2018年11月14日(水)
電力の自然エネルギーへの転換は可能だ!

  『電気は生もの』という話は以前に何回か書いた。『生もの』は放置すると腐るが、まさか、電気が余ったから腐ったという話は聞いたことがない。
 『生もの』と言ったのは、『余っても、足りなくてもいろんな問題が起きる』と言いたかったから、そういう表現にした。
 要は、『欲しい時に、欲しい所で、欲しいだけ』電気が供給されるのが一番いい。

 新聞報道を見ると、「九州電力は太陽光発電の電力が大きく増加し、電気が余ったので、送電線につなぐ電力を制限する」というニュースが報道された。

 全国の原子力発電(原発)が東日本大地震、それに伴う大津波で福島第一原発が外部電源喪失で炉心冷却に失敗し、水素爆発を起こした。その後、全国の原発の安全性の確認と対策のため、原発は一時全部稼働を停止した。
 原発は一度稼働すると、通常は定格出力でフル運転を続けて、法定検査が来る1年後までそのまま稼働させる。一年毎に定期検査のため稼働を停止させる。
 福島原発事故で日本の原発安全神話が崩れ、各原発が定期検査のため次々と稼働を停止させていた。

 東日本大震災から7年間が過ぎ、各原発で比較的新しいものや、安全とみられるものを『新技術基準』の下で検査して合格したものは稼働をさせるという流れになってきた。 日本人の性格『喉元過ぎれば、熱さを忘れる』のごとし。

 このことは以前から随分、書いてきたので今回は別の角度から考えてみたい。
全国51か所の原発が一時期、完全に停止したので、電力危機が叫ばれ、節電や最悪は計画停電まで行うという話も出た。

 一方で、何とか他の電源を見出そうと、自然エネルギーの導入を進める策を打った。特に太陽光発電は自然エネルギー中でも、風力発電と共に有効な発電手段であり、固定電力買取制度(FIT)が導入され、全国各地で太陽光発電がたくさん設置された。
 
 家庭の屋根や学校の屋上や、工場の屋根などに太陽光発電パネルが沢山並ぶようになった。この近隣を歩いていても、屋根の上にパネルを乗せた家がよく眼につく。
 しかし、これらの発電による電力量は高々、自家で消費する電力を賄う程度である。

 最近、広大な平地や山間地などに大量のパネルを設置したメガソーラ―パークが各地にできてきた。1メガワットは1000KWだから、家庭の消費電力から割算すると、約500軒分に相当する。
 日本で一番大きなメガソーラパーク(発電所)は青森県六ヶ所村のソーラーパークで、11.5MWを発電する。そういう1万キロワット以上の発電所が各地にできてきた。
 
 九州電力の電力需要と供給の関係を図示すると、下図のようになる。
 
これを見ると、太陽光発電がなんと原発以上の発電をしていることが分かる。
 太陽光発電量;594万KW  原発は493万KW
太陽光発電が全需要電力の72%を発電している。
 
 太陽光発電は昼間しか発電しないので、昼夜を通して全電力を太陽光発電に頼ることは不可能だが、昼間の電力を如何に蓄電するか、または他のエネルギーに変換して夜に発電するか、そういう技術開発ができれば、危険な原発はゼロでも十分やって行ける事実を証明している。

 九州という土地柄もあろうが、この考え方を全国に広めてゆけば原発ゼロが達成できるはずだ。
 九州電力は余剰電力465万KWを中国電力、四国電力やその他の電力会社に送電し買電している。
 ここで課題は、大容量送電線網(ネットワーク)を構築する必要がある。
経済産業省は電力を規制する省庁だから、電気事業法を見直して、自然エネルギーの最大活用を一層進めるよう原発頼りから方針転換を早く進めてほしい。
 
 原発を稼働させると、ウランの燃えカスがさらに増える。その処理方法がないまま、ドンドン稼働させることは無責任極まりない。

 先般、東北地方の沿岸部をぐるりと回ってきた。大間岬や竜飛岬などは、常時強風が吹く地方なので、もっとたくさん風力発電を行うことができる。
 日本は海岸線が多いから、風の利用もさらに推進すれば、太陽光発電と合わせて十分電力の供給ができるはずだ。
 原発族という電力会社の既得権を擁護する政治家が沢山居るが、電力会社を守るより、再生可能エネルギーで安全・安心の国づくりを進めるべきだ。
 やればできる!
 




2018年10月23日(火)
「大勢順応という時代のわな」を読んで

 朝日新聞、10月21日(日)『日曜に想う』というコラムに興味を持ったので紹介する。

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「赤狩り」旋風が吹き荒れていた1951年のアメリカで奇妙な実験があった。
 大学の教室に集めた7人から9人の学生に2枚のカードを見せる。
1枚目には直線が1本、2枚目には長短の異なる3本が並んで描かれている。この内1本だけが1枚目の直線と同じ長さだ。

 学生たちは、その1本が3本の中のどれかと問われる。長短はかなりはっきりとしている。普通なら間違える率は1%に届かなない。
 だは、グループの学生の殆どが「サクラ」で本当の被験者が一人だけだとどうなるか。「サクラ」は事前に指示され多とおり同じ誤った答えを口にする。その時ただ1人事情を知らない学生の反応は?

 多数派に引きずられて答えを誤る率が、36.8%に上がった。誰も同調を強制していないし、答えが違っても罰則はないにもかかわらず、である。

 社会の多数派の声がどれほど個人の判断に影響するか。それを考えるために、心理学者のソロモン・アッシュ博士が行った実験だ。

 55年の米科学誌に掲載された博士の報告によると、多数派への同調の理由は一様ではない。自分が間違っていると信じた人もいれば、全体の輪を乱すのを恐れた人もいるらしい。自分に欠陥があると思い込み、それを隠そうとした例もあったという。
 コミュニケーション技術が発達して、人々の考えが操作され同意へと誘導される時代だからこんな研究をしておく必要がある、と博士は述べている。
 
 コミニケーション技術はその後、さらに飛躍的な発展を遂げた。博士の心配は深刻な現実となった。
 ネット社会では、人はしばしば少数派に陥ったような心細さに襲われる。まるで半世紀以上も前の教室で孤立した学生のように。

 たとえば、トランプ大統領を賛美するネット空間に入り込めば、違和感を抱いていても判断が揺らぐ。メディアが真実を突き付けても「フェイクニュース」だと信じる側に傾く。森友・加計学園問題は大した話ではない。という言説が溢れるところに身を置くと、何やらそんな気がしてくる。
 直線の長短の判断さえ、多数派と違えばぐらつく。より複雑な政治や社会の問題ではなおさらのことだろう。
 今、内外の政治を含む空気は右傾化やナショナリズムの高まりと呼ばれることが多い。けれど、むしろ支配的なのは大勢順応の気分ではないか。

 自民党の総裁選挙では、安倍晋三氏への支持は党員票では55%だったのに、国会議員では82%という高さだった。
 ネット空間ではないけれども、永田町もまた狭く閉じられた空間なのだろう。そこで大勢順応に流されてゆく議員たちの心の動きが透けて見えるような数字だ。
 もっとも、少数派だけが集う空間に浸れば、今度はそこでの多数派に影響されるかもしれない。同調を重ねながら、人は自分の意見を見失ってゆく。

 何故、人々は世界のひどい現状を受け入れるのか。問題は人々が反抗することではなく、従ってしまうことにある。

 そんな視点から現代を読み解いた本が昨年、フランスで話題になった。著者はパリ政治学院のフレデリック・グロ教授。政治的奴隷や市場への服従、大勢順応などの歴史と思想をたどる。米国の同調実験にも触れている。

 みんなの意見に溶け込んだ時の「真綿で」くるまれるような心地よさ、その「地味で自発的な大勢順応』がもたらす危うさ。教授は「あなたの代わりに考えることはだれにもできない」と「従わない」姿勢の意義を強調する。

 アッシュ博士によると、実験で一貫して正し答え続けた被験者は約1/4.
この人たちも心理的は圧力は感じたけれど、跳ね返したのだという。
 自分の考えは大勢順応ではないか。時代のわなに陥らないためには、そういう自問をし続けるほかない。

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 特に日本人は『個』の確立が弱い民族だと言われているので、まさにこの記事が示唆する点について、よく考えなければならないと思う。

 日本人は『他人に気遣う』『情に流される』ことが多い国民なだけに、逆に自己主張や自己を大切にする気質が脆い点に注意が要る。

 過去の歴史を振り返れば、ドイツのヒットラーや、旧帝国日本軍部なども、まさにこういう大勢順応の心理を巧みに突いて、国民を戦争に導いた、一種の洗脳とも言える心理的効果をうまく使った。

 いま、日本国憲法改正が盛んに話題になっている。特に憲法九条の改正が大きな課題に取り上げられている。自民党は憲法改正が党是だとまで言い切っている。
 
 安倍総理は、「自衛隊員の家族や、その子供たちが、親が国家のために働いていることを誇りと思えるような環境にするため、憲法に自衛隊(または自衛軍)という文字を書き込みたい」とまで言っている。九条に追加記入したいそうだ。
 
 憲法九条とは、
 
 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
 第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない


 この憲法のどこに不都合があり、どこを変えなければならないのであろうか?
今のままで、外国が攻めてきたときには、跳ね返す、または戦うことができないのか?

 法律の解釈とは、難しいものだ!



2018年10月7日(土)
自動車産業の苦悩! 伸び率が縮む市場!

 日経新聞 朝刊に『縮む新車市場、世界で成長率半減 保護主義を誘発』という記事が掲載されている。

 トヨタ自動車は現在ある5つの販売チャンネル(お店)をレクサスを除き、1つにまとめると発表した。トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、ビスタ店、トヨタオート店だが、ビスタとオート店が合併してネッツトヨタ店に変わっていたので、コローラ、トヨタ、トヨペット、ネッツ店が一つになる勘定だ。トヨタは40%を超える高いシェアを誇ったのも、この販売店のきめ細かなサービスが車の品質の高さと相まって、顧客に信頼されてきた。

 その販売店が、全店で同じ全車種を扱えるようになる。当然、トヨタ系列の店同士の生き残りをかけた食い合いが始まる。互いに値引き競争になる場合も生じる。
 
 しかし、その危険性を押してまで、店を統合する決意に至ったのは、余程の危機感が漂っている証拠だ。しかも現在の60車種を2020年半ばまでに半減し30車種に絞り込むそうだ。集中と選択による経営資源の効率化の取り組みになるが、それが果たして奏功するだろうか?

 確かに、覚えられないほどたくさんの車種が必要かと思うほど、チョイ換えの車が沢山あったのは事実だ。『下手な鉄砲、数撃ちゃ、当たる』からの脱却。いや、トヨタは下手な鉄砲ではなく、上手な鉄砲だった。

 いずれにしても世界NO.1かNO.2のトヨタですら、このようなドラスティックな販売チャンネルの見直しや、車種の絞り込みをしなければ生き残れないと判断したようだ。

 先日、東京に行った際、杉並の娘のマンションに立ち寄った。このマンションは2、3年前に新築した建物で駐車場に、BMWやベンツやボルボなどの高級外車がずらりと並んでいた。それを見て『すごいな!どんな人が住んでいるのかな』と思っていた。
 それが、先日行った時、外車と並んで、何と軽自動車が駐車していた。住民が入れ替わったそうで、軽自動車を乗る人に変わった。これは住民の所得が落ちたとは必ずしも言えないようだ。
 聞いてみると入居者の内、3割ほどの家族が海外赴任等で売り払っている。その後に入ってくる人は、どういうわけか年配者が結構いるそうだ。

 マンションは人に賃貸すると、帰国した際に相当多額の修理・修繕が要るらしい。
それなら、賃貸に出すより売り払って、帰国した時に新しい家を買う方がいいというのが、今時の人の考え方らしい。

 マンションの話をするつもりではなく外車が軽自動車に変わったことを言いたかった。
 この場所は東京23区内でも、建築の高さ規制がされているので高層マンションは全くない。静かで住環境がよく、都内でも人気が高い場所だ。

 街中の一角に、BMWの大きな販売店があり、今まで何回かその店の横を歩いて通り過ぎマンションに行ったが、店内を見ると新車と並んで、BMWの中古車で、きれいな車が120万円とかで売っている。これなら買えるなという値段だ。すぐ近くにはベンツの販売店もあり、住宅街の近くに外車の店が建ち並ぶほど需要があるのだなぁ!と感心した。
 しかし、東京都内でも次第に軽自動車が増えてきているような気がする。自動車の販売ランキングを見ると、1位から3位、4位あたりまで軽自動車で占められている。直接軽自動車を持たないトヨタ自動車、ニッサン自動車などはこれに危機を抱いている。
 (もちろん、OEMなどで軽自動車も売ってはいるが、・・・)

 一昨日、トヨタ自動車の豊田社長とソフトバンクの孫さんが自動運転車の開発で開発会社を共同で設立する発表があり、二人が仲良く握手する姿をテレビ中継していた。
 
 今後、10年ほどで、自動車の姿が大きく変わり、自動車会社は今、大きな曲がり角に差し掛かっている。
 自動運転という技術的な課題だけではなく、肝心の販売が伸びなくなってきたことが悩みだ。加えてカーシェアリングが増えてきたので、自家用車を所有するという感覚が都市部を中心に次第に変わってきている。クルマの所有はステイタスではなくなった。
 
 さらに、世界的に、既にアメリカの自動車の販売は成熟化して伸びは期待できない。今後、中国に期待したいと思っていた矢先に、中国の販売も鈍化してきたようだ。
そうなると、パイが一定の中での食い合いが始まる。アメリカは自国の市場は高い関税をかけて保護する動きを始めている。

 世界がグローバル化、ボーダレス化する中で、逆行するような動きに見える。
 
 車は、一方でEVや自動運転に対する多額の開発コストを負担しながら、市場は成熟化し、カーシェアリングという使い方が増えると、ますます新車の販売は難しくなる。
 今後、どういう展開になるのか、各社の動きに注目したい。

 
 日経新聞の記事の一部を紹介すると、 
 
世界の自動車市場が転機を迎える。
2018~25年までの新車販売の年平均成長率は約2%と、約4%を維持した11年以降から半減する。主な原因は2つ。
カーシェアなどデジタル化の流れと、二大市場である米中の急減速だ。
成長を前提としてきた自動車産業は不透明な時代に入る。

中国の新車市場は18~25年の年平均成長率が2.6%と、11~17年の8%から急減。
米国を抜き世界最大市場に躍り出たが、都市部の市場飽和や地方経済の停滞でブレーキがかかる。投資を抑えなければ、鉄や造船のように生産過剰を招きかねない。

 中国だけではない。25年の世界販売は1億1000万台程度と、17年比で約1600万台増える見通し。18~25年の年平均成長率は2.0%。11~17年の3.7%からほぼ半減することになる。

 変節の一因はデジタル化による構造変化だ。
米グーグルやアップルなど世界のIT大手が自動運転技術で攻勢をかける。その先には、車を所有せずに共有するカーシェアの普及が現実味を帯びる。
 30年までに人々の移動距離の最大37%がカーシェアや自動運転車が占めるようになるという話もある。
 特に先進国で影響が大きい。
日本の年率は11~17年の3.7%増から18~25年には1.5%減になると予想。北米5.3%増から0%に減速する見通しだ。

「北米自由貿易協定(NAFTA)は米国から雇用を奪ってきた」。
トランプ米大統領はNAFTAの見直しでカナダ、メキシコと新協定を結ぶなど生産の米国回帰の果実をもぎ取りつつある。

 自動車産業のすそ野は広く、米国では700万人以上の雇用を創出している。何も手を打たなければ自動車産業が空洞化し、雇用減や消費の減退に陥る危機感が保護主義を誘発している。
 トランプ政権は中国との貿易戦争でも矛を収める気配を見せない。米中などの関税引き上げで貿易コストが上がり、世界の国内総生産(GDP)が1.4%下がる試算もある。
自動車の成長力の落ち込みで、保護主義がほかの国に広がる恐れも否定できない。

成長率の減速は、限られたパイの奪い合いを通じ優勝劣敗をより明確にする。
自動車各社は5~10年後の競争力を分ける転換点に立っている。


 自動車産業は、すそ野が広い産業分野と言われるので、自動車産業が停滞するようなことが起きれば、世界の景気は急にしぼむと考えられる。
 そうなって欲しくないが、いつまでも現在の豊かな時代は続くと考えにくい面もある。


2018年10月6日(土)

ついに、マツタケの完全人工栽培に成功!
もうすぐ、年中・何時でも香りのいいマツタケが食べられる!

やったぜ! 多木化学(タキカガク)

 兵庫県加古川市別府町にある化学会社(従業員453名)で、創業は1885年、創業者は『今後の日本の農業の発展には化学肥料が必要になる』という決意で、人造肥料の開発に成功し、その後、アグリビジネス、工業薬品、機能性材料、バイオテクノロジーの新分野、新事業にも進出。東京一部上場会社。 資本金は21億4700万円

 今回の『バカマツタケ』の完全人工栽培の成功について、多木化学は昨日、プレス発表したので、そのまま紹介する。
   2018.10.4
多木化学株式会社
研究所・ライフサイエンスグループ

バカマツタケの完全人工栽培に成功

1. 技術情報
<技術背景>
 
 きのこは、私たちが古くから食べてきた食材です。また、シイタケ、マイタケ、ブナシメジなど人工栽培が可能になったことで、いつでも食卓に並ぶようになっています。

 しかしながら、植物と共生する「菌根菌」に分類されるきのこは、生きた植物から栄養をもらいながら成長するという特徴から、人工栽培が難しいとされています。特に、マツタケ近縁種は、日本人に好まれるきのこであることから、多くの研究者が「完全人工栽培※1」に取り組んできましたが、成功した例がありません。

 バカマツタケ(学名:Tricholoma bakamatsutake)は、マツタケ近縁種のきのこで、香り、味はマツタケ以上とも言われています。マツタケより小ぶりで、赤松以外の植物(ブナ科)と共生し、発生時期が一ヶ月ぐらい早い(8 月下旬~9 月下旬)のが特徴です。
そのため、地域によっては早松(さまつ)と呼ばれ、珍重されていますが、一般の店頭に並ぶことはほとんどありません。

<研究開発>
 当社では植物に頼らない培養系でバカマツタケの完全人工栽培に取り組みました。植物と共生しないことで培養期間が短く、「季節を問わず年中供給」できるメリットがあります。また、室内環境で栽培できることは、自然環境で育ったものと異なり「虫混入の心配がない」メリットも生まれます。約6 年間の研究期間を経て、マツタケ近縁種のきのこで初となる完全人工栽培に成功※2しましたので概要を紹介します。

 研究開発の早い段階から、バカマツタケ原基(バカマツタケの赤ちゃんのようなもの)の形成には成功していました。しかしながら、子実体(傘をもつきのこの形態)にすることができず、原基から子実体への形態変化を促すための各種シグナルを試し続けました。植物共生時の植物とのやり取りが分かっていない中での検討でしたので、試行錯誤の連続でした。
 
 2018 年4 月3 日、検討していた実験系の中からバカマツタケ※3の子実体が確認されました(培養期間約3 ヶ月)。得られたバカマツタケのサイズは、長さ約9cm、重さ36g で、天然のものよりやや大きいくらいでした。
 その後も、バカマツタケ子実体が形成されています(合計14 本)。食味も確認しましたが、バカマツタケ特有の香りも強く、良好な食感が感じられるものでした。

 マツタケ近縁種は、植物との共生が必須と考えられていました。今回の研究成果は、その定説を覆すものであり、学術上の大きな発見になります。私たちの生活にとっても、菌床栽培(一般的な食用キノコの栽培方法)の技術であることから、バカマツタケが身近なキノコになることが期待されます。

※1 完全人工栽培;天然のきのこから分離した菌株を、植物と共生せず、室内の人工   栽培環境下のみできのこを得る方法。
※2 近年、人工的に菌糸を増やしたあと、自然環境にある木に共生させてバカマツタ    ケを得た報告がありますが、自然環境に頼らない完全人工栽培はありません。
※3 バカマツタケの子実体であることは、遺伝子解析で確認済。


 以上。


 マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境に適応しやすいので栽培もしやすいのではないか?と注目する研究者はたくさんいた。

 実は昨年、奈良県森林技術センターが人工培養菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。

 多木化学は、これとはまったく違う手法で成功した。
というのは、木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させた。これは画期的なことで、キノコ栽培の常識を覆す大発明かもしれない。

 なぜならすでに栽培に成功しているシイタケやエノキタケ、ナメコ、ブナシメジなどは、朽ちた樹木など生きていない有機物素材を栄養源とする腐生菌類である。
だから菌床栽培は比較的簡単だった。

 しかしマツタケ類などは菌根菌類と呼ぶ生きた植物と共生するキノコ菌糸が植物の根に伸ばして栄養を交換する。それだけに人工的な栽培は難しいと考えられてきた。
とくにマツタケ類は植物との共生が必須と考えられてきた。

 これまでマツタケ菌糸の培養に成功した例はいくつかあるが、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。
 多木化学は菌糸から子実体を出させるシグナルを見つけた。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だ。

 多木化学は2012年からバカマツタケの完全人工栽培に着手。今年4月に完全人工栽培の成功を確認した。
 得られたバカマツタケのサイズは長さ約9センチ、重さ36グラムで、天然ものよりやや大きいかった。栽培期間は約3カ月。遺伝子チェックもしており、バカマツタケで間違いない。その後も次々と発生して、現時点で計14本になったという。

 菌床栽培なら、植物と共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培だから虫の被害に合わず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。
同社は特許を申請中で、3年後の実用化を目指すとされる。

 菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフやポルチーニ、ホンシメジ、タマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功がこれらの人工栽培技術にもつながるかもしれない。ワクワクしますね!

 ちなみにマツタケ類の中には、マツタケモドキ、ニセマツタケという種もある。こちらもマツタケそっくりなのだが、残念ながら味や香りは劣るようだ。だが、バカマツタケの栽培が軌道に乗って販売が広がれば、本家マツタケが異端扱いされる時代が来るかもしれない。

 現在は韓国産や、北朝鮮産や、中国産や、カナダ産などの輸入が増えている。国内産マッタケは松林が手入れ不足で荒れて、なかなか取れないので、国産マッタケは非常に高価な食材になった。
 子供の頃は家の松林のあるところでマツタケが生える場所があり、毎年何本か取れたので、特に貴重なものだとは思わなかった。今は年に一度も口にできない。

 今回の多木化学のバカマツタケ完全人工栽培成功は、『いよいよマツタケがシイタケのように、いつでも口に入る時代が来たな!』という気がする。
 
 多木化学は昨日、このニュースの後、株価が1000円を超えストップ高になった。
今後もまだ上がるかも?




018年9月22日(土)
E=mc2 のからくり」を読んで
エネルギーと質量はなぜ「等しい」のか



山田克哉
講談社
ブルーブックス B-2048
定価1000円+税

 またまた頭の痛くなるような本を紹介する。

 高校の物理で習う誰もが知っている公式? 
 アルベルト・アインシュタインが1905年に発表した『特殊相対的理論』と呼ぶもの。
この公式の発見が、人類の幸福や不幸を招いたと言っても過言ではない。

 この公式は、光速不変を元にして成り立っている。この宇宙に存在するあらゆる速度は相対的であるが唯一の例外は「絶対速度」をもつのが光だとしている。 光速 C=秒速30万kmだという。

 この公式 E=mc エネルギーと質量は等価であり、光速の2乗という定数を介し、E(エネルギー)と(質量)は比例関係にあることを示している。
 等価とは、エネルギーは光に、光はエネルギーだと言えることを意味する。
 ここまでの説明で、もう頭が痛くなり、何を言っているのかと輸鬱になりそう。
 
われわれの頭脳では内容を理解しようとしても、目に見えない現象や、桁違いの数字などが出てくるので、頭がパニックになり、パンクしそうになるから。

 もう少し突っ込んだ話をすると、通常、我々が見る現象はガスや木が燃えて光や熱を出す状態である。さらに、一歩進めて考えると、電気がある。電気は目に見えない。
なぜ、スイッチを入れると電球や蛍光灯が光るのか? これまた不思議な世界である。
ガスは燃えると、炭酸ガスと湿気(水)が発生する。何かの状態が変化すると、何か別に他のモノが必ず生じる。
電気が光に変わっても、光が生じるが他に何も変化がないように思える。それは別の場所(発電所)で電気を起こして送ってきているから、電気を使う場所では変化がないように見えるだけ。発電所は水力や、火力や、原子力や風力や太陽光など電気エネルギーの元になるエネルギーを使って電気を生み出している。それを送電線で電気を使う場所まで送って来ている。

 世の中はすべて、チャラだということだ。
原子力だって、ウラン燃料を燃やして(原子核分裂反応を起こして)熱を取り出す。そうすると、ウラン原子は、ウラン原子量の半分ぐらい原子であるイットリュウムやヨウ素などの原子に変わる。原子核が分裂して、他の原子に変わる。その際に大きな崩壊熱を発生させる。その原子核が崩壊した際に、元のウランの原子の重さより、新しく生まれた原子の重さがわずかに軽い。その重さの差の分が桁違いの崩壊熱となって生じる。この関係式が、E=mc2 ということだ。

 しかし、その状態を直接目で見た人は誰もいないし、見えるような大きさではない。
だから、こういう物理学の研究は、実験で確かめることができる部分は実験で検証して法則や公式が生まれてきた。
一方で、原子核や原子の構造に関する事象は、いくら倍率の高い電子顕微鏡を使っても見ることができないので、頭の中でバーチャルな実験や検証を行ってきた。だからこの分野では、新しい発見や学説が発表されるが、それは計算や思考に基づくものであり、発表の後で世界中の研究者がいろんな実験や研究をして後で認めるという後追いの形になっている。
 アインシュタインの特殊相対性理論も1905年に提出されたが、その後、この理論を確認できたのは後になってからだ。
 
 この天才、アインシュタインだって、一人で全てを発案したわけではなく、先人の多くが積み重ねてきた重力や運動や電気などに関する物理学の法則などを元にして、独自の理論を形成した。科学技術は全てに言えることだが、一朝一夕にできたものではない。
それでは、本書の内容のタイトルを紹介する。

■各章のタイトル
 第1章:物理学のからくり
      自然現象を司る法則の発見

 第2章:エネルギーのからくり
      物体に変化を生み出す源

 第3章:力と場のからくり
      真空を伝わる電磁力と重力の不思議

 第4章:人間が感知できない世界のからくり

      秘められた物理法則と光子の不思議
 第5章:E=mc のからくり
      エネルギーと質量はなぜ等しいのか

 第6章:真空のエネルギーのからくり
      E=mcと場の揺らぎの不思議



単位の検証 
  
  E=F×d  
   
仕事(エネルギー)=力(F)×動いた距離(d)
    エネルギーの単位;ジュール [J]

  
 1J=1N(ニュートン)の力をその方向に1m(メートル)動かすのに要する仕事
   
  F=m×a
  
 力(F)=質量[m]×加速度[a]
   
質量(m)の単位;kg
    加速度(a)の単位;m/sec2

   
1N(ニュートン)=1kgの重さ(質量)×m/sec

  
E=F×d=(m×a)×d
   
単位でみると
  (kg×m/sec)×m =kg×m/sec=kg×(m/sec)

  上の式は、エネルギー(仕事)は(重さ)×(速度) を示している。
   
  E=
mc と一致する。

 
■原子爆弾はなぜ怖いのか?
  
広島型原爆は弾頭に装着された約64kgのウランの0.0011%に相当する0.7gがエネルギーに変化しただけで、あの甚大な被害を及ぼした。

 0.7×10
-3×(30×102=6.3×107[J] 
  
1[w』は、1秒間に1[J]のエネルギーが生じる事。
   もし、6.3×10〔j〕が1秒間に発生したとすると、6.3万KWの電力に相当する。

 原爆は一つの原子核が中性子を吸収することによって二つの軽い原子核に割れる。これを
核分裂と呼ぶが、この時に膨大なエネルギーを放出する。
 核分裂後の二つの原子核の質量を足し合わせた総質量は、分裂前の原子核の質量に吸収された中性子の質量を含めた総量より軽くなる。
 つまり、核分裂の前後で、
質量差が生じる。この質量差に相当する質量が核分裂の際に消滅したことになる。この消滅した質量がE=mc2 を通してエネルギーに変換される質量のエネルギー化です
 
 現在、福島原発の爆発事故の後、ほとんどの原子力発電所は稼働停止している。
原子力発電所の炉心では、ウラン燃料が核分裂反応を連続的に繰り返し、この状態を臨界と呼ぶが、一定の莫大な熱を発生し、それが冷やされて水蒸気となって蒸気タービンを回し、その軸につながる発電機を回して大量の電気エネルギーを発生させている。ごくわずかなウラン燃料が分裂して質量差が生じる(質量欠損ともいう)ことで、膨大なエネルギーを生み出している。

 核分裂反応は、ウラン原子から出る中性子がウラン燃料のウラン原子核に衝突することでウラン原子核が二つの原子核(イットリウムやヨウ素など)に分裂する。

 これはまさに、一個の卵子に精子が入ることで、卵子の細胞分裂が始まるのに似ている。細胞分裂は生体の細胞が分裂する現象なので静かに粛々と進行する。

 ■ウラン核分裂反応は?
 ウラン原子核分裂は、1個のウラン原子核に1個の中性子は当たるとウラン原子は二つに分裂し、二つの中性子が飛び出す。この飛び出した二つの中性子がウラン原子に当たるとさらに分裂する。ネズミ算式に分裂が生じる。
 この反応を瞬時に起こさせると原子爆弾になる。

 この反応を連続的に一定の割合で起こさせると、原子力発電等の熱源として利用できる。反応が過剰になると臨界状態を超え、超臨界状態になると制御が効かなくなる。原子炉の暴走という事態だ。そうなれば原子炉は一気に高温になり炉心が爆発する。

 福島原発の爆発は、炉心の水が少なくなり空焚き状態になり、水が高温で分解して酸素と水素が発生し水素爆発したもので、原子炉の炉心が暴走したという状態ではない。もう少しで、炉心爆発する寸前で食い止めた。
 炉心は常に水で冷やさなければ炉心溶融する。また水は中性子を吸収する作用があり、原子炉の過剰反応を抑える働きも兼ねている。

 本書に戻ると、高校で物理をかじった人で、原子力や、宇宙の真空のことや、宇宙の起源などに興味がある方は是非読んでほしい。
 優しく書いてくれているが、やはり、目に見えないことばかりの現象や理論なので、理解するのが難しい。
 頭の体操には良いかもしれません。



2018年9月17日(月)

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読んで

光文社新書
山口 周 著
定価 本体760円+税

 タイトルを見ると本の内容が大体掴めるが、この本は内容がタイトルからは想像しにくい。 副題として、経営における「アート」と「サイエンス」となっている。

 なぜ、この本が眼につき、買ったのか?
 以前、松下電器、今のPanasonicに勤めていた。事業部はステレオ事業部で、開発や商品企画をやり、その後、管理職としてモノづくりの上流から下流まで携わった。

 昭和50年代~60年代は円高が進んで、特に対米輸出はコストが合わず苦労したが、今考えると、まっとうな苦労であった。目指す目標や相手が明確だった。

 定年間近になって、松下電器の経営がおかしくなった。経営戦略でいろんな失敗が続き、残念ながら創業者の理念とはかけ離れた会社になった。5年、10年という5年毎の経営スタンスと、25年、50年、100年という25年周期の長期ビジョンと組み合わせ、遠大な構想を描いた幸之助創業者の思いだったが、結果として世の中の変化にうまく対応しきれなかった。経営の失敗続きと言える。

 創業50周年の節年に松下電器に入社し、いろんな記念行事があり、桐の箱に入った創業者の銅製メダルを記念品としてもらった。今も大切に保管している。
 新入社員は銅、入社5年以上?は銀、入社10年以上は金(メッキ)のメダルだったと記憶している。

 その年、松下電器は新聞各紙に『我々は、恐竜のようになりたくない』という全面広告を出した。要は、「松下電器がいかに大をなすとも、一商人の心ざしを忘れず」という創業者の戒めであった。大企業病になってはならないという諭だと思った。

 その後、SONYとAV分野で無用な張り合いをしてアメリカの映画会社MCA(数千億円)を手に入れたり、テレビ事業ではプラズマを本命だとして推進し巨大な投資(数千億円)をしたが、液晶陣営に惨敗した経緯があった。
これで、松下銀行と言われた現金の内部留保は殆ど底をついた。

 次第に経営スタンスは内向きになり、国内の家電市場は成熟化の状態になっていた。さらに、いいモノを作れば売れるという供給者としてのメーカの身勝手な立場に立ちモノづくりを進め、お客様(ユーザ)を見忘れた。成熟化した国内家電市場はもう伸びないとまで言われた時期があった。確かに国内を見ているとそのとおりだった。

 しかし、見忘れたのは世界の市場だ。世界には未開拓の大きな市場があった。

 随分昔の話だが、Technicsの市場調査や、CES(CEショー)やIFA(ベルリンショー)などで海外に行く機会が年に数回あり、アメリカやヨーロッパ各国を回った。
 海外の空港ロビーや街中のビルには、SONYとPanasonic、Canonなどの看板が一番目立つところに掲げられていた。それを見ると、社員としては大変誇らしかったのを覚えている。

 ところが、退職後、海外ツアーに行くようになり、各国の主要空港ロビーや街中を歩いても、SONYやPanasonicなど日本メーカの看板が眼につかなくなった。

 一番、残念だったのがペルーに行った時、リマ市内を歩いてショッピングセンターの電気屋に立ち寄った時、眼についたのはGEと、SAMSUNG(サムスン)とLG(LG電子)の韓国メーカー2社の商品ばかり並んでいたことだ。
 現役時代は殆ど見なかった韓国メーカが伸びて、元気に活躍していた。

 その後の半導体や、液晶テレビや有機ELテレビなどのディスプレイは韓国メーカに完全に席巻されてしまった。
 これには大きな原因や理由があるはずだ。
 そうこうしている内に、パソコン時代が到来した。降って湧いたようにノートパソコンにリンゴをかじったロゴのアップル(Apple)が現れた。リンゴをかじった右の写真の奇想天外なロゴと共に。
その後、i-Pod、i-Phone、i-Padなどを次々と商品化して人気を独り占めした。
 創業者Steve Jobsの卓越した経営手腕と感性によるモノづくりが冴えわたっていた。

 商品が溢れる市場(需要<供給)においても、Jobsの描いたデザインは、比類のない感性豊かな卓越したものだった。一見するとすぐ分かる!
それが世界中の人々の心を鷲づかみにした。

 これだけ商品が溢れる市場ですら、こういうモノをつくれば爆発的に売れるという証拠を見せられた。

 Steve Jobsとはどういう人なのか? 
そこで、左の写真の単行本、ウォルター・アイザックソンの著書「Steve Jobs」を買って読んだ。
 講談社 定価1900円

 非常に残念なことだが、天才Jobsは、若くしてガンでこの世を去った。
彼の豊かな並外れた感性はどうして生まれたのだろう 
 彼は日本の伝統文化に非常に興味を持ち、お寺や仏像、庭園などを良く見て回ったそうだ。そこで彼一流の美学を磨いたのだ。

 そういう美学と豊かな感性の持ち主が成熟化した時代のモノづくりの真髄を見せてくれた。
 それは、Appleの商品は、他の商品と一味違う飛び抜けた感性があることだ。

 そしてもう一つの例がある。 それは英国で生まれたダイソンの羽根のない扇風機(左)と、サイクロン掃除機(下)だ。
 この二つは、『もうこれ以上大きな進化はない』と言われた家電商品で、従来にない全く斬新な発想で生まれた傑作の商品だ。

 Appleとダイソンの2つの事例を見ると、何物にも囚われず自由な発想で、自分の思い描いたモノを造り出すことに生きがいと喜びを感じて取り組んだに違いない。

 
 逆に大企業の中で長年モノづくりに携わってきた社員は、『もうこれ以上は・・・・』という壁(限界)を無意識に意識してしまい、自由な発想が萎んでしまっていると言える。
 言い方を変えると、大企業で研究、開発、設計等をやっていると、今まで積み重ねて取り組んできた技術やデザインが身に沁みついてその範疇で新しいものを模索する。
そうなると、従来になかった奇抜な発想やデザインを想像する邪魔になる。

 ダイソンの羽根のない扇風機を見た時に、どうして風を起こしているのだろうと不思議な感覚と驚きを感じた。同時にこの扇風機があれば、子育てする時に子供が羽根に手を入れて怪我をすることはないなぁ!という気もした。
 子育てした当時、松下電器がガードに手を触れると、羽根が瞬時に止まる装置を開発し、“ストップ扇”という愛称で売り出した。高価な商品だったが、買ったことを覚えている。こういう商品企画の発想は、『扇風機はプロペラの羽根が回るものという概念のもとに、では怪我しないようにするにはどうするか?』という連続した発想の線上のアイデアだ。ダイソンの扇風機は、全く新しい発想から生まれているところがすごい!

 

 それでは、どうすればいいのか? 
 良い知恵がなかったが、たまたま本屋で手にしたこの本がその疑問に答えてくれたので紹介する。前置きが長くなってしまった。

 ここからが本書の紹介
 2、30年前から社会や経済活動がグローバル化やボーダレス化すると言われるようになったが、グローバル化するとどういう姿に変わるのか? イメージは出来ても、よく分からなかった。簡単に言うと、世界各国の境界が無くなり、自由にモノや情報が行き来するようになり、お金は水が流れるように高いところから低いところにドンドン流れるようになると言うこと。これは経済活動上のことで、各国の主権や国家体制まで否定はしないということだ。

 企業はグローバル化で市場が拡大し、外国や地域に進出して活動を展開してきた。加えて、モノや情報など最先端技術商品さえ、あっという間に世界の隅々まで広がる時代を迎えた。
 
 昨日の民放テレビで、地球の最果て(普通は誰も足を踏み込まない地域)に住む人々の番組で、中国四川省の山奥に住んでいる人々でさえスマホを使っている事を紹介していた。電気もまともに供給されないような地域ですら、ケイタイやスマホが使われる時代だ。スマホの充電のために何時間も歩くとも聞いたことがある。
 
 デジタル無線技術の劇的な進化は、従来の電話(有線)を駆逐してきた。というより、電話線を山奥や孤島のさいはての部落に電柱を建て、電線を引っ張る工事は大変なので、アンテナタワーを一本建てればスマホなら何台もすぐに使えるようになる。
 だから発展途上国はスマホは使うが、有線電話を知らない人が多い。そういう人までスマホやケイタイ電話を使っている。
 このことは、従来の概念を根底から覆す現象が生じていると言える。


 そういう変化(潮流)の中で、本書は従来の企業幹部の育成のためのMBAを目指す大学より、今、世界のグローバル企業の幹部トレーニングとして人気があるのは、美術系大学院大学に注目が集まっているという。

 英国のロイヤルカレッジオブアート(RCA)は修士号・博士号を授与できる世界で唯一の美術系大学院大学。2015年の「アート・デザイン分野」の世界一位にランクされた視覚芸術分野では世界最高の実績と評価を得ている。
 上で紹介したダイソン社の創業者はジェームズ・ダイソン。彼もこのRCAでプロダクトデザインを学んだ一人。
 
 このRCAは最近「グローバル企業のトレーニングビジネス」を展開している。
 世界の名だたる企業、例えば自動車のフォード、カードローンのビザ、製薬のグラクソ・スミスクラインなどが幹部候補生を送っている。

 今まで、各企業はマサチュセッツ大学などのMBA(Master of Business Administration)コースに数年間留学させ、MBAを取得するのが当たり前だったのが、流れが変わって来た。

 なぜ、そういう変化が起きているのか?
 この変化に着目し、時代の潮流を掴んだのが本書で、それは酔眼と言える。

 それは、グローバル企業の幹部(世界で最も難しい経営課題の解決を行う事を要求される立場の人たち)は、これまでの論理的かつ理性的思考のスキルに加えて、直感的・感性的なスキルを身に着け、磨くことを期待されているからです。
 
 彼らは美術館をよく訪れ、美意識を磨く。
例えば、ニューヨークのメトロポリタン美術館や、ロンドンのテート・ギャラリーなど大型美術館には社会人向けのギャラリートークのプログラムが用意されている。
 
 ギャラリートークとは、美術館員(キュレータ)が訪れた人(ギャラリー)と一緒にアート作品(陳列している有名な芸術作品)を鑑賞しながら、作品の美術史上の意味や見どころ、製作にまつわる逸話などをギャラりー(参加者)に解説してくれる教育プログラム。このギャラり―トークの参加者は、以前は旅行者や学生で占められていたが、最近はスーツを着た人々が増えてきたそうです。
 早朝のギャラリートークには、出社前に参加しアート(美意識)を磨いている。

 ではなぜ、世界のエリート(経営幹部、幹部候補者など)がそこまでして「美意識」を鍛えるのかです。
 本書では、その点について分析を試みています。
 これまでのような「分析」「論理」「理性」を軸足を置いた経営手法、言い代えると「サイエンス(科学)重視の意思決定」では今日のような複雑で不安定な世界において、ビジネスの舵取りをすることができないからです。
 分かるようで分かりにくい表現ですが、もう少し我慢して読んで下さい。

 そういうふうに考える理由は何か? です。

理由その(1):論理的・理性的な情報処理スキルの限界が見えつつあること。
  それには二つの要因があります。

 ①多くの人がMBA等で分析的・論理的な情報処理スキルを身に着けた結果、世界中で起きている現象は「正解のコモディティー化」ということです。
ビジネス幹部が、情報の分析・論理的な思考や、判断のスキルを身に着けた結果、彼らが出した解は他の人と同じ解になったということ。
   
 ちょっと分かり易い例で説明しますと、数学の答えと同じことです。
世の中の諸問題は簡単な数学の方程式のようなものではなく、多次元多次方程式  の解を求めるようなものですから、解は一つではありません。
 しかし、多くの人達がそういう厄介な課題を解くスキルをMBAで学べば、解は自ずと 同じになります。科学的な分析で得られる解は同じであるという事。
科学とは、その条件下では再現性があるということですから。
だから独自性がなくなるのです。みんなドングリの背比べ的な解になります。

言い代えると、「差別化がなくなる」「みな同じ答えになる」ということです。
経営の意思決定が過度に「サイエンス」(論理や分析)に偏ると必ずこのような問題が生じます。


 ②分析や論理の情報処理スキルの方法論としての限界
  新しい言葉ですが、「VUCA」という言葉があります。
   ;Volatility;不安定
   ;Uncertainty;不確実
   ;Complexity;複雑
   ;Ambiguity;曖昧(あいまい)

  の4つの単語の頭文字を組み合わせたものです。
  
今日のような不安定・不確実・複雑・あいまいな世の中に於いて、論理的かつ理性的であろうとすれば、経営における問題解決や創造力の麻痺をもたらします。
  
これまで有効とされた論理思考のスキルは、前提として、問題の発生やその要因を単純化した静的な因果関係のモデルで、その解決を考える事でした。
  
だから今日のようなVUCAの時代では、MBAで学ぶこの解決方法は機能しない
それを強引に推し進めようとすれば、迷路に入り意思決定は膠着状態に陥る。
ではどうすればいいかです。
VUCAの環境下では、全体を直覚的に捉える感性と、『真・善・美』を感じる美学や構想力や創造力が求めらるのです。

理由その(2)世界中の市場が「自己実現的消費」に向かいつつある。
世界中に広まった豊かさは、ほとんど全ての人に『自己実現』を可能にしたこと。
どういう事か?

人類史上はじめてと言える「全地球的規模の経済発展」が進み、世界は「自己実現要求の市場」になりつつあることです。
こういう市場で戦うには、細かなマーケティングを行い論理的に機能的優位性や価格競争力を付けることより、人が認めてほしい欲求や、自己実現欲求を刺激するような豊かな感性や美意識が重要になります。

マズローの「欲求の5段階説」で考えると、経済成長により生活水準が上昇し商品やサービスに求められる「安全欲求」、「帰属欲求」、「承認欲求」から最終的な「自己実現欲求」へと進みます。

先進国の消費行動が「自己表現のためのシグナルの発信」に他ならない事から、多くの発展途上国にも当てはまるようになってきました。
すべての消費ビジネスがファッション化しつつあると言えます。
こういう世界においては企業リーダの「美意識」の水準が企業の競争力を大きく左右することになります。

理由その(3)システムの変化にルールの制定が追いつかない
社会の変化が速い現在、法律の整備が追いつかない状況が生じている。だから法律だけを拠り所にして判断する考え方、「実定法主義」は結果として大きく判断を誤る恐れがあり危険。実例では、旧ライブドアやDeNAの不祥事です。

変化の激しい現在では、ルールの整備はシステムの変化に引きずられ後追いで行われます。そういう状況下では、経営の意思決定は明文化されたルールや法律だけを拠り所にするのではなく、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断することが必要になります。

 
□まとめ(総括)
マーケティング手法や、経営分析手法は論理的で科学的なもので、ある条件のもとではその答え(解)は正しいと言える。
しかし、現在のように急激に変化が起こり、進化するVUCAの時代では科学的手法のMBAや、マーケティングを行っても、答えが出る頃には前提条件が代わっていることが多い。
ということはせっかく綿密な調査や分析をしても、得られた答えは陳腐化している。
これを乗り越えるためには、科学的分析手法を活かしながら、自らの感性や美的センスを磨き、創造的な答えを見つけ出す以外に方法はない。
 
本書は難しい言葉の表現が様々あり、読み解くには躊躇するが、欠かれている内容は概ね理解できるし、共感する。  

メーカとして商品が大ヒットし販売を伸ばすには、他社と同じものを作っても意味がない。しかし商品がユーザに受け入れられない飛び跳ねたモノも意味がない。

ユーザーが一見してハッとする、心に突き刺さるような商品、そういうモノづくりをしたい。言い代えると、優れた商品や、優れたデザインは誰が見てもハッとする何か強く訴える力を持っている。それは
完成された形とでも言えるかもしれない。
しかし、
それを乗り越えるデザインは他にも必ずあるという信念を持って取り組むことも大切だ。

本書の副題の「経営におけるアートとサイエンス」と言う意味は、経営は論理的に成り立っていること、サイエンスや論理がベースに無ければならないが、現在のVUCAの時代は、それに加えて、美的感性を持つことが大切だと言っている。

 (注)草色の部分は、小生の追記した内容です。



2018年8月21日(月)

『歎異抄をひらく』を読んで

 

1万年堂出版 
定価(本体1600円+税)
単行本
高森 顕徹著

 お盆も過ぎて猛暑も峠を越えたのか、朝夕はめっきり涼しい日がやってきました。
これからも、まだ暑い日もあるでしょうが、季節は着実に秋に向かっています。

 「台風の当たり年」という言い方が昔ありましたが、今年の台風の発生数と進路は従来と全然違うようで、気象庁も戸惑っているようです。
 台風20号は紀伊水道に突っ込んできそうな予想になっています。私どもアマチュア無線家にとって、高い位置にアンテナを上げるので、雷と台風(強風)が一番怖い存在です。20号が無事に通過することを祈っています。

 秋と言えば、昔は『読書の秋』という言葉がありました。また、『秋の夜長』や『灯火親しむ候』というノスタルジックさを感じる言葉がありましたが、昨今のスマホ時代は、年中何でもありという感じで、人々が異次元の生活しているように感じます。

 我が家の近くに『平和台霊園』という広い墓地があり、お盆、春秋のお彼岸にはたくさんの墓参りの人で賑わい、その時はガードマンが出て周辺の交通整理をしています。
 しかし、今年のお盆の墓参りの人は例年より減ったな?という感じを受けました。

 これは、ご近所を見ても分かりますが、年々歳を重ねていますので、以前のように動ける方が減ってきたのが実態です。自分の体が動く内は、先祖を供養する墓参りを欠かさなかった家も、自分の体が動けなくなったらお仕舞です。

 知り合いに墓苑管理者(墓守)をされている方が居ます。最近のお墓事情を聴いてみると、なるほどと思いました。
 誰も参らないで、周囲に雑草が茂り、荒れ放題で放置された墓が年々増加して困っているということです。

 そこで、ネットで少し調べてみると、墓に関する法律について、分かり易く書かれた記事がありますので紹介します。

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 お墓は「墓地」にしか作れない

 お墓に関しては、「墓地、埋葬等に関する法律」という法律があります。略して、墓埋法と言います。墓埋法は、お墓は「墓地」にしか作ってはいけないと定めています。

 つまり、たとえ自分の土地であっても、自宅の庭や裏山にお墓を作ることはできません。もし「墓地」でないところに墓石を建てて、その地下に遺骨を埋めてしまうと、墓埋法違反になります。

 「墓地」というのは、お墓が集まっている区域のことです。「◯◯霊園」とか、「◯◯墓地」などをイメージしていただけばよいと思います。

 「墓地」の経営には、都道府県知事の許可が必要です。現在は、公益法人や宗教法人(お寺など)でなければ「墓地」の経営を許可しないことになっています。個人や会社では、「墓地」を作ることはできません。 

 お墓が勝手に撤去されてしまうことがある

 世間ではお墓を建てる土地を手に入れることを、「お墓を買う」と言うことがあります。「買う」という言葉には、所有権を手に入れるというイメージがありますが、「お墓を買う」と言うのは、「お墓の敷地の使用権を買う」という意味です。お墓を買った人は、土地の使用権を取得するに過ぎません。お墓の敷地の所有権は引き続き、「墓地」を経営している寺院や霊園が保有し続けることになります。

 
 多くの場合、お墓を買う時には、
永代供養料を支払います。
 永代供養料を支払っておけば、未来永劫、お墓をその土地に置いてもらえるようなイメージがありますが、これも違います。
 
永代供養というのは、文字通り、魂の供養をいつまでも行うという意味です。
お墓の存続とは無関係です。


 理屈では、魂の供養はお墓がなくても行えます。
そこで、墓地の経営者は一定の手続を踏むことで、誰も面倒をみる人のいなくなったお
(無縁墓)の使用権を消滅させることができます。
 その場合、お墓に収められている
遺骨は、共同墓地に移動し合祀されます。
そのうえで墓石等を撤去して整地し、別の人のお墓の敷地として再利用することになります。


 人は次々亡くなります。古いお墓を整理しなければ、この世界は、いずれお墓だらけになってしまいます。無縁墓を整理するのは、致し方ないことといえます。

 長期間、管理料を支払わないと無縁墓と判断される可能性がありますので、注意が必要です。

 お墓の敷地に抵当権が設定された場合の対処法

 前述のようにお墓の敷地は、「墓地」の経営者の所有物です。そのため、「墓地」の経営者が自身の借入金の担保にお墓の敷地に抵当権を設定することも可能です。

 その場合、「墓地」の経営者が借入金の返済を怠れば、抵当権が実行されて競売にかけられて、第三者が競落するという事態になることもあり得ます。

 たとえ競売にかけられて第三者が所有権を取得したとしても、お墓を撤去する必要はありません。お墓の敷地の使用権は、借地権や地上権と同じように、新しい土地所有者に対しても、「自分は権利者である」と主張できる権利とされています。

 お墓の敷地の所有権が第三者に移った場合であっても、今まで通り、お墓を維持することができます。

 お墓の所有権の承継者は慣習で決まる

 おは、相続財産とは別の「祭祀財産」とされています。「祭祀財産」は、預金・不動産等の他の財産とは異なり、法定相続分によって分配するのではなく、慣習によって誰が承継するかを決めるとされています。慣習は、地域や世代によって異なるでしょうが、長男あるいは長子が承継することが多いと思われます。

 お墓は、税法上も特別な扱いがされており、相続税はかからないとされています。
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 上記のように、墓苑管理者(寺院や公益法人)は、無縁墓の増加に対して、市町村役場に書類を出して、一定期間公示後、墓の撤去を行うことが出来ます。こういう処分が最近、急に増えてきたそうです。
 
 『墓石を撤去した跡地をどう活用するか?』 が墓地管理者の課題です。
 墓地の空き地に、合祀墓を作り、そこに納骨するというのです。もちろん有料です。

 もう一つは、夫婦墓というかたちで、小さな墓石に名前を刻み、20年から30年の有期限で、夫婦の墓を作りますが、期限が過ぎると、合祀墓に骨を移して、その夫婦墓の場所に、別の新しい夫婦墓をつくるという合理的な考え方です。
 この場合の夫婦墓は30万円程度で安く造れます。永代供養を付けると、その分は加算されます。これなら、墓に数百万円もかけることがないので、金銭的にも楽です。
 
 墓じまいの跡地に、事務所を建てて、法事や仏事に安く賃貸するようです。
 最近は一人身(単身生活者の人が亡くなると、誰も供養する人が居ないので、市役所が僧侶に依頼して、この事務所で死者の供養をするそうです。そういう人が最近、増えていると聞きました。

 そういう話を聞くと、何か時代の流れを感じます。
 
 檀家檀那寺離壇料墓じまい合祀(ごうし)、共同墓地、永代供養お布施墓の引越し、というような今まであまり耳にしなかった言葉が随分身近になってきました。家族葬もその一つです。

 亡くなった親や親族の供養のための仏事は、どういう意味があるのでしょう。

 そこで、本論なんですが、タイトルの「歎異抄をひらく」では、親鸞聖人はどういうふうに述べられているのか興味があるところです。

 歎異抄と言えば、知らない人が居ないくらい有名なくだり、『善人なおもって、往生を遂ぐ(とぐ)。いわんや悪人をや』があります。これは、『善人でさえ、浄土へ生まれ変わることができるのだから、まして悪人はなおさら往生できる』という意味です。

 この意味の解釈が間違って伝えられていることが多く、悪人はなおさら往生できると言われるのだから、悪いことをし放題という時期があったそうです。
これは弥陀の真解釈を誤っているのです。
 何故、善人より悪人なのか?について、本書は前半で詳しく述べています。

 もう一つ、読んでみて、びっくりした点があります。
 何と、親鸞聖人は『葬式・年忌法要は死者のためにならない』と言い切っています。
 (歎異抄;第5章) 『親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一辺にても申したること未だ候わず』と書かれています。
 
 親鸞は亡き父や母の追善供養のために、念仏一遍、いまだかつて称えたことがないと言われているのです。
 
 『葬式や年忌法要などの儀式が死人を幸せにする』という考えは、世の常識になっているようです。
 インドでも釈迦の弟子が、釈迦に「死人のまわりで有難い経文を唱えると、善いところへ生まれ変わるというのは本当でしょうか」と尋ねている。
 黙って釈迦は小石を拾い近くの池に投げた。沈んでゆく石を指さして、「あの池の周りを『石よ浮かび上がれ、浮かび上がれ』と、唱えながら回れば、石は浮いてくると思うか」と反問された。
 石は自分の重さで沈んでいったのである。そんなことで石が浮かび上がるはずはなかろう。
 人は自身の行為(業)により死後の報いが定まるのだから、他人がどんな経文を読もうとも、死人の果報が変わるわけがない、
と説かれた。
 
 読経で死者が救われるという考えは、本来、仏教になかったのである。

 釈迦は生涯、80歳まで、教えを説かれたのは生きた人間であり、常に苦悩の心田を耕す教法だった。
 死者のための葬式や仏寺を執行されたことは一度もなかったと言われる。

 そのような世俗的、形式的な儀礼を避けて、真の転迷開悟を教示されたのが仏教である。

 このくだりを読んで、私は仏教に対する考え方が大きく変わった。
 皆さんはどうお考えでしょうか?

 『歎異抄をひらく』は、分かり易く表現されている本ですが、『歎異抄』が非常に奥深く難解なため、一度では理解しがたいことが多い。これからも2回、3回と重ねて読むことで、少し心田が開けるかもしれない。

 非常に深淵な教理を示されているように思う。

 ぜひ、ご一読を!!



2018年8月5日(日)

放送が始まっても、4Kテレビが映らない?

 家電量販店のどの店に行っても、大画面の4Kテレビが真正面の良く見えるところに陳列されている。
 今の大画面テレビ(2Kまたはフルハイビジョンテレビ)ですら、大変きれいな映像を映しているが、今は、フルハイビジョンという言い方すら、どこかに消えてしまったように、各メーカは『4Kテレビ』を前面に打ち出している。

 フルハイビジョンテレビ(2Kテレビ)と4Kテレビは何が違うのか?
 このことすら、よく分からず、店員さんの勧めで、「これからは4Kの時代ですよ!」とか「東京オリンピックが始まると、4K放送され大変きれいに見えますよ!」「これから買うのなら4Kがいいですよ!」という殺し文句で、お客さんは買わされている・・・・・・。

 メーカからすれば、2Kフルハイビジョンテレビはいくら売っても、儲けが少なくなってしまったので、何とか付加価値が取れる4Kテレビを売りたいというのが本音だ。

 中国製の安い2Kフルハイビジョンに対応すると、利益が出ない、赤字になる。この状態を何とかしたい!という思いで、販売に力が入っているのが4Kテレビだ。

 そもそも、2K(フルハイビジョン)が初めて販売された当時は、アナログテレビ(縦:横=3:4)の画面で、解像度は低く、画面サイズも20インチ程度であった。それ以上、画面大きくすれば、画質のアラが目立つので意味がなかった。
 そこに、フルハイビジョン(縦:横=9:16)が登場し、縦に1080、横に1920の点が並ぶ高解像度な画面になった。これがフルハイビジョンである。
1080×1920=207万3600個の点々が画面全体に散らばっている。だからこれを207万画素とか200万画素という言い方をした。
横に並ぶ点の数が1920個だったので、約2000個だから、2Kテレビと呼んだ。
これがフルハイビジョンである。
当時は、16:9でフルハイビジョンの画質で実用上、必要十分な画質だとされていた。

 それが、テレビ画面の液晶板を作る技術の急速な進歩で、容易に50インチや、60インチ、70インチなどの大画面が造れるようになった。
 そこで差別化する必要が生じ、更なる高密度、高精細度の方向に開発が行われ、今話題になっている4テレビが生まれた。
 
 4Kテレビとは、縦:横=2160×3840 の点が並んだもので、約830万画素になる。横方向に3840個の点が並ぶので、約4000個という意味で、4Kという表現を使っている。画面全体では、2Kテレビの4倍の画素数になる。
 画質が細かくなり、非常に精細な表現が可能になる。

 しかし、受信機側はそういう対応ができても、肝心の放送局側と、電波の問題が残る。フルハイビジョンテレビを放送する電波の4倍の広い帯域の電波を使わなければ、放送できない。そこで4Kテレビ放送は、地上デジタル放送(2Kフルハイビジョン)とは違う電波、すなわち放送衛星からの電波を受信することになる。

 今までの2Kフルハイビジョンテレビ放送とは違った電波なので、そのままテレビで受信できない。特殊な放送衛星や通信衛星から送られてくる電波をパラボラアンテナ(お皿のようなアンテナ)を使って受信しなければならない。受信した電波を特殊なチューナにつないで、その出力を4Kテレビの端子につなぐ必要がある。

 この一連の厄介な説明が、4Kテレビの売り場でどれだけお客様にきちんと伝えているのか?実に無責任だと思う。
 多分、お客様は2Kフルハイビジョンテレビであろうが、4Kテレビであろうが特に問題視しないだろうと思う。
 
  店頭でデモしている4Kテレビの画面はデモ用に撮ったもので、特に美しく加工したものであり、4Kテレビ放送が始まった時にどれだけ差が分かるか?疑問がある。

 2Kより4Kの方が、画素が4倍の密度になっているので、理屈的にはきれいに見えると言える。しかし、人間の目が果たして、それをどのくらい差として感じられるか、見分けられるか疑問だ。

 我が家のテレビはPanasonic プラズマテレビの最後の頃の商品で、大きさは50インチ。これでも実に綺麗にテレビを楽しんでいる。

 ここで、小生の持論をご紹介する。
世の中の商品や、システムが入れ替わる条件は40dB以上改善されること。
 40dB(デシベル)という用語は、電気の世界では当たり前に使う単位だが、言い代えると、100倍に当たる。
 アナログテレビが2Kフルハイビジョンに代わった際の画質の解像度、精細度はまさにこれに当たる。
 また、昔のLPレコードがCD(コンパクトディスク)に代わった時も、40dB以上の音質が良くなった。
 少し技術的になるが、LPレコードのSN比は20dBから精々25dBだった。それがCDでは70dB以上になった。実に50dB以上の改善だ。50dBは約300倍だ。
 だから、LPレコードでは針の音やノイズが聞こえたが、CDは音楽以外のノイズや雑音は皆無になった。また、音のひずみという点でも、殆どSN比と同じようなレベルで改善されたので、CDでは何回演奏しても、何回聞いても全く同様にきれいな音で聞こえる。これがLPレコードでは、新品の内は未だ綺麗だったとしても、使っている内に音が歪んでくる。CDではそういう音の劣化はない。
 だから、CDが発売されると、あっという間にLPにとって代わってしまった。

 世の中のシステムや商品が入れ替わるという前提には40dB(100倍)の進化がなければ、入れ替わらない。併存するということ。
だから、今後も、地上波デジタルテレビは放送をし続ける。

そういう前提の上で、今日の東洋経済の記事を以下に紹介する。

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「4Kテレビを購入されるお客様から、4K放送を見たいという声はほとんどない。放送が始まっても、チューナーを買って視聴するという流れにはならないと思います」。
大手家電量販店の店員はそうつぶやいた。

 新4K・8K衛星放送の開始まで4カ月を切った。4Kは現行のフルハイビジョンの4倍の画素数があり、高精細かつ臨場感のある映像が実現できる。現在、4KコンテンツはCSの一部やケーブルテレビで放送されており、ネット動画配信サービスでも視聴できるが、12月から新たにBS・110度CSで放送が始まり、視聴者にとってより身近な存在となる。テレビ業界にとっては2011年の地上デジタル放送移行に続く”大きな節目”だ。
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■4K放送開始の認知度はわずか12%
 しかし、4K放送を視聴するには店頭で販売されている4K対応テレビを購入するだけでは視聴することができない。実際には専用チューナーが必要になるケースが大半だ。昨年来、複数のメディアで指摘されてきたが、いまだに多くのユーザーがこの事実を知らない。

 5月に放送サービス高度化推進協会(A-PAB)が公表したウェブ調査(5000人が対象、2月実施)は驚きの結果だった。4K放送の視聴に際し、テレビに加えてチューナーが必要なことを知っていたのはわずか13.0%、4Kテレビ所有者でも34.8%にとどまった。
このままでは「4Kテレビを買ったのに、4K放送が見られない」という事態が続出すると考えられる。そもそも、2018年に4K放送が始まることを知っていたのも12.2%と低水準だった。
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 昨年来、総務省はチューナーの必要性が知られていないことなどから、周知・広報の強化に乗り出している。視聴方法などを示したリーフレット(A-PABが制作、総務省と経済産業省が監修)の刷新に加え、テレビの価格表示の周辺に説明書きのポップを掲示すること、カタログや取扱説明書に注意書きを加えることなどを要請し、量販店やメーカー各社との連携を進めてきた。

 だが8月上旬、秋葉原、東京、有楽町、上野、池袋と、都内の主要駅近くの家電量販店の売り場を歩いてみたものの、業界大手の店舗ではポップの掲示を見つけることができなかった。積極的に取り組む中堅の店舗もあるというが足並みはそろっていない。

 リーフレットは特段、目立つ場所に置かれておらず、店員に質問を投げかけてみても、必ずしも4K放送の視聴方法について説明されるわけではない。これでは、顧客4K放送視聴における注意点を知るのは無理がある。総務省は注意書きのポップを掲示しない店舗があることを認識しており、さらに働きかけを強める方針だ。

■慎重姿勢の各メーカー
 とはいえ、ひとえに量販店に責任があるとも言いがたい。売り場で製品のマイナス面を大々的にアピールするわけにはいかないだろう。4Kテレビには液晶と有機ELがあり、多数のモデルが売り場に並ぶ。限られた時間で顧客のニーズを聞き出し、製品を選び、特徴から注意事項まですべてを説明するのは難しい。さらにいえば、そもそも大半の顧客が4K放送について知らないため視聴方法を聞かれること自体多くないようだ。
 
 メーカー側はどうか。
 実は、現行の機種で4K放送が見られるのは、6月に東芝映像ソリューション(2018年3月から中国ハイセンス傘下)が発売したチューナー内蔵型の「4K液晶レグザ」しかない(10月以降に送付されるBS/CS 4K視聴チップを装着することで視聴可能)。

 ほかの大手メーカーはチューナー内蔵テレビの発売時期を明らかにしていない。各社に問い合わせると、「検討中」(ソニー)、「検討しており、タイミングを見て発売」(パナソニック)、「検討しているが詳細は未定」(シャ-プ)といった回答だった。放送開始の12月までに、各社のテレビが出そろわない可能性もある。
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 各社がチューナー内蔵テレビの発売に慎重なのは、4K放送に対する認知度が低いため、より高価格になってしまう内蔵テレビのニーズを見極めたいという思惑があるからだろう。製品が先行していないことは4K放送の知名度が低い一因だが、メーカーの判断は合理的ともいえる。

 一方で、チューナーについては、パナソニックは10月中旬、シャープは11月下旬、東芝映像ソリューションは今年秋、ソニーは今年中に発売予定と公表している。チューナーの発売が放送開始に間に合わない、という最悪の事態は避けられそうだ。

 量販店やメーカーの事情に加えて、4K放送は、そもそも多くの視聴者を抱える地上波と無縁であること(地上波は今後もハイビジョンの放送を継続)。地デジ化の時のように、従来のテレビが見られなくなるわけではないこと。薄型テレビへの買い替えを狙った家電エコポイント制度(2009年開始)などの経済政策が打たれていないことも、周知が進まない一因だろう。

■視聴者に求められる知識
 今後は4K放送でどんな番組が放送されるかがポイントだ。秋頃には各局の放送内容が明かされる見通しで、視聴者の関心を引きつけられるかが勝負になる。
 民放首脳も「地デジ移行のときと同様、普及に必要なのは放送局がどんなコンテンツをそろえられるかだ」と語る。

 こうした動きに合わせ、A-PABは動画やテレビCMの放送、イベントなどに力を入れる。イベントではIT見本市の「CEATEC JAPAN 2018」(10月)や映像・通信の展示会「Iner BEE」(11月)などに出展。そのほか、総務省と連携した展示や地方の民放局、NHKと協力したイベントなどで一気に4Kに対する理解を広める考えだ。

 野田聖子総務相も6月に行われた新4K8K衛星放送開始の半年前セレモニーで「チューナーやアンテナの交換などが必要になることをご存じない方が多数いる。視聴者に混乱が生じないよう丁寧な説明と周知徹底をお願いします」と呼びかけている。

 総務省をはじめ、関係団体や企業は、広報の強化と視聴者保護の取り組みを急ぐ必要がある。視聴者側も多少の知識は必要だ。現在、4Kテレビ購入を検討している人は、自分が見たいコンテンツが見られるのか、本当にニーズに合っているのか、機能や仕様をよく確認してから購入に踏み切るべきだろう。