中央ヨーロッパ旅行

2004年6月9日~6月20日
『こだわりの中欧・ぐるり周遊12日間』
JTB旅物語

退職して、初めての海外旅行だった。暇に任せ、記憶をたどりながらHDDに入れた写真を引っ張り出して作成した。 もう8年前の出来事だ。記憶が間違っていればお許し頂きたい。
要所はインターネットを見ながら確認したつもり。

関空からウィーンに入り、飛行機を乗り継ぎポーランドの首都、ワルシャワに着く。
ここから旅が始まる。ポーランド⇒ドイツ⇒チェコ⇒オーストリア⇒スロヴァキア⇒ハンガリー6カ国を周遊する。 
ヨーロッパ独特の風景、中世の色濃く残る街並み、世界大戦の爪痕と、多彩な景色を見ながら長距離のバスの旅である。

周遊した6ヶ国の国旗

  
ポーランド       ドイツ          チェコ

   
スロヴァキア      オーストリア       ハンガリー


全行程の概略

茶色の点線;バス移動
 青色の実線;国際エアライン
 青色の点線;域内エアライン


全行程と主な内容

 日 程 行 程  主な内容 
6月9日   関空→ウィーン
ウィーン→ワルシャワ
 移動日
6月10日  ワルシャワ⇒ジェラゾヴァヴォラ
⇒ポズナニ
ワルシャワ市内観光
  ワジェンキ公園、水上宮殿
  ショパンの生家訪問
その後、ポズナニに移動 
6月11日  ポズナニ⇒ベルリン ポズナニ市内観光
  ポズナニ大聖堂、旧市街
その後、ベルリンに移動 
6月12日  ベルリン⇒ポツダム
⇒デレスデン
ベルリン市内観光
  ペルガモン博物館、ベルリンの壁跡
ポツダム観光
  ツェツィリエンホーフ宮殿、
  サンスーシ宮殿の庭園
その後、ドリスデンに移動 
6月13日 ドレスデン⇒マイセン⇒プラハ ドレスデン市内観光
  ツヴィンガー宮殿
  絵画館
  ブリゥールのテラス
マイセン;陶器工房見学
その後、プラハに移動 
6月14日 プラハ  プラハ観光
  ヘメルニック城
  プラハ城
  カレル橋
6月15日 プラハ⇒チェスキークロムロフ
⇒ウィーン 
チェスキークルムロフに移動
  チェスキークルムロフ城
その後、ウィーンに移動 
6月16日 ウィーン⇒ブラチスラバ  ウィーン市内観光
  シェーンブルン宮殿
  ベルベデーレ宮殿の庭園
ブラチスラバ市内観光
  聖マルチン教会
  ブラチスラバ城 
6月17日  ブラチスラバ⇒エステルゴムセンテルドレ
⇒ブダペスト
エステルゴムセンテンドレに移動
  エステルゴム
  センテンドレ
その後、ブタペストに移動 
6月18日  ブダペスト ブタペスト市内観光
  イシュトバン教会
  マーチャーシ教会
午後;ドナウ河遊覧クルーズ
6月19日 ブダペスト⇒フランクフルト  早朝(6:50)ブタペスト出発
フランクフルト(13:30)出発、関空へ
6月20日 関空着   帰国日

6月10日 

ひときわ聳える文化科学博物館
1952年着工、1955年完成。高さ237mの摩天楼。
スターリンの贈り物として建設された。
中は放送局、映画館、劇場、博物館、書店、会議場、オフィスなど


 
有名なNOVOTELホテルに宿泊
NOVOTEL CENTRUN HOTEL
  
ワジェンキ公園内の像、      右はショパンの像
ワジェンキ公園は広大な面積で、ボニャトフスキー王の夏の離宮がある。


 旧市街の街並み
第二次大戦でドイツに爆撃されたが見事に復旧した。

 
旧王宮前の広場
ジグムント3世王の像のコルムナ(石柱)
     
商店の壁に架けられたモニュメント、いろんな形があり面白い。


ワルシャワ蜂起記念碑

1939-1945年、第二次世界大戦で、ポーランドは未曾有の被害をこうむりました。
特に首都ワルシャワでは、市民蜂起軍とナチス・ドイツ軍の徹底抗戦の末、見渡すかぎり 一面焦土とかし、20万人以上の戦死者を出しました。

この市民蜂起は、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻から5年が経過した1944年8月1日に起こりました。ドイツ軍 に各地で連勝していたソ連軍がついにヴィスワ川右岸に達したことを見計らい、ソ連軍という強力な後ろ盾を支えに、
ワルシャワ各地で市民が武器を手に一斉蜂起したのです。

 


クラミニスキ家の宮殿

左手前にワルシャワ蜂起記念像
がある。 

ワルシャワ・ゲットー記念広場にある「ゲットー英雄記念碑」

 
旧市街の西1kmにある記念碑(左)です。
元来ユダヤ人が多く住んでいた地区でしたが、1939年のナチス・ドイツ侵攻後はユダヤ人居住区(ゲットー)としてユダヤ人をこの地に強制的に移住させ、ここから各地の強制収容所へ送られて虐殺されました。
記念碑はそのユダヤ人たちの霊を弔うものです。
ショパンの生家いつも賑わっている


 
ショパン肖像画
なかなかのイケメンだった
   ショパンの生家の内部、調度品や展示物の説明を受ける
  
ここにアクセスすると、UTube で「幻想交響曲」が聞けます。
http://www.youtube.com/watch?v=jD4gCH9Azms

 
家族の肖像画

 
 
愛用のピアノ

 
6月11日 


 ボズナニの朝の出勤風景
市民の足となっている低床式路面電車
や車が行き交う

ホテル近くの風景

ボズナニはワルシャワとベルリンのちょうど中間で両都市から300kmの距離にあるポーランド5番目の都市


 
ポズナニ大聖堂と、敷地内の古い教会

ボズナニ大聖堂の金の礼拝堂

 
大理石の祭壇


 
旧市街の風景
屋台が多く、屋外でたむろする人々




 旧市街の広場
歴史を感じる建屋が多い


 レストランは屋外にもテーブルを並べて営業している。

2頭のキリンのモニュメント
竹か蔓で編んだもの
結構背が高い


 
イエズス会の教会内部
立派な大型パイプオルガンが設置
6月12日 


 
ベルリンの壁跡
ベルリンは東ドイツにあり、第二次世界大戦後、
連合国が旧ソ連から死守した都市だった。
東西を分ける壁はなくなったが、ここは一部保存
されている。


 ブランデンブルグ門
門の向こうが東ベルリン、手前が西ベルリンに分離されていた。
東西ベルリンの統一で自由に行き交うことができるようになったベルリンの象徴


ここには現役時代に何回も行った。
初めの頃は封鎖されて、西側から東を展望台に登って見るだけだった。当時、東側は真っ暗で、不気味だった。その後、統一されてからも行った。
直後は、ロシア軍が被っていた帽子や使用品が土産物として屋台で売られていた。
今は、全くそういう影はない。
 ペルガモン博物館

ベルリンにある博物館の1つ。

博物館島はベルリン市内を流れるシュプレー川の中洲であり、かつての東ベルリンに位置する。



 
綺麗なタイルのモザイク
ブルーのタイルが貴重品だった。
左は見事な彫刻がされた門柱
    

 
リアルな表現の彫刻
 
叫んでいるのか?

 水差しか?
独特の色合いの壺


 ポツダム

サンスーシ庭園
絵にかいたような綺麗さだ!

プロイセン王国、フリードリヒ2世が建設。
1745年着工、47年完成、ロココ風建築物
フルードリヒ2世の夏の宮殿


 
サンスーシ宮殿、 右はブドウ園
庭園の壁にうまく這わせている。


 
『ポツダム宣言』の会合場所となった
ツェツィリエンホーフ宮殿
日本の別荘のような落ち着いた感じ


 
庭も結構きれいだった。
 6月13日

ザクセン州立歌劇場(ゼンパーオーパー)


 
ドレスデンは古い建屋が多い。
壁が黒ずんでいるので、そう見える。
ここでとれる石は柔らかく黒くなる。博物館


 ツヴィンガー宮殿と中庭

「ツヴィンガー(Zwinger)」は、もともと市の城壁を拡張した際に、以前の古い城壁と新しい城壁の間に生じた場所を意味する。12世紀に形成されたドレスデンの城壁は、15世紀に拡張されるが、その際に生じた新たな用地がツヴィンガーと呼ばれ、居城付近は庭園的に利用されていた。その後、1569年に入ると、城壁の整備が開始され、後にツヴィンガー宮殿が建設される用地の輪郭が居城そばに姿を現すが、まだ庭園としての利用に止まっていた。
ツヴィンガーに宮殿を建築したのは、1694年に
ザクセン選帝侯となったフリードリヒ・アウグスト1世
(アウグスト強王)である。


 ???


 
見事に彫刻された壁
 

 
修復中の聖母教会
右に降ろされたドームが見える。
結構大きいものだった。


 
ヨーロッパ各地で見られるレストラン
と屋外のテーブルで語らう客


エルベ川

観光クルーズ船が泊まっていた。
特になんという意味はありません。
ただの風景!


散歩途中にあった教会
名前は? 
マイセンに移動、陶器工房見学 



マイセンの工房
マイスターの女性が絵付けをしている
色の説明を受けた。
見事な磁気の品々!!
   

  

   

   



 
 

 
 6月14日
この旅行の最大の売り、ハイライトの一つ、プラハ


百塔の街、プラハ
 
赤い屋根、
キリスト教会の尖塔が建ち並ぶ絶景の街、 
見たことがない見事な風景だった!


 
左の写真は高台からの景色
カレル橋が見える。

観光客で一杯だ!!


カレル橋を歩く!
ここはスリが非常に多いので注意!




橋の欄干に 沢山の彫刻、彫像がある。
これに触れると『幸せ』になれる
 

 
キリストの彫刻


 
カレル橋の様子


 
プラハ市内の広場


 


からくり時計
 

 
夕食時のパーティ

 6月15日 


 
チェスキークロムロフ城

落ち着いた佇まい


 
チェスキークロムロフ城門


 
南ボヘミヤのオーストリアにわずかという
南辺にチェスキー・クルムロフ は位置する。
 ヴルタヴァ川 が大きく湾曲する地に中世の
佇まいを残すこの町は1992年にユネスコの
世界文化遺産に登録され世界で最も美しい町
のひとつとして知られるようになった。
  
チェコは最近、工業化が進んでいる。超高圧送電網が完備されている。


6月16日 


 
シェーンブルン宮殿
ハプスブルグ゙家の栄光の象徴


 
宮殿の裏庭


 
ベルベデーレ宮殿と庭園

ウィーン市街

 
ウィーン市街


 
ブラチスラバへ移動中

風力発電風車の林立
羽根が横たわる工事中の風車


ブラチスラバ゙を流れるドナウ川にかかる吊り橋

向こう側が新市街
手前は旧市街地


スロバキアの政治、文化、経済の中心都市であり、中央ヨーロッパ有数の世界都市


 
ブレチスラバ城


 
旧市街をとりまく城壁に設けられていた門のうち、
唯一残るのがこのミハエル門。正面の塔みたい
な建物がそうです。門といってもとってもかわいい
 
聖マルチン教会
14世紀初頭に初期ロマネスク様式。
ここでマリアテレジアの戴冠式も行われたという、
由緒ある教会なのですが、ひっそりとしています

スロヴァキア国立劇場

 
   
町中のちょっとした広場(公園)にあるジョークの銅像

 

今夜も楽しく宴会パーティ 
6月17日 

エステルゴム大聖堂
イシュトヴァーン一世のもとでハンガリーは1000年にカトリック教の王国として建国され、そのときこの地に王宮と大聖堂があり、ハンガリーの聖地としての役割を担っていましたが、オスマントルコとにモハーチの戦いで敗れた後エステルゴムも破壊され、このバコーツは1856年に再建されました。
 
家で囲まれた狭い中庭で出店が
開かれている


 
セルビア大聖堂
センテンドレ最大のセルビアの教会。



 いよいよ!ブダペストに着いた。

ドナウ河に架かる鎖(くさり)橋

明日のクルーズが楽しみだ!
 
夜はパーティー

 
 
夜景
 
鎖橋の夜景
6月18日 
ハンガリー共和国の首都。同国の中北部、盆地に位置し、ドナウ河が市内を貫流している。
面積525平方キロメートル、人口177万5203(2001)。
中部ヨーロッパ最大の都市で、ハンガリーの政治、文化、産業、交通の中心地。

現在のブダペストは一つの行政単位として統合されているが、ドナウ河右岸側のブダ地区と左岸側のペスト地区は長い間互いに独立した双子都市として発展してきた。
ブダは歴史が古く、古代ローマ帝国の領有時代に砦(とりで)が築かれた。

これに対してペストはドナウ川の氾濫(はんらん)原となっていた低平地で、洪水などによる水害を受けやすく、その開発が遅れたが、ブダが山がちで土地利用に余裕がないことと、この地が東西南北の交通の要所であったため商業の町として急激に発展した。
1873年、両市は合併し、ブダペストと称するようになった。



 
漁夫の砦

砦からの眺望

マーチャーシュ聖堂
屋根のモザイクが印象的
 
ステンドグラス
  


 
イストバーン教会と内部
  

 
ドームの天井の絵画


 ドナウ河クルーズが始まる
旅行のハイライト

国会議事堂

 
川岸の風景


 
川岸の風景


 
鎖橋(チェーンブリッジ)

頑丈な鎖(チェーン)

イシュトバーン教会

 
ドナウ川を行き来する観光船


ブダペスト市内の散策
自由行動中 


 
教会のような建物
実はマーケット(市場)と内部
     

    

 6月19日
 早朝、6:50 ブダペスト空港からフランクフルト空港へ、その後、関空へ