2010年3月30日(火)
Panasonicブランド移行は成功したか?

 松下電器はNationalブランドとPanasonicブランド、2つを持つメーカであった。正確にはもう一つ、Technicsというブランドがある。Technicsは高級マニア向けオーディオブランドで、知る人ぞ知るブランドであったが、今はもう知る人が少なくなってきた。私はそのTechnicsで長年、飯を食べさせてもらった一人である。昭和50年ごろからオーディオ市場は急速に成長し、高校の入学祝いにシステムコンポーネント(シスコン)を買いに量販店にたくさんの親子連れが訪れたのを覚えている。

当時17,8万円したシスコンが飛ぶように売れた時代であった。今はオーディオは3万円、4万円という超破格の値段で売られるコモディティ商品になってしまった。国内で生産して収支が合わないので、100%中国等から輸入して販売している。それでもなかなか収支が合わないと聞いている。

このTechnicsブランドは、何年か前にPanasonicに変わって久しいが、一部の商品に未だTechnicsがついて売られている。それはかの有名なTechnicsDDプレーヤである。アナログレコードを聴くためのターンテーブル式プレーヤはいち早く、DD(ダイレクトドライブ)方式を採用し、プレーヤでは常にトップシェアを維持してきた。その中でもSL-1200シリーズは20年に及ぶ超ロングラン商品であり、その完成度の高さは、今なお、色あせていない。デザイン、性能、信頼性どれを取ってみても全く時代を感じさせない商品である。  世界に誇る一流品とはこういうものを言うのだと思う。

ところで、松下電器が製造販売する商品は、当初はNationalブランドであった。国内は信頼できるブランドとして長年愛顧されてきた。ラジオの輸出が拡大するにつけ、Panasonicというブランドが生まれた。本当はNationalブランドで世界統一したかったはずだが、アメリカに既にNational という商標登録を取った会社があり、仕方なくラジオを中心とした音響商品はPanasonicというブランドになったと聞いている。 Panは広い Sonicは音、広帯域を再生する、すなわちいい音で聞けるという意味でPanasonicという造語がブランドになった。これで国内商品はNational 、音響関連の輸出商品はPanasonicとなった。 そこに前述のTechnicsが生まれた。正確にはもう一つQuezarというブランドがアメリカで採用された経緯がある。 4つのブランドを使って長年経過したが、中村、大坪両社長の英断でブランド統一がなされ、Panasonic一本になり再スタートを切った。

ブランドはメーカの命であり、ブランドを変えることは非常に大きな賭けである。Panasonicに統一したことにより、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、看板等、あらゆる広告媒体はPanasonic一本に統一された。 これは宣伝効果として大きな成果が得られたと思われる。

しかし、それだけではブランド統一の成果といえるだろうか?やはり一番重要なことは、商品がどう変わるかである。Panasonicとなってから、松下の商品は大変良くなった。 Ideas for life というコピーも大変良い。当初は家電商品にPanasonicは似合わないだろうと考えていたが、どうして、今は何の違和感もなく、冷蔵庫のドアーに付けられているPanasonicが誇らしげに見える。洗濯機もしかりである。Panasonicブランドへの変更は大成功に終わったと思う。

ここまでは、一般的な見方で多くの異論はないはずだ。しかし小生はもう少し掘り下げて見たい。ブランド変更の時期がタイミングが良かったと思う。それは、家電商品の中身が大きく様変わりしていることだ。自動車も家電商品も中身を良く見るとメカ(機構)中心の商品から、今や電子制御を駆使した商品に変わっている。 マイコンやセンサーやDSPやロジックICやLSIが沢山使われて、いろいろな便利機能をふんだんに盛り込んで商品が作られている。省エネも電子制御のおかげで随分進化した。 商品コストに占める電子制御部品の割合が大きく伸びていることでもうなずける。

まさに、National商品から、電子制御技術を駆使したPanasonic商品に変わったのだ。何かアナログの臭いがするNationalから、デジタルっぽいPanasonicが時代が要請するイメージにぴったりする。社名までPanasonicにしてしまったのには驚いたが、それも時代の流れかもしれない。

キャッチコピーのとおり、”
Ideas for life” を実現してまい進して欲しい。