台湾旅行 JTB S759-50
2017年5月4日

「ぐるっと回る台湾周遊旅行」
2つの圓山大飯店に泊る! 台湾大周遊 5日間の旅
2017年4月25日~4月29日

■あらまし
 今まで、海外旅行を楽しんできたが、最近、ISのテロ事件が頻発し、特にヨーロッパ周辺の有名な観光地には危なくて行く気がしない。イスラム諸国もまだ行ったことがない国が多々あり、行ってみたいと思うが、治安が悪く、非常に危険になった。 
 テロリストは人を殺して何がメリットなのか。神の名において自分の主張を通そうとするだけで、今まで積み上げてきた自分たちの生活や遺産を一瞬に壊してしまっている。人間の持つ『性(さが)』がそうさせるのだろうが、非常に残念な気がする。

 そこで、今回は安全で、近場でまだ行ったことがない台湾に決めた。
 台湾のツアーは台北~台中~台南の西側を観光するコースが沢山設定されているが、今回は『ぐるりと周遊する!』という珍しい企画で募集されていたので参加した。

 関西空港から桃園国際空港(台北)まで、飛行時間は2時間半で、時差はマイナス1時間。(帰路は2時間10分ぐらいだった) 台北にはもう一つ、松山空港がある。
 天気予報では、雨続きだったので覚悟して行ったが、前半は曇り(少し小雨)時々晴れで、後半は晴天だった。今回は予想に反して天気に恵まれた。

 現地ガイドは趙さん(年配の女性)で、若い頃は活動家だったと自己紹介があった。日本語は独学で習得したそうだが、外国人独特の発音の癖がなく、大変分かり易い、聞いていて疲れない日本語で台湾を詳しく案内して頂いた。日本語はNHKテレビを見聞きし、今も学んでいるのこと。娘さんが独立し巣だったので、現在は一人暮らしをして、日本人ツアーのガイドを今後も死ぬまでやってゆきたいという話であった。
 大変な親日家で、台湾人を連れ日本に年2、3回行くという。
 趙さん、大変お世話になりました。謝謝!

■台湾の土地柄
 台湾は日本の最南端の島である与那国島からわずか110Kmしか離れていない。
九州とほぼ同じ面積で3.6万㎢で、日本のほぼ1/10(日本は37万㎢)です。緯度的には北回帰線(北緯23.5度)上にあるので、気候は北部地方が亜熱帯で、南部は熱帯という場所に位置する。
 年に一度は台風に襲われる。東南から来る台風は低気圧の勢力が強く、大きな被害が出ることが多い。特に東海岸沿い地方は山を背にしているので風雨が強くなる。
 九份は年間290日以上、雨が降ると言われるほど降雨量が多い場所だが、幸い行った日は晴天に恵まれた。ガイドの趙さんの話ではこういう日はめったにないそうだ。

 富士山(3776m)より高い玉山(3952m)という山があり、戦前、日本が統治していた時は、新高山明治天皇が名付けた日本一高い山だった。ハワイ真珠湾攻撃の暗号電文ニイタカヤマノボレの新高山は玉山の事。台湾には3千m級の山が100以上もある。これは台湾がフィリピン海プレートとユーラシアプレートが突合し盛り上がった皺(しわ)が島の中央部に形成されたためだ。
 この種の山脈は、他にアルプスやヒマラヤも同様にしてできたものである。

 中央部の尾根は東側に偏在しているので、島の西側に平野部が広がり、東部は山が海岸に迫った形になっている。南北が394Km、東西が144kmの木の葉のような地形となっている。昔の台湾地図は南北を東西に回転させた形に書いていたので、クジラの様な形に描かれていた。
 
■台湾の歴史統治
台湾の歴史は、古く、旧石器時代の先史時代(BC4,5千年)に始まるが、定かな資料はない。その後、南方や中国大陸から移ってきた人々が混合しし、たくさんの原住民部族で構成された。一説には十数部族があったとも言われる。

 時代~時代に入り、倭寇(海賊)の根拠地にもなった。
 15世紀から16世紀にヨーロッパ諸国の大航海時代が始まり、まずポルトガルが16世紀中頃、台湾を発見した。緑の綺麗な島だったので、Formosa(フォルモサ)と名付けた。その後、オランダやスペインがやってきた。オランダ東インド会社は明の支配下の台湾の澎湖を占拠し、ここに東インド会社の拠点を築いた。

 1624年に朝はオランダと8カ月にわたる戦火を交えたが和議を行い、現在の台南市安平区を統治の中心とした。1626年にスペインが北部の鶏籠に基地を置いた。
1642年、オランダ東インド会社は艦隊を派遣し、スペイン人を追い出し、オランダの基地と化した。

1652年、郭懐一の漢民族の反乱が起き、これを鎮圧した。この時、の1万人に上る人が殺された。
 安平古堡(奥倫治城、熱蘭遮城とも言われる)はこの頃、1624年に建設された最も古い城堡で、今も当時の赤いレンガの城壁が一部残っている。
 
1662年に郭の部下だった鄭(テイ)成功がオランダと戦い、勝利し、熱蘭遮城から一掃した。この後、この城は安平城と呼ばれるようになり、3代にわたり統治した。

1683年以降はが台湾を統治したが、1874年にイギリス軍艦の攻撃に逢い、火薬庫が被弾し、爆発し廃墟に化した。1874年には、台湾南部で牡丹社事件(征台の役、台湾事件とも言われる)が起きた。

 日本が台湾を統治したのは日清戦争で勝利し、その結果、1895年4月17日から日本の領土になり太平洋戦争が終わる1945年までの間となる。

 その統治時代に日本が何をしたのか?
 現地ガイドの趙さんの話では、台湾人は日本に占領されたという悪いイメージはなく、むしろ『日本が台湾の発展に大きく貢献してくれた』という感謝の言葉すらあった。
 たとえば、台湾の在来種の米はおいしくなくて収穫も少なかったが、日本人の品種改良により、おいしく、たくさん収穫が出来るようになった。農業技術の指導も熱心にしてくれた。水力発電所の建設も、道路整備も、下水道整備もやってくれた。
 もし、『日本がそういうインフラ整備をしてくれていなければ、現在の台湾はない』と言ってもいいほど、台湾には日本びいきで親日家が多い。

 明治政府が台湾の発展のために取り組んだと素直には思えないが、統治国として、日本人のまじめさと勤勉さで彼らを指導し、それが日本国家のためと思って取り組んだのだろう。
 
 当時の台湾は衛生状態が悪く、マラリヤや熱帯独特の病気などで多くの人が亡くなり、病に罹ったと言われている。そういう中で日本人はよく働いた。
 
 台湾は韓国や中国とは違い占領されたという被害者意識を持つ人は少ない。韓国が一次、賠償金(10億円)を支払うことで決着したはずの慰安問題を蒸し返し、慰安婦像をたくさん造り、戦時中の出来事を今なお持ち出し謝罪を求めている姿とは全く違う。


 台湾は独立国家として世界から認められていないので、首都は台北市となっているが、正しくは臨時首都ということになる。(中華民国の首都は中国の南京。)
 
 その経緯は、蒋介石が中国の指導者だった孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たし、同国の最高指導者となった。しかし、内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れ、1949年より台湾に移り、その後大陸支配を回復することなく没した。
 
 蒋介石は『正当な中国政府は自分たちである』という立場をとっていたので、台湾に一時避難しているが、自分たちの国(中華民国)の首都は南京であるという思いが今なお健在で、中華人民共和国(共産党支配)とは一線を引いている。

■台湾の現状
 台湾の人口は2,354万人GDPは47兆円世界第21位の経済大国である。
中でも、シャープを買収したホンハイ(鴻海)精密工業は台湾No.1の企業として成長し、2016年度の売上は4兆2000億元(15兆円超)を記録している巨大会社だ。
 ちなみに、Panasonicは7兆5500億円、トヨタ自動車が28兆円だから、いかに鴻海精密工業が大きな会社か分かる。EMSという電子機器(家電やAV商品やスマホなど)の組み立て請負事業からスタートして発展してきた。

■台湾の通貨
 通貨レートは1台湾ドル(1台湾元)が4円前後なので、4倍すれば日本円になる。
現在の
大学卒の初任給は2万台湾元(約8万円)だそうで日本の約半分以下である。

■台湾の電力事情

 台湾国内をバスで移動中、車窓の風景は概して日本と大きな違いを感じない。
山々の姿、周辺の緑の木々、そして張り巡らされた超高圧送電線の鉄塔、送電線路を見れば、台湾が一流の工業国だということが分かる。送電線は30万ボルトクラスの超高圧送電が張り巡らされている。3相2回線で送電されて送電電力容量も大きい。
 台湾の原子力発電所は第1、第2、第3の3か所あり、現在第4原発が日本の手で建設中。一か所に2基ずつ同じものを設置している。
 第1原発は60万KW×2基、第2原発は95万KW×2、第3原発は92万KW×2で、原子力発電量は494万KWの電力を初電している。第1、2、4原発は台北の北端に位置し、第3原発は最南端に設置している。第1、2原発は沸騰水型(BWR)、第3原発は加圧水型(PBR)、そして建設中の第4原発は改良沸騰水型(ABWR)となっている。第4原発が完成し稼働すれば、一気に260万KWが加わることになる。
 
 台湾の発電所建設の歴史を見れば、日本統治時代に日月潭に第1発電所を1934年(昭和9年)に完成し、10万KWの発電を開始した。松木幹一郎が建設に当たり、発電所の資材を運ぶため縦貫鉄道を建設した。『台湾電力の父』と呼ばれている。
 その後、第2発電所を1935年(昭和10年)に完成し、その後も建設計画があったが、終戦を迎えて日本の統治から外れた。
 
 現在の台湾の電力事情は火力発電所が11か所、水力発電所が11か所、原子力発電所が上記の3か所で、総発電量は1897万KWとなっている。内訳は火力が44%、原子力が20%、その他となっている。水力発電は僅か2%程度。

 配電線路も整備され充実していて、電柱は日本と同様、コンクリート柱になっている。
電圧は110V(60Hz)または220Vとなっている。市街地は地下ケーブル配線が行われ美観が維持されている。
 

■台湾の交通手段

 一般の電車は狭軌道で日本のJRと同じ、新幹線は標準軌道を採用している。
 当初、国民党が与党時代に欧州連合(フランス・ドイツ)と契約したが、1999年台湾大地震が起き、地震に対する安全性は日本の方が優れている点が評価され、政権が民進党に変わり、日本の企業連合が巻き返しに成功した。車両は日本の新幹線(N700系)に決まり、配電や制御は欧州連合が受注した。土木施工工事は国際連合で行った。新幹線システムが世界の企業の分割受注の形になった。

 欧州の高速鉄道はプッシュ・プルという先頭車両と最後尾車両に機関車を配置する方式で、日本の新幹線のようにモータを各車両の床下に配置した分割駆動方式ではない。機関車方式の方が車両編成コストは安くなるが、前後の機関車2両分だけ客席数が減るので、同じ車両数で比較すると、客席数は少なく非効率になる。

 現在、南港駅(台北)から左営駅の間、348.5Kmを1時間半で結んでいる。給電は空中架線方式で、電圧は2万5千ボルト、60Hzで日本の新幹線と同じ。営業速度は時速300Km。
    日本の新幹線と同じ

 ガイドの趙さんの話では、最初から日本の新幹線システムをそのまま持ってきたら、もっと早く完成できた。契約交渉時のゴタゴタが影響して欧州連合、日本連合の競合になり、国際連合の工事も違反が見つかるなど各種の問題が露呈し、調整に手間取り、完成までかなり時間がかかったという話を聞いた。台湾でも、日本の技術に対する信頼や信用は高いな!と感じた。
バスで市内を観光していると、たくさんのバイクが交差点に並び信号待ちしている。中には二人乗りのバイクもある。ヘルメット着用は義務付けされている。しかし、車と車の隙間に入り込んで走るので、交通事故が絶えないらしい。バイクはヤマハやホンダ製のものが多く、台湾の主要市街地はバイクの排気ガスによるPM2.5濃度が問題になっているそうだ。北京の様なスモッグが発生するところまで行っていないが、当局は環境問題として取り上げ、毎日、PM濃度情報をネットで流している。

 台湾の高速道路は新幹線と同じく西側が整備されている。一部(片側)4車線の広い道路もあるが、ほとんどは(片側)2車線、合わせて4車線になっている。
 右側通行で、ハンドルは左ハンドルとなっている。(日本とは逆)
 
 高速道路は有料だが、料金所(ゲート)はなく、高速道路の走行速度は一定だ。
 ところどころにカメラを設置してナンバープレートを読み取り、自動課金するシステムになっているそうだ。時速100Kmという高速走行している車のナンバーをミスなく検知する技術は日本のETCシステムより優れているかも知れない。

 西側の交通網(インフラ)の発達に比べ、東海岸沿いの道路や鉄道は十分整備されていない。現在、拡張工事が急ピッチで進められている。特に山脈を横切り東西を結ぶ横断道路はトンネル工事や道幅の拡幅、橋梁の整備が進められている。

■台湾のホテル
 ホテルは客室の広さはダントツだ。欧州の一流ホテルに比べても遜色がない広さで綺麗だ。湯ぶねは欧州式の横長タイプが多い。別にシャワー室が付いている。
 今回のツアーの目玉の一つは、二つの圓山大飯店(まるやまホテル)に泊るということで、台北高雄に迎賓館として造られた豪華で巨大で、両方とも同じような形式の赤い柱や壁の模様が派手に目立つ建物で、ロビーは赤い絨毯で敷き詰めた豪華なものだった。
 この二つの圓山大飯店のトイレには洗浄便座が付いていたが、他の2か所のホテルはまだ普通の西洋式トイレで、洗浄式トイレはこれからのようだ。
 日本ではビジネスホテルの代表の東横インですら、全室、洗浄トイレになっている。
 但し、客室の広さは圓山ホテルは東横インの4倍ぐらい、加えてテラスが4畳半ほどあるゆったりとした広さで、リッチな気分を満喫できた。
 各ホテルとも、お湯の出方や、冷暖房に全く問題はなかった。アメニティグッズもきちんと揃えられていた。
 室内のテレビは43インチ液晶横長テレビで、NHKが受信できるが、映像は衛星回線の通信容量の性か、ハイビジョン映像では映らず、画質は今一の状態だった。

■台湾の農作物
 緯度的に熱帯、亜熱帯地方に位置するので、暑い地方の果物やイネの栽培に適している。台湾と言えば、果物がおいしいということで期待して行った。パパイヤ、マンゴ、パイナップル、バナナ、スイカなどが主要果物。一昨年の台風でパパイヤの木が倒れたり、折れたりして大被害が出たので、現在、植え替えを行っている。そのため値段が少々高くなっているそうだ。トマトやオレンジ類も豊富。全ての果物は大変甘くておいしい。各ホテルの朝食にはこれらの果物が豊富に並んでいた。

 稲は3期作ができるので、すでに穂が出ている田んぼもあり、田植えの田もありという風景だった。田んぼは西海岸側地方に点在している。米の品種改良に日本人がかかわったという話も聞いた。

 台湾にはヤシの木がたくさん自生しているが、中でもビンロウ(檳榔)というヤシ科の植物がある。この実の熟したものをすり潰したり、細かく切ったりして石灰と混ぜて口にふくみ、咬むと反応して唾液が真っ赤な汁になる。
 この唾液を飲むと胃を荒らすので普通は吐き出すそうだが、赤い唾液が道端に残ると汚いので、最近は吐き出すことを禁止している。違反者は罰金が科せられる。
 タバコと同様に一種の興奮剤として愛用されてきたが、近年は健康を害するということと、環境問題で次第に禁止の方向に向かっている。車の運転手など一部の人は今も飲用している。道路沿いに『檳榔』という看板をところどころで見かけた。
 ヤシ科なので、植えるだけで木が育ち、実がなり、比較的高く売れるので、農家の人たちはこれで相当な収入を得てきた。今は一部の貧しい農家が栽培している。東南アジアでよく見かける光景のようだ。

■エアーライン
 今回の旅行は、エバー航空を利用した。聞いたことがない航空会社だったので、『大丈夫かな?』と気にしていた。ネットによると、今まで一度も事故を起こしたことがない優良エアーラインだと分かった。
 往路はボーイングB777-300(大型機)、帰路はエアバスA330-200(中型機)
機内食はまずまずだったが、スプーン、ナイフ、フォークは金属製だった。最近、各エアーラインは殆どプラスチック製に代わったが、確かルフトハンザ航空も金属製を使用している。ナイフ・フォーク・スプーンの重量が航空機にとっては馬鹿にならないらしい。

以上、雑感でした。
以下、詳細な日程と写真を掲載します。

ガイドの趙さんが説明してくれた周回ルート
中央部の横に引いた赤い線が北回帰線


日 程
 月 日  地 名 移 動 観 光 
 4/25  関西空港⇒台北桃園空港(2時間45分)     往路
桃園空港⇒台中市街⇒ホテル (143km)  バス  夜:逢甲夜市散策
 4/26    台中市⇒日月潭 (90km)  バス  日月潭観光
湖畔ドライブ、文武廟 
日月潭⇒台南(110km)  バス 台南観光
赤嵌楼、延平郡王祠 
台南⇒高雄⇒圓山大飯店(50km)  バス 高雄観光
蓮池潭、龍虎塔 
4/27  高雄市内  バス 寿山公園、土産物店 
高雄⇒台東(180km)
台東⇒花蓮市内ホテル(200km)
 バス 台東観光
三仙台、八仙洞 
 4/28    花蓮⇒太魯閣(タロコ)渓谷  バス 太魯閣狭谷 
花蓮駅⇒七堵駅(1時間50分)  電車 特急電車 
七堵駅⇒九份  バス 九份老街散策 
九份⇒台北⇒圓山大飯店(1時間半)  バス  移動 
4/29  ホテル⇒忠烈祠⇒故宮博物院
 ⇒金品茶楼で昼食⇒桃園空港
 バス 忠烈祠の衛兵交代
故宮博物院見学
桃園空港⇒関西空港(2時間10分)    帰路

4月25日(火) 関空⇒台北桃園空港
関西空港 出発ゲート13
エバー航空、台北行きBR131便
ANAと共同運航
13時10帝国出発表示板

台北桃園空港に無事着陸。
時差はマイナス1時間、
現地時刻は15時。
 荷物をピックアップ後、バスで台中へ移動。約143Km/2時間
 台中へ移動、夕方、夜店見物
 夕方、台中に到着、
逢甲夜市見学に出かける。
屋台が立ち並ぶ通り、
人出でごった返している。
 
 おなじみの100金ショップダイソウの店

 Find Surprise&Fun
驚きと楽しみを見つけよう!

 
 色とりどりの野菜や果物や魚介類が並ぶ
 
 餃子屋か?
 いろんな食材を売っている屋台が立ち並んでいる。
韓国のソウルやプサンを思い出した。
 
 日本では、もう昔の光景になった。今は、夏祭りや縁日に見られるだけの光景だ。

 台湾は女性も男性と同様に働く人が多い。
 夕食はこういうところで済ませる人が多いと聞いた。
 
 スマホ グッズの店もある。この近くに大学があり、沢山学生を見かける。
若者が多く、活気あふれる夜市だ
 
 エビのてんぷら、鳥の唐揚、看板を見るとおいしそう!
でも、ちょっと手が出ない、
食べるには勇気がいる!
 
 中国人は何でも食べる!四足動物は何でも食する。

犬や猫まで食べるらしい。
 この店は、人の手まで売っている。(冗談だよ)
何人の手が並んでいるのだろう?
どんな味がするのだろう?

 実によくできたレプリカ、一瞬ギョッとした。
 4月26日(水) 台中観光
(午前:台中観光)
 ホテルから2時間移動

 日月潭の湖畔
台中市の東南40kmに、周囲25Km、水深30m天然湖。

北側は太陽を、南側は月を表現しているので日月潭と名付けられた。潭とは淵の意味。

北端に文武廟がある。

今日はガスがかかっていた。
 日月潭 文武廟の石碑
 現地人に人気がある観光スポットらしい。
晴れた日は湖がきれいだ

 
 文武廟
(もんぶびょう)
1938年に建設、
1975年に再建

学問と武道の神様を祀る。

三殿構成の建物構造
中殿は文廟で、孔子を祀る
前殿は武廟で、岳飛、関羽を祀る


 
 
 門をくぐり、前殿に上る階段の左右に大きな真っ赤な獅子が睨みを利かせている。高さは8m。

 前殿に上る一行
前殿と中殿の間の階段に九頭の龍の精緻な彫刻が施されている。
  

         軒(のき)の造り                 前殿入り口の彫刻
 
 前殿の内部 岳飛と関羽が並んで祭られている

 細やかな彫刻に金箔を貼ったきらびやかな礼拝殿

 この寺は道教の寺
 皮張りの台に膝まづいて、腰をかがめ、両手のひらを上に開き、頭を下げ願い事を念じる。

写真はガイドの趙さんが拝み方を教えている姿

仏教の合掌とは少々違う。
手のひらを開く。
その後、各人が同様に拝んだ。

 願い事の後、神さんが聞き入れてくれたか確認する小道具。
この辺が中国らしく面白い。

二つの細長い木(一目ではバナナを二つに割った形)を手に取り、床に落とす。
両方が同じ向きなら、まだ願い事を神様が聞き入れてくれていないので、もう一度やり直す。

 日本のおみくじのようなものもあった。
 
文廟の神棚には、学問の神様、孔子の銅像が鎮座している
  後殿の廊下から日月潭(湖)を臨む
オレンジ色の屋根瓦が印象的。この色は権威を象徴しているそうだ。
 台南観光
(午後:台南へ移動)
 
 赤嵌楼
(せきかんろう)

オランダ人が建設した城壁
1652年、郭懐一反乱の後、築城されたもの。

裏側奥に当時の赤レンガを積み上げた城壁に一部が残る。

 歴代の歴史を刻んだ石碑が立ち並んでいる。
右側が落ち着いた庭園

 オランダ人の統治に反対し、オランダ人の追い出しに成功した鄭成功が和議に応じた様子を銅像にしたもの

 右端の人はオランダ総督、当初は膝まづく姿だったが、今は対等に立った姿に変わっている。

 公園内に設置されている。

 この公園内にたくさんのガジュマルが生えている。枝から細い根がぶら下がり、その先端が土に触れると、土から養分を吸い上げて次第に根が肥り、幹に養分を吸い上げて幹が成長する。
 
 延平郡王祠


台湾からオランダ人を追い出した鄭成功を祀る。

    
本殿と、内部に祀られた鄭成功
高雄市観光 
 
 龍虎塔

7階建の2つ並んだ塔
 虎と龍が入り口を固めている。
池には蓮が咲いていた。

 
 
 龍虎塔の7階までらせん階段を歩いて登ると、素晴らしい景色が飛び込んでくる!

高雄は熱帯地方で、今日は晴天!
気温がぐんぐん上がって、30度。
暑かった。
風が吹きぬけて、気持ちがいい!

 塔に至るアプローチの折れ曲がる道が面白い。右側は蓮で埋め尽くされている。





池には、いろんな建物が造られている。
東屋風の建物、沖には女性如来様か?
中国風異国情緒が楽しい。
   
   屋根にも龍がある。
   中国人は龍と虎が大好きだ!









慈清宮(道教の寺)
内部は金ぴかで豪華な装飾









  ツアーの一行の祈りも、様になってきたぞ!
何を願って祈っているのかしら?

寿山公園にある忠烈祠
戦没者を弔う社
戦没者御苑という感じ?
夕暮れが迫り、少し暗め
高台から高雄港を見下ろす!夕暮れが近い。
  オプション・ツアーに全員(12名)参加
愛河クルーズ巡り












川船(40人乗り)は、屋根に太陽光発電パネルを設置、バッテリーに充電し、その電気でモータを駆動させて推進力を得ているので、ほとんど音がしない。
パリのセーヌ川クルーズや、ブタペストのドナウ川クルーズと比べると両岸の景色はまだまだ寂しい感じがする。 今後の発展に期待しよう。
 高雄の夜市(六合夜市)
 
巨大なシャコ等が並ぶ  
 
 高雄圓山大飯店(ホテル)客室
 
 広々とした客室
ベランダ付


バスタブとは別に
シャワー室がある。これは便利で使いやすい。
 4月27日(木)午前中 高雄市内

高雄圓山大飯店(ホテル) 
昨夜は暗くて見えなかったが、今朝、周囲を見て回った。
宮殿の様な巨大な建物、広大な敷地に圧倒される。
右サイドから、建物の裏側から、角度を変えて見る 
 台東~花蓮へ移動
 
 三仙台


 奇石が分布し、その中に巨大な岩石が3つあり、伝説によると呂洞賓、李鐵拐、何仙姑の3仙人がここに来たということで、三仙台と呼ばれます。

今回は時間の都合で橋を渡ることができませんでした。

 八仙洞


 八仙洞は非常に豊富な旧石器文化が発見され、
長濱文化」と呼ばれ、台湾最古の先史文化遺跡で、極めて重要な国家一級遺跡と定められています。
 両側からプレートがぶつかり盛り上がって、一部が浸食されてできた洞窟です。

 この洞窟は俗名、女岩とも言われます。なるほどを思いますか?  台湾には男岩もあります。どんな形なのでしょう?















北回帰線標柱(北緯23.5度)
変わった形のモニュメントが建っています。
ここから南は熱帯、北は亜熱帯気候です。
 4月28日(金)
太魯閣(タロコ)渓谷観光
 
  
 東西縦貫道路
の門
ここから先は縦貫道路に入る
     縦貫道路の門と石碑
 岩は全て大理石
縦貫道路の渓谷側の見学歩道
大理石が屋根のように張り出している
ここを歩く際はヘルメットを着用する

立霧渓という川が流れている。
川水は石灰分を多量に含み、灰色でドロドロ、魚は一匹も生息しない。
  峡谷の歩道を歩く。渓谷の高さは50mぐらい切り立っている。
 大理石は無尽蔵にある。大自然の造り出した凄い光景。

河の水はセメントの様な色

 緑のヘルメットをかぶり、歩いているのは道路作業員ではないですよ!
 このツアーの一行です。
  長春祠
難工事が続いた縦貫道路工事で212名が犠牲になった。その犠牲者の魂を祀る

 今も、工事が続いている。
トンネル、道路拡幅、架橋工事が着々と進められている。 

何年か後には、花蓮と台中が短時間で結ばれるようになる。

トンネル工事は大理石を掘削すること。
 花蓮駅から特急列車で、七堵駅へ移動(1時間50分)
電光掲示板が暗く故障かな
          特急列車、(日本の長野新幹線に似ている?)
 七堵駅からバスで、九份に移動
 
金鉱の街、九
份(きゅうふん)

左の写真は份を見上げた写真。
 山あいの村に金鉱が発見され、ゴールドラッシュの賑わいを迎えたのは清朝時代の終わりの頃。
19世紀後半から20世紀前半にかけ、台湾全土から人々が集まり、份は金鉱山として栄華を極めました。
 1900年代半ばに、徐々に採掘量が減り、1971年に閉山。
 份はかつての静かな村へ戻りました。1989年、映画「非情城市」の舞台になったのをきっかけに再び注目を集め、日本で份の町中にある建物が2001年公開の映画「千と千尋の神隠し」に登場する湯婆婆の湯屋を彷彿させるとして話題になった。
 
 日本統治時代に建てられた古い建物が残ることから、どこか懐かしい雰囲気が漂う町並みは日本人の琴線に触れ、今や台湾で行きたい観光地ナンバーワンになっています。

 小さな店が所狭しと建ち並び、狭い路地はすごい人で賑わいを見せています。
























有名な茶店 阿妹茶酒館
ここを予約して、お茶をしました。300元。












少し、台湾茶の茶の入れ方を教わる。まず茶器を温めて・・・。

份からのすばらしい眺望
 
ここが份の写真スポット。大勢の観光客をパチリ。
 を後に、台北市に向かう

 台湾の高速道路には料金所がない。ゲートがないので車は減速せず、そのままの速度で走り続ける。だから渋滞が発生しないので素晴らしい。

 高速走行で昼夜を問わずミスなく課金ができるシステムは日本のETCより優れているかも。

 写真のような通過ゲートが各所に設置されている。
 
台北市内に聳え建つ超高層タワー 
台北国際金融センター・台北101
高さ509.2m、 地上101階、地下5階

2004年に完成 建設費600億元(2400億円)
エレベータは東芝製、 1010m/分(60.6Km/時)
1F~89Fまで39秒で登る。  当時世界一。
 一行13人(W/趙さん) 最後の晩餐会(台湾料理)
大いに飲み、楽しく語り、大変盛り上がった! 
(皆さんの了解を得て写真を掲載しました

 旅とも①

楽しい仲間になりました。

 旅とも②

 ガイドの趙さんは日本語が流暢で分かり易かったです。
しかも、すごく博識でした。

NHKテレビを見て、日本語を学んでいるということでした。

 旅とも③

一人40代?の若い男性、
他は皆さん60歳超・超
でも。全員とても元気でした。
大変明るく楽しかったです。

参加者12名のツアーでした。
すぐ仲良しになりました。
良き思い出ができました。
皆さん、有難うございました。
 台北圓山大飯店(ホテル)泊
 ホテルの広々した赤いじゅうたんを敷き詰めたロビー
ピアノとヴァイオリンの生演奏で迎えてもらいました。












左はロビーの大きな胡蝶蘭        右はチェックインカウンター
 
2階ロビーには、金龍の置物
 
1階ロビーの天井にはたくさんの龍の彫刻
この真下が “Power Spot” と聞きました!
 










ゆったり広々とした客室
デスクも置いていました。
広々としたツインベッド
 
綺麗なバス・シャワールーム・トイレ
 4月29日(土)
台北圓山大飯店

写真は、朝の圓山大飯店の門を内側から外向いて撮ったもの  台北圓山大飯店
              自室のベランダから各室のベランダと、 ベランダからの眺望
 忠烈祠の衛兵交代式
 










戦没者慰霊宮殿の衛兵と交代式
 故宮博物院見学
  
台北故宮博物院には約70万点に上る古代中国の美術工芸品が
所蔵され、中国歴代皇帝が愛用した逸品が沢山展示されている。

蒋介石が中国共産党と内戦状態の中、形勢不利と察し、上海から
南京、四川省、北京、更に南京を経由して、大量の輸送箱に入れ
1948年、台湾に運んだ。そして1965年から公開展示を始めた。

これら工芸美術品を台湾に運んでいなければ、文化大革命の際、
破壊されていた可能性もある。苦労して運び出したから、今我々が
中国の歴史に触れ、優れた各年代の作品を目にすることができる。

 イギリスの大英帝国博物館、フランスのルーブル美術館、ロシアの
エルミタージュ美術館と合わせ世界4大博物館の一つと言われ、
中華5千年の歴史と歴代最高の文物を大量に貯蔵・展示している。
展示物を見て回ると、他の博物館と違った印象を受ける。それは
中華文化が日本文化の原点にあることで、我々には何か懐かしい
思いを抱かせてくれるからだろう。
(注)世界四大博物館は色々な選び方があり、NYのメトロポリタンを
上げることもあります。いっそ、五大博物館という方がいいかも。


有名な展示物のひとつで、清の時代に作られた『肉形石』は外出中
ということで、現物は見られませんでした。よくあることです。

いつも、開館から閉館まで、世界からの見物客でにぎわっている。
入館料は一般で250元(1000円)、団体で230元で、納得です。
 
 中華民国の父 孫文の像

 孫文は国父(国家の父)と呼ばれ尊敬されている。また、孫文は孫中山とも言われます。

 故宮博物院の玄関に設置され来館者に『博愛』の姿を示している。 

展示作品の数々 上は有名な『白菜』
よく見ると、緑の部分にキリギリスが留っている。
 
細かな彫刻で埋め尽くされたヒスイと香木の枠 『碧玉屏風』
(周囲が暗くて、フラッシュなしの画像)
殷周時代の5千年前の
青銅器


穀物の量を測る入れ物の様な容器や分銅がある。
度量衡の統一に使用された?

古代中国文明の発達が分かる。

素晴らしい形の青磁の逸品
 
各皇帝の印鑑が沢山押された書
 台北桃園空港 出発ゲート 
 
いよいよ、帰国の途につく
お疲れ様でした。謝謝!!
急いで作りましたので、ミス・間違いがあると思いますので、
ご容赦下さい。    時々、気づいた点は直すつもりです。