江南7都市周遊 7日間

2月28日〜3月5日
阪急トラピクス
R893


以前はよくトラピを利用していたが、最近はJTB旅物語を使ってきた。
価格的に安いのはトラピクスが先行している。一方、JTB旅物語はゆとりと、少し高い質を売りにしている。歳と共にゆとりある旅に魅力を感じていた。

新聞で激安ツアーが目に付いた。 広告主は阪急トラピクスである。
『中国江南地区7都市巡り、7日間』で何と!29,900円。
これはどう考えても計算が合わないので、どういうツアーなのか?
どう転んでも3万円なので、検証を兼ねて、興味半分で行ってみることにした。

全日、朝食・昼食・夕食付で、ホテルはスーペリアクラス、最後の上海は
デラックスホテル2連泊となっている。添乗員は同行なし、現地ガイド付、
募集人員は30名。 飛行機は中国東方航空/JAL共同運航便。 

周遊コース概略図

途中でコースが前後入れ替わったところがある。
蘇州⇒杭州⇒紹興 が 蘇州⇒紹興⇒杭州 となった。
特に問題はなかった。


 
 関空で羽根を休める中国東方航空機
南京空港まで2時南40分の飛行時間、時差1時間
 
 南京空港に到着後、バスで中華門に!
今回のツアーの現地ガイド:陳 強さん(42歳)
阪急トラピクス上海の名物ガイドらしい
日本に12年滞在、その割に癖のある日本語
元気、声がとても大きい、『
中国は気合いだ!』 

  
 中華門の散策
 
 
夕食後、夜の夫子(孔子)廟の散策、門の向こうに本殿がある
 
 夫子廟本殿前の夜景、ライトアップの最終日だった。
 
 本殿前の運河には沢山の観光屋形船

南京市内観光(22日AM)
 
 中山陵(革命の父;孫文の陵墓)の見学、広大な敷地
 
 門が2重、3重に建てられ、向こうの門まで700mある。
 
 ちょっと芸術写真風なアングルで撮ってみた

鎮江に移動、
 
 古西津渡街の散策、古い町並み
ウダツ(火事の際に類焼を防ぐ隣との壁)がよく見える
 
 手前が鮮やかな建物と後ろに古い建物が対照的
 
 これが現在中国の発明品、すぐれものの電気自転車(EB)
時速35km、フル充電で100kmは走るらしい。
モータは後輪の軸の部分に取り付けている。


無錫市に到着
 
 かわいい感じ無錫市のガイド、電気卸商の奥様
日本滞在経験はないが、日本には30回ほど行っている。
日本語は流暢、丸顔の笑顔良しの中国人、李さん(42歳)


無錫は昔は有錫(ゆうしゃく)と呼ばれていた。錫がよく取れ、
それを取り尽くしたので、無錫と呼ばれるようになったそうだ。
 
 太湖の遊覧、生憎の雨模様で曇っている
太湖は琵琶湖の約3倍の広さ、深さな2〜3m程度
呉越同舟の呉の国、映画のセットの一部
 
 太湖のクルーズ中のパチリ!
雨で景色はよく見えなかった。残念
 
太湖は真珠の養殖でも有名、淡水真珠
一個の貝から25個から40個の真珠が取れる。
質は余り良くない。安く大量生産ができる。
 
 長広渓公園内の風景、無錫で一番長い廊橋がある

蘇州市に移動
 
 いよいよ寒山寺に着いた。お寺の全景図。
寒山寺は臨済宗の禅寺
 
寒山寺の本堂(大雄宝殿)、思っていたより小さな寺
 
 本殿内の本尊、釈迦牟尼仏
クスノキの一刀彫に金泊を施した
中国らしく赤と黄色が目立つ
 
 普明宝塔(五重塔)、塔に登ることができる。高さ52m
 
 寒山寺の境内にある土産物店で見つけた写真をパチリ
卓球の『
愛ちゃん』と『ラッキーチェーン
 
 世界遺産『留園』の見学、建物は京都の家のように奥深い
次々と部屋が奥に並び、小さな庭があり、独特のレイアウト
写真は2番目の部屋
 
 部屋を抜けると小さな庭があり、木犀や椿が植わっている。
縁起がいい木とされている。
 
 ここが客間で、中心の部屋
立派な家具調度品が置かれている
 
 客間から眺めたお庭
中国独特の穴の空いた石(
太湖石)で組合せている

 
 庭の通路に石畳に施された模様
写真では分かりにくいが、鳥と鹿が見える
 
 世界遺産『留園』の最高の舞台風景
 
 同じ光景を拡大してパチリ
中央にニョキッと立つ冠雲峰(高さ6.5mの太湖石
 
 庭園と池の落ち着いた佇まいを見せている
 
 芸術写真に参加?
居室から外を向いた借景の盆栽

 
 蘇州の運河クルーズ(オプションに参加)
東洋のベニス?らしい。
規模が小さく、狭い運河、汚いが夜で分からない

ライトアップされ綺麗だったが、今夜までらしい。
 
 橋の下を通過する船からパチリ
 
 両岸に建ち並ぶ街並みと、行き交う船
 
 またまた橋が迫ってくる

 
 クルーズを終わり、帰り道の街の風景

蘇州から紹興へ移動
 
 魯迅の生家を訪問
 
 紹興の魯迅の家
 
 魯迅の生家の入り口
 
 客室の様子
 
 紹興酒の製造工場を見学(中国共産党直営工場内)
40リッター入りのツボに入れて、5、10、20年と熟成する。
ふたは土にもみ殻を加えて練りこんだもの。通気性がある。
アルコール分が適当に蒸発し、まろやかになる。

紹興から杭州に移動
 
 杭州の西湖のクルーズ、生憎の雨で見えない
 
 雨で白黒のような映像になる
この後、上海に移動したが、体調不良でここまで。
 
 途中の27万ボルト〜50万ボルト超高圧送電線と鉄塔

 
ツアーに参加して分かったこと。

7日間で3万円を切るカラクリは何か?  

 結論は、トラピクスが年間何十万人というツアー客を先約予約する代わり、徹底したディスカウントを航空会社、ホテル、バス会社、レストランに要求して、この価格を成り立たせているらしい。(現地ガイドの話)

5日ヶ目にお腹を壊す!
正直言って、各食事の内容は大変お粗末な中華料理だった。食材が野菜中心で、美味しい中華料理とは言えない。おまけに終盤になって、食あたりでお腹を壊して、最終日の上海市内観光はホテルの部屋で一人待機して過ごす羽目になった。
これは自分の不摂生の性なので、文句は言えない。

中国の料理は火を通しているものは大丈夫だが、水道水は硬水で、おまけに殺菌などが不十分な点もあるので、水道水は口にしてはいけない:常識。

お腹を壊すのを警戒して、日本からスーツケースにお茶2Lと、ミネラル水2Lのペットボトル2本を持参して行った。水では大丈夫のはずだったが、ネーブル、オレンジの切ったものが美味しかったので、それを少し食べた。レタスなどは食べない方が良いというガイドの話だったので、生野菜は口にしなかった。
それでもこのありさまになり、少々体力の自信が無くなりかけている。

もう一つ、原因として考えられるのは、現地のビールを一回だけ飲んだ。チンタオ(青海)ビールなどの有名品と違って、ローカルのビールを口にした時に少し変な味がするな!と思ったが、いつもビールは飲んでいるので、気にしながら飲んでしまった。
これが悪かったのかもしれない。
それ以外には原因が考えられない。 少々、体が疲れていたことは事実。

そういう訳で、今回の旅行は何とも印象の深いものになった。
2日間、断食して水とお茶で過ごしたので、帰って体重を測ると3キロ以上減量に成功?した。この体重は理想的な値である。70kg。
急激に体重が落ちると、何か力が入らないので、帰ってから近くの医院で点滴をやってもらい、ずいぶん楽になった。

海外旅行はお腹を壊すのが一番怖い。今回は終盤で、上海2連泊中の出来事だったので助かったが、バス移動が続く最中に下痢が止まらなくなると、どうしようもない。やはり、海外旅行は細心の注意が必要である。

中国を見た感想のまとめ    
 

■車がきれいになった

各都市の街中を走る自動車は大変きれいで、年式も新しい車が多くなった。
ドイツ車(VWが多い)、日本車に次いで韓国の現代(ヒュンダイ)自動車が目に付いた。中国製はまだ少ない。今後、急激に伸びるかもしれない。

バスは中国製ばかりで、ドイツ製(ベンツなど)や日本製は全く見なかった。
造りは良くないが、相当の出来栄え。 エアコンは前席と中央と後席で効き方が違い、暑いという人と、ちょうどいいという人で車内がワイワイとなった。自動車やバスは埃でガラスが汚れているにもかかわらず、そのまま平気で走る。ヨーロッパのバスの運転手は目的地に着くと、バケツに水を汲んできて丁寧にフロント、リア、窓ガラスをモップで綺麗に洗ってふき取る。

そういう乗客に対するサービス精神は未だない。安全に走ることに集中している?
多分、そういう余裕が未だないのだろう。車内から外の景色をカメラに撮る気がしないほど埃で汚れたまま走る。確かに中国各地は埃っぽい。西の砂漠からの黄砂の影響なのか分からないが・・・。

■一層、進化が進む       
中国、特に上海は今回で3回目になる。初回は25年から30年前だった。この時は会社の出張で行った。当時はビザが必要だったと思う。
高級ホテルの和平飯店に泊まり、上海高等技術院という高専のような学校で、商品の展示会を開催した際に技術説明に行った。真っ赤な生地に『熱烈歓迎』と書いた看板を作ってくれて待ってくれていた。
当時、空港に着いたとき、空港職員が人民服を着て、自転車で行き来していた。
マイクロバスで長江近くにある(旧、八幡製鉄所が技術指導して建設した)宝山製鉄所などを見学させてもらった。その車中でフロントガラスの景色はまともだったが、
両横の窓ガラスを通してみる景色が歪んで見え、目がおかしくなったのか?と一瞬驚いたが、窓ガラスが平面でないのに気が付いた。もちろん安全ガラスではない。
そういうマイクロバスが走っていることにびっくりした。
当時は自転車が中心で、車がまだ少なかった。街角には自動小銃を構えた人民軍の兵士が立ち、気持ちが悪かった。人々の服装も昔の中国の人の服装であった。

2回目は7、8年前だったと思うが、「車が急に増えたな!」という強い印象を持った。その時の車は日本の中古車より程度が悪いもので、バンパーのないものや、外れかかったものなど当たり前というガタガタ車が多かった。
車が増えたにもかかわらず、交差点には信号が一部しかなく、お巡りさんが手信号で交通整理をしていたが、クラックションが鳴りっぱなしで、非常にやかましい状態であった。道路を横切るのは命がけ?だった。車はスピードを落とさずに走ってくるというすさまじさであった。そういう中で、上海人は悠々と道路を横断していたのを覚えている。車が割り込んでくると、悪態を言いながら・・。

今回、驚いたのは日本と差がない程、新しい車に代わっていたことだ。中国がGDPで世界第2位となり、日本を追い越したという事実がそういうところにも表れてる。
現地ガイドの陳さんの話では、上海市民の3人に1台の割合で自動車が普及しているそうだ。お金持ちは一家で2台、3台と所有しているらしい。

■中国の発明品? 電動自転車
       
もう一つ驚いたのは、前回は全く見なかった電動自転車が自転車やバイクに代わり、町中を疾走していること。ホンダのカブのような形もあるが、自転車のようなシンプルなものもある。 ガイドの話では、2000元(28,000円)程度で買えるらしい。
バイクと違いナンバープレートはない。当初のものは時速50Kmも出たが、事故が多いので、最近の商品は時速35kmに抑えているそうだ。
この事実は今まで、テレビや新聞で見聞きしたことがない。行って初めて知った。
ヘルメットを被らず、おまけに二人乗りで走っている。家で充電する。一度フル充電すると、100kmから120kmも走れるらしい優れもの。 電池は間違いなくリチュームイオン電池を使っているはず。この中国で自転車替わりの乗り物に、リチューム電池を使いだすと、その使用量は非常に多いはずだ。
リチュームは中国で取れる金属なので、最近、中国はリチュームを輸出を規制し、話題になったが、電動自転車に使っていたのだ。
輸出価格を大幅に値上げし、日本車のハイブリッド車やEV(電気自動車)の生産に支障をきたすほど規制された。まずは自国の電気自転車に!ということか? 
それならある程度、話は分かる。

多分これを日本で作れば、10万円以上するはずだ。日本製の電動自転車は10万円以上する。しかも足こぎ補助動力でしかない。
エンジン技術ノウハウを持たない中国にとっては、バイクを今から開発しても間に合わない。それならモータ駆動で走る電気自転車をバイク代わりに使う。モータは簡単に造れる。その結果、独自の産業として大きく伸びているようだ。中国製電動自転車がバイクと今後、世界で競争するかもしれない。この話題も聞いたことがないが・・。
ガソリンと電気のどちらが入手しやすいか、価格が安いかにもよる。

■中国の工業力の発展の象徴
 江南地方を走っていると、何度も超高圧送電線路を見ることができた。これが最近の中国の工業力の支えをしているのだな!という実感を持った。
電圧は、25万ボルトから50万ボルトで送電しているはずだ。送電線の碍子の数を数えると送電線の電圧が推測できる。日本と同じような送電網を構築している。
建設中の鉄塔も何本も見たので、次回行く機会があれば、さらに電力ネットワークは整備されているはずだ。
海外旅行をしていると、送電線が気になる。その国の工業力が分かるからだ。
やはり、中国は世界第2位か3位の国だということが、今回行って見て分かった。

途中で中国製の新幹線が走っていた。外見上は特に異常もなく疾走していた。ドイツと日本の新幹線技術を導入して、自前で造り上げたらしい。乗って見たいと思わないし、特別な印象はない。


ガイドに聞いた面白い話

今の中国女性が求める魅力ある男性の5条件

(1)  牛のように働く人 
(2)  犬のように忠実な人 
(3)  羊のようにおとなしい人 
(4) 豚のように何でも食べる人 
(5)  鳥のように早起きする人 


昔の中国の女性の3つの要件
これが備わると、お金持ちに嫁に行けた

 (1) 漢詩が読め、漢字がきれいに書けること 
 (2) 琴がうまく弾けること 
 (3) 刺繍が上手なこと 

美人であることに越したことはないが、結婚は親が決めること。
当人たちは、初夜に初めて顔を合わせるというしきたりだった。
  

このツアーの特徴
買い物する人には魅力かも?

日付 買い物店  オプショナル
2/29 足つぼマッサージ (不参加)
3/1   淡水真珠店  蘇州ナイトクルーズ(参加)
3/1  刺繍研究所  
 3/2  シルク店 西湖の夜観賞(不参加) 
 3/2  紹興酒工場  
 3/3  ラテックス寝具店  上海雑技観賞(不参加)
 (前回、見て感激した。)
 3/4  茶芸店  黄浦江ナイトクルーズ(不参加)
 3/4  総合店  


 旅を終えて

 今年(2012年)は日中友好40周年になる年である。故、田中角栄総理が当時の周恩来主席との間で締結した友好条約。中国では日本の総理大臣と言えば田中角栄先生と誰でも知っているらしい。その他の総理の名前は出てこない。それほど田中角栄総理が中国にインパクトを与え、中国人は一度築いた人間関係を大切にする国柄であることが分かる。

 しかし、その中国ですら、最近の激しく変化している経済発展の中で、うまく波に乗った人と、そうでない人の間で大きな格差が生じ、それが中国人の気質まで蝕み始めているらしい。
 最近、都会に住む中国人は無口になった。今の中国人は10年前の中国人とは違うという話を聞いた。 少し、さみしい感じがする。

 建前は『共産主義独裁体制』を堅持しながら、実質(本音)は全くの資本主義を進めて、パワーフルに経済発展を遂げている。『儲けるためには何でもやる』という中国人気質は健在である。中国人商法だ!

現地ガイドの陳さんの話であるが、本人自身が12年間、日本に留学し、その後、日本でいろんな仕事をやって失敗や成功を体験した。今、過去の経験を生かして、阪急交通社トラピクスの上海事務所で、現地ガイドをやっているが、そのすさまじいパワーと熱意と努力には圧倒される。
 中国で生き抜くためには『気合いだ!と言っていた。

無錫の現地ガイド(女性)の李さんの話では、現在、無錫の辺の平均月給は2,500元(約35,000円)前後らしい。これでは大変生活が厳しいと思うが、その割に自動車が多く、電動自転車が普通の自転車より多く走っている。
電動自転車は28,000円で買えると言っていた。なぜそういう生活ができるのか?
彼らには、高度成長のおつりが付与されるらしい。ボーナスとして月給の数倍が支給されている。35,000円の3倍とすると、収入は月平均13万円〜15万円になっている。他の物価は大変安いので、これだけ収入があれば、今の豊かな生活ができるという話だ。

上海地区は、以前、2回行っているので、街の大体の感じは掴んでいたが、今回、各地を回るので、中国4000年の歴史が見られると期待して行ったが、それを実感できず見事に裏切られてしまった。4000年の歴史は史実として文字として残っていても、遺跡や遺物としては見ることができなかった

中国は日本と同じように木の文化であり、ヨーロッパのギリシャ、ローマ時代のような石造りの遺跡は残っていない。ヨーロッパは石の文化だ。
中国、日本の遺物は精々、千数百年前の建物がある程度だ。

国民の平等を志向する共産主義を建前にしながら、自由競争(資本主義)による格差を生み、金儲けに成功した者と、そうでない者の混在した社会の中で、大国中国が、これからどういう道を歩もうとしているのか注目してゆきたい。