすばらしい。たくさんの絶景ポイントがある。

その後、駐車場に戻り、山を下って、再度、中国自動車道に入り、倉敷に向かう。
天気は晴れ。
倉敷市中央駐車場に車を止める。すぐ近くが『大原美術館』。
初めての倉敷見学だったので、大原美術館から見学を始める。入館料は1300円。
日本の美術館はなぜこんなに高いのか?といつも思う。ヨーロッパの一流の博物館や美術館は日本円で700円〜800円という感じである。そこには世界的に有名な画家の超有名な絵画がたくさん並んでいる。大原美術館には何があるのか?という思いで入館した。入館券は本館、工芸東洋館、分館、児島寅次郎記念館の4館がセットで見られる。
ここの名画は7つらしい。
受胎告知(エルグレコ)、泉による女、かぐわしき大地、アルプスの真昼、マルトX婦人の肖像、赤い衣装を着けた三人の踊り子、睡蓮(モネ)の7作品、それ以外に、ジャンヌ・エピュテルヌの肖像などがある。
その他多くの絵画や彫刻や遺跡で発掘した遺物などを展示していた。
絵画はヨーロッパの世界的に有名な美術館をたくさん見学してきたので、ここに展示している画には特別な感激はなかった。
一度は見ておかなければ、話にならないので館内を一周した。

その後、大原美術館を後にし、昼食をゆっくりとって、川沿いの歴史が残る街並みを歩いた。なかなか風情のある街並みだ。こういう風景は飛騨の高山、北海道の小樽など全国にはいくつか同じような風情や感じを受ける場所がある。
川(運河)沿いには柳の木が両側に植わっている。絵をかく人、人力車、川船に乗り見物する人、写真を撮る人、ゆっくり歩いている人などで賑わっていた。

午後3時になったので、駐車場に戻り、帰路に着く。
途中、中国自動車道が工事中のため1時間半ほど渋滞したが、無事に帰宅。
全走行距離は1050kmとなった。
ガソリンは47.8Lで6,899円、燃費は22km/Lであった。
途中の渋滞がなければ23km/Lぐらいだったかもしれない。
高速道路料金はETC割引があるので、いくらかかったのか?請求があるまで不明。

久しぶりによく走り廻った。
愛車、フィットハイブリッドは運転していて疲れない。空いている高速道路ではオートクルーズがついているので、時速90km位にセットすると定速走行してくれるし、速度オーバで引っかかることもない。高速道路のところどころに設置されている自動速度違反取締機(Mシステム)は時速90km以下となっている。これはレーダーを搭載しているので、注意案内が発信してくれる。
それにしてもカーナビの進化には驚く。電話番号を入れると、大体のところは全て案内される。その案内精度も上がってきた。
そういう車のアシストシステムと車自体の操作性の向上などで長距離運転しても疲れない。

 写真の一部に、赤字で『クリックすると拡大します』とある部分はマウスのポインターを写真の上に持って行き、左クリックしてください。写真が高精細度で拡大表示します。元に戻る場合は、左上の矢印をクリックして下さい。
 カメラはCanon EOS7D+TAMRON18−270mmZoom と Panasonic DMC−FS25 を使用
 砥部焼伝統産業会館・展示場 (CanonEOS7Dで撮影)
   砥部焼伝統産業会館内の展示
名人の焼き物が飾られている。
白磁は中心の磁器
厚みと重厚さを感じる
   
上は砥部焼物店の売り物
左は伝統産業会館内の展示
道後温泉郷  (Panasonic FS-25で撮影)
   道後温泉元湯会館
正面と側面
相変わらず観光客で賑わっている。
『花ゆづき』はすぐ近くにある。
  坊ちゃんのからくり時計
午後8時にカラクリ人形の演奏が始まるが、着いたときは5分経過していた。 右側で人が座っているのは足湯を楽しんでいる観光客

夜の低照度のため、欄干にカメラを固定して撮影
耕三寺  (Panasonic FS-25で撮影)
   瀬戸田にある耕三寺
派手な色づかいで『西の日光』とも呼ばれているお寺
錦帯橋  (Panasonic FS-25で撮影)
   
岩国の錦帯橋
中央に3つの円形の橋があり、その両側に取り付けの橋がある。
   
橋の両側に切符売り場がある。
通行料は往復で300円也
橋の円形部は階段状になっている
   川面に映って大変きれいな風景
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安芸の宮島(厳島神社)  (CanonEOS7Dと、PanasonicFS-25で撮影)
   
NHK大河ドラマ、平清盛で盛り上がっている。観光客が多い。
潮は引き潮状態だった
(左右2枚はPanasonic FS-25で撮影)
 
朱塗りの回廊が派手だが、何か趣を感じる。
満潮時は床の直下まで海水がある。 
(以下の宮島の写真はCanon EOS7Dで撮影)
   
生憎の雨模様で、ガスがかかっていた
   売店
右は能舞台、結構古い建物
尾道・千光寺公園・文学の小道・千光寺 (CanonEOS7Dで撮影) 
 
絶景!!
千光寺公園からの眺望 
   上は公園の頂上、展望台
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文学のこみち (尾道) (CanonEOS7Dで撮影)
   
徳富蘇峰
   前田曙山
   正岡子規
   
物外(もつがい)
   十辺舎一九
   金田一京介
   江見水蔭
(えみ すいいん)
   志賀直哉
   
林芙美子
↑写真をクリックすると拡大します
   林芙美子
←写真をクリックすると拡大します
   緒方洪庵
   巖谷小波
(いわや さざなみ)
   山口玄洞
   
山口誓子(右)
柳原白蓮 (左)
 
鏡岩
 
↑写真をクリックすると拡大します
   千光寺本殿
   吉井勇
←写真をクリックすると拡大します
千光寺公園ロープウェイ

古歌(こか)
 小杉放菴
 
左は大相撲尾道場所記念碑
   石でたたくとコツコツと鼓のように響く
『鼓岩』と呼ばれている奇岩

左は松の木の根が岩を切り裂いている珍しい光景
『岩割松』
倉敷・大原美術館  (CanonEOS7Dで撮影)
  大原美術館
1930年(昭和5年)に、画家の児島寅次郎の業績を記念するため、大原孫三郎が創設した。
大原孫三郎は倉敷紡績などを経営する実業家で、数多くの非営利、公益性の高い事業も手掛けた人。児島が大原の意を受けて西洋の優れた作品を収集した。エルグレコ、モネ、ゴーギャン、マティスなどが揃い、日本を代表する西洋美術のコレクションとなっている。 
 
有名な『泉による女」
 
『受胎告知』
   大原美術館敷地内
大広間から庭を見る
手入れが行き届いている
倉敷市街並み 保存センター付近 (CanonEOS7Dで撮影)
   運河の両側に店が並ぶ
   
風情のある風景
   
運河を船で廻る観光客、
ゆったりしたひと時
←写真をクリックすると拡大します
 
古い町並みと観光客 
   

 砥部焼の知識
 砥部は焼き物に適した土が産出したしたこと、燃料の赤松が豊富にあったこと、登り窯に適した傾斜地があったことから、古くから焼き物が盛んだったようだ。
町内には6,7世紀の頃の土器の破片が見つかっている。
江戸時代の半ばまでは、陶器が造られていた。
磁器に転じたのは安永4年(1775年)の頃、厳しい財政難の大洲藩の命によるものであった。磁器の開発に取組んだのは杉野丈助で失敗を繰り返しながら、安永6年に白磁の焼成に成功した。
その後、文永6年(1818年)に向井源治が原料革命となる川登陶石を発見し、嘉永元年(1848年)井岡太臓がレンガ使った窯を作り、技術面での進歩を遂げた。

陶工たちの努力により、明治26年(1893年)シカゴ世界博覧会で一等賞を獲得し、世界への道を開いた。
昭和初期の世界的な不況と太平洋戦争により、砥部の焼き物は壊滅的な打撃を受けた。
しかし、陶工たちの努力と、民芸運動の高まりの追い風を受け、意欲的な創作と技術の向上に取り組み、今日の砥部焼を造り上げた。窯元の数も昭和35年には27軒から、現在は100軒に増え、手作りのぬくもりを受け継いで新しい歴史を刻んでいる。

陶器や磁器に興味のある方は、ぜひ一度行って見て下さい。
 砥部焼ができるまで
@採石
  原料は安山岩の陶石化したもの。
  上尾峠付近で採掘される。
A製土
  陶石を細かく砕いて坏土(はいど:焼き物の材料となる土)を作り、空気を抜く
B成型
  各窯元で手びねり、ろくろ形成、鋳込みなどの手法で作る。
C削り
  成型後、生乾きの時に削ったり、サンドペーパで磨いて仕上げる
D乾燥
  天日や余熱利用で乾燥させる
E素焼き
  窯で900度C〜950度Cで8時間〜10時間かけて焼く
F下絵
  主に手書きで絵模様をつける
G施釉
  下絵付したものに、釉薬(うわぐすり)をかける
H本焼き
  1300度Cで15〜24時間かけて焼く
I完成
  砥部焼の完成
走行区間   走行距離
 自宅〜淡路島〜徳島自動車道〜松山自動車道〜砥部〜道後温泉  366Km
 道後温泉〜しまなみ海道〜中国自動車道〜岩国〜宮島  271km 
 宮島〜中国自動車道〜尾道 175km
 尾道〜倉敷〜自宅  239km
全走行   1051km