ペルー & アルゼンチン旅行


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ペルー国旗           アルゼンチン国旗

2009年9月16日〜10月18日

約一ヶ月間、ペルーの首都リマに滞在し、
ペルー国内を回り、アルゼンチンに足を伸ばしました。

09年11月5日更新

日程 行き先
9月16日-16日 伊丹空港 ⇒ 成田空港 ⇒ ヒューストン⇒ リマ (約28時間) 
9月19日 パチャカマ神殿、ペルー料理、
9月20日 ラチャイ(砂漠の中の緑の公園)
9月24日 ミラフローレス地区の散策(天野ミュージーアム、恋人たちの公園など)
9月25日 ミラバス(リマ市内観光バス)ツアー
9月26日-27日 イカ、ナスカ、パラカス、ペイレイ岬、パジェスタ島、
10月1日-4日 クスコ、ウルバンバ、オリャンタイタンボ、マチュピチュ、聖なる谷、ピサック市場、 
 10月7日-11日 サンチャゴ、メンドーサ、イグアス、ブエノスアイレス、
 10月16日-18日 リマ ⇒ ヒューストン ⇒ 成田 ⇒ 羽田 ⇒ 関西空港(30時間)

 ペルーの基本情報 
 国土面積  128万5216平方キロ   日本の約3.4倍 
 人 口  約 2615万人(リマ;790万人)  日本;1億3000万人(東京;1200万人)
 緯 度  首都リマ;南緯12度  大阪;北緯35度 
 時 差  10時間 (日本時間マイナス2時間、昼夜逆)

初めての南米
今回で今年3回目の海外旅行になった。 ペルー在住の娘家族のマンションを一ヶ月根城にして、ペルーとアルゼンチンを見て回った。 初めて赤道を超え南米に行ったが、第一印象は遠い!
南米(アルゼンチン、ブラジル)は日本の対極点(日本から地球の中心に向かって串刺しすると、串が出るところ)にあり、地理的には最も遠い国である。完全に日本の裏側の国。航空機の発達で時間は短縮されたが、それでも30時間ほどかかる。大阪から成田まで1時間、乗り継ぎに4時間半、成田から北米のヒューストン(今回はコンチネンタル航空を利用)まで13時間半、乗り継ぎで5時間、ヒューストンからリマまで6時間半、トータルで一日24時間以上かかる。日付変更線を越えるので、行きは日付が戻り、同じ日付の内に到着する。成田からヒューストンはB777−200で座席が3−3−3列で前後の間隔が狭く、窓際に座るとトイレに行くたびに真ん中と通路側の人に立ってもらわなければならず、うっとうしかった。2−4−2なら横に8人で一人分少なくなるが、乗客の満足度からすると格段に良くなると思った。ヨーロッパ便はエアバスが多くて、確か座席は横8人だったと思う。前後ももう少し広々していた。ヒューストンからリマ行きはB757-200で座席は3−3。
国際線は無料と考えていたが、太平洋路線はアルコールは有料で、ビールが5$でびっくりした。 

 アメリカ合衆国のセキュリティー
 アメリカを経由するので、自宅にいる間にパソコンでESTA申請を済ませておいた。
ヒューストンの入国審査は大変厳しく、入国カード、税申告カード、両手の指紋のデータ取り、(右手;親指、後の4本、左手の親指、後の4本)合計4回指紋採取された。その後、顔写真を撮る。
靴は脱ぐ、ブーツは脱いだりはいたりが大変だ。約30時間の長旅が終わり、リマに着いた
リマの気候の不思議 
 ペルーの首都、リマは太平洋の海岸線にあり海抜ゼロメートル、南緯13度にあり熱帯地域で本来なら強烈に暑いはずが、何と気温は20度±1度でほとんど変わらず、四季がないという珍しい気候の地です。一ヶ月滞在中、朝、昼、夜の温度が一定で、温度計が壊れているのでは?と思ったほど。湿度は80%と高いが、温度が低い野で、蒸し暑さは全くない。
毎日、毎日、空は曇天で、雨が降りそうな空模様だが、全く降らない。これがリマの天候らしい。南極方面からチリ海岸に沿って寒流が流れているために、空気が冷やされるためらしい。
ペルーの3つの気候 
 ペルーはほぼ赤道直下から南緯18度にわたる多様な地域を有している。年間を通じてほとんど雨が降らない乾燥した砂漠、標高3000mから6000mのアンデス高地、ジャングルに覆われたアマゾン流域の密林地帯と、3つの変化に富んだ風土と気候に分かれている。
それぞれの地域で全く違った文化や風習を見ることができる。
ペルーとインカ帝国 
 ペルーと言えば、インカ帝国を思い浮かべるが、紀元前数千年からいろんな文化が起こり各地に王国が林立した時期を通じて、15世紀から16世紀にインカ帝国が統一した大帝国を作った。恥ずかしながらペルーに行くまでこういう歴史を理解していなかった。
アンデス文明の特異性
 今まで世界の古代文明は大河の流域に発達したと教えられてきた。世界4大文明の発祥地は中国の黄河、インドのインダス川、チグリス・ユーフラテス川、ナイル川と大河の流域で起こり、米や麦の栽培が文明を起こした。
南米のアンデスには米も麦もない乾燥した土地で、トウモロコシとジャガイモが命を支えてきた。またインカ帝国には文字がなく、口伝えで歴史、神話を伝承し、キープという縄の結び方で記録をしたとされるが、スペインが征服した際に神官を捕まえて殺してしまったので、現在ではキープの解読ができていない。
アンデス文明が他の古代文明と大きく違うのは、『無い無い尽くしの文明』であったこと!!
   文字  貨幣 鉄器   麦 米 
アンデス   ×  ×  × ×   ×
 マヤ  ○  × ×  ×  × 
 黄河  ○  ○  ○  ○  ○
 インダス  ○  ×  ×  ○  ×
 メソポタミヤ  ○  ○  ○  ○  ×
 エジプト  ○  ×  ○  ○  ×

クスコ旧市街の有名な石組はどうして築いたのだろうか? 紙一枚入らない、隙間の無い石組を見ていると、インカ文明の不思議さを感じる。 ガイドに聞くと、彼はポケットから黒い石のカケラを取り出し、これで石を削ったのだという。その石のカケラは隕石だった。隕石は鉄のように重く、大変緻密で硬かった。

 リマの生活
 気温は20度で快適気温、住所はミラフローレス地区にあり、マンションが立ち並んでいる。ペルーは経済成長が順調で、ここリマもマンション建設があちこちで見られる。日本と違い高層マンションはなく、せいぜい10階建て程度の中低層マンションである。地震があるが、台風その他の天災は少なく雨も降らないので、家の作り方もずいぶん違う。トユがない。
窓ガラスは分厚く、サッシレスで、すっきりしている。ガラス板の上下はアルミを挟んでいる。工事中のマンションを見ると、柱には鉄筋を入れているが、壁はレンガで積み上げている。一階ができたら、屋根を作り、次に柱を伸ばし2階を建てるというように次々と階数を増やすやり方で高くなってゆく。こんなビルで大丈夫か?と思う。

 リマの治安
 リマ市内の「アセンタミエントス・ウマノス」又は「プエブロ・ホベン」と呼ばれる貧民街地域、犯罪者の多く集まるメルカード(市場)や、いかがわしいホテル等では警察による臨検が行われます。 市内でも治安対策の観点から警察による検問等があり、その際、身分証明書を携帯していないと拘留されることもあるので注意が必要です。(ただし、パスポートの携行に当たっては盗難に十分注意。) 地域によるらしく、それ以外の場所は全く不安な感じを抱かなかった。

ミラフローレスのスーパマーケット 
 近くのスーパーマーケットには、商品が豊富に並んでいる。特に果物は熱帯のパパイヤ、マンゴ、パイナップル、バナナ、チリモヤ、スイカ、オレンジ、など完熟で大変おいしい。
野菜も豊富で、トマト、キューリ、ナス、カボチャ、キャベツ、レタス、ホーレン草、ニンニク、ショウガ、ブロッコリー、ピーマン、何でもある。特にジャガイモは皮の赤いものや、黒いもの、大きいものや小さな物、トウモロコシも実がそら豆ほど巨大なものなど多品種で驚く。
肉類も牛肉、豚肉、鳥肉、魚類、特に魚は漁獲量世界2位だけあって何でもおいしくて安い。トイレタリー商品はアメリカブランドの商品が多い。 ビール、ワインも種類が豊富。

店で働く人はインディオが多いが、買い物客はヨーロッパ系の人が圧倒的に多い。レジはバーコードで読み込み、日本と同様にキャッシュまたはカード支払いで、簡単にできる。
貨幣単位はソルで、1ソルは30円見当(レートは34円前後)レジを終わると、少年が車まで買った商品を運んでくれるので、買い物は楽だ。
リマでは、家事のお手伝いさん、車の運転手、マンションの番人などが働いていて、日本で生活するのとは少し感覚が違う。

トウモロコシとジャガイモ 
 南米のアンデス高地での人々の命をつないできた食物はトウモロコシとジャガイモである。乾いた痩せた土地でも栽培ができるこの2つの植物のおかげで、アンデス文明が生まれた。トウモロコシは実が黄色、白、黒など多彩で粒の大きさもさまざまで、そら豆ほどの大粒のものがあり、品種は36種類ある。ジャガイモはなんと120種類以上あるそうです。

リャマとアルパカ 
 3000m以上の高原地域に住む独特の動物で首が長い。特にアルパカはラクダ科の動物でアンデス山脈の財産、標高4000mの高地に住み、マイナス一度前後の気温に耐えられるようその毛は非常に柔らかで強い繊維でできている。高級毛糸になる。

貴重な水 
 リマはほとんど雨が降らず、街中は埃っぽい。リマだけでなくペルーは雨が少なく砂漠が多い。リマを数十キロ離れると、周囲は砂漠地帯になる。水は人々にとって大変貴重な資源。市が管理する公園はスプリンクーラで芝生に散水している。大きな木の水遣りは公園に溝を堀めぐらしてそこに水を流して自然冠水の方法をとっている。10日に一回位で水をやっている。
車は雨が降らないので、泥んこになることは少ないが、埃がつくので時々掃除をしているが、ホースで洗車している姿はなく、バケツに水を汲んでゾウキンで拭いている。信号待ちをしている時に、バケツを持ってフロントガラスを拭くサービスをする人がいる。運転手と交渉し、手早くモップでガラスに水をつけて、ゾウキンで拭き取って、チップをもらう人がいる。

旅先のスナップ
カメラ;    キヤノン EOS Kiss X3
レンズ;TAMRON B003E 18-270mm

ペルー・Lachay国立公園
  リマから北に100km、砂漠の高速道路を走ると、海岸から少し離れた小高い山に、海から吹き上がる霧で湿気が補給され緑の国立公園Lachay(ラチャイ)がある。伊吹山のような感じで、ガスが漂っている。砂漠の中の緑の公園、大変珍しいところ。

気温は15度ぐらいか? 肌寒く着ている服装は冬装束。
トマトの原種

これがトマトの原種と言われる草花で、小さな花が咲いている。周囲には珍しい草花でいっぱい。高山植物のようなものもある。
キンポウゲのような花 
霧にかすむ公園

常に霧、ガスがかかっている。風が吹くと、しっとりと湿気を感じる。
数十キロ砂漠を走ってきたので、無性に緑が恋しい。

緑は生命の源の証拠で、ほっとする。
乾燥地帯の砂漠の山の上に、こういう緑地がある。大きな木は少なく、背の低い草やコケが多い。実に不思議な光景だ。
野鳥

緑や草木があると、野鳥が生息する。散策中にも、やかましいほど野鳥の鳴き声が聞こえる。
小さな野鳥が目に入ったので、望遠で撮影。
急にガスが垂れ込めて冷えてくる。枝が不気味に曲がりくねった木々。 
パンアメリカンハイウェイ
ペルーを南北に走る幹線高速道路。2車線・2車線の道路で、メインテナンスがよくできているので、安心して走ることができる。
砂漠の中を何キロメートルも直線で延々と走る。広大な土地、広大な砂漠を実感する。
リマ市内・ ミラバスツアー 
ミラバスツアー

ミラバスという真っ赤な2階建てのバスで、ミラフローレス公園から出発し、リマの中心街、旧都心の観光に行った。
気温は20度前後で快適だったが、天蓋のない2階に座ると、走行中は風がまともにあたり寒かった。
ウィンドブレーカを着ていたが、冬装束のほうが良かった。
リマの中心街
ミラバスの2階フロアから官庁街を見る。
リマの中心街、政府庁舎が立ち並ぶマヨール広場、中央が大統領府
サン・フランシスコ教会

たくさんの観光客、小学生に出会った。ものすごい数のハトに驚いた
リマの中心街

支庁舎街
の近くのリマの大聖堂
ペルー・パチャカマ神殿遺跡 
パチャカマ神殿遺跡

リマからパンアメリカンハイウェイで約30km南下したところに6世紀頃栄えた文化で、パチャカマック神殿遺跡がある。
すぐ近くが太平洋。海岸から1kmぐらいか。強い風と砂漠の砂で遺跡は風化がひどい。

今は、太陽の処女の館、太陽の神殿のみが残る。
  パチャカマ宮殿跡

風化で壊れてしまっている 。何か貴重なものが埋まっていそうな感じがする。発掘中。
パチャカマック神殿

一部が修復されて、原型を見せている。インカに征服され、パチャカマ;『天地の創造』と名づけられた。日干し煉瓦で建てられている。

15世紀にインカが征服後、インカ帝国の海岸地方の主要都市として栄えたが、1563年にスペイン人が侵入し、金銀の略奪、焼き討ちにあい、今は砂漠の中に埋もれている。
歴史の残酷さを感じる。
リマ・ミラフローレス地区・天野博物館 
(アマノミュージーアム)
日本人の実業家、天野さんが資材を投げ打ってプレインカ文明遺跡の発掘をし、出土した土器や織物などを2階に展示している。
マンションから200mほどの距離にあり、こじんまりとした建屋で、ペルーはインカがあまりに有名なので、此処に来て初めてプレインカ文明の実態を知った。

1階は事務所とみやげ物店入場は無料、事前の予約が要る日本人ガイドが詳しく説明してくれる

プレインカ時代の土器

注ぎ口は上に筒のようになっているところで、2本あるのが特徴
プレインカ時代の土器

動物の形に特徴があるこれは黒っぽい色をしている
キープ

インカには文字がなく、口伝えで歴史、神話を伝承し、『キープ』という縄の結び方で意思を伝えたと言われる。
キープを使って意思伝達が出来たのは神官だけだった。スペインが征服したときに、報復を恐れ神官を皆殺にしたので、このキープの解読が未だにできていない。

アナログかデジタルか、不思議な世界である。
インカ模様

独特の模様、高い機織の技術が見える大変細い糸を使っている。現在のハイテクでも難しいような、250番という超極細の糸が使われた織物も所蔵されている
2階の二つの部屋の片側は土器類、反対側は織物類を展示している。
ペルーに行った時は、是非一見の価値がある。
ペルー・ナスカ観光 
快晴で飛行日和。
イカのローカル空港から6人乗りのセスナ機で約30分、砂漠の上空を飛ぶと、ナスカに着く。上空300mほどの高度で旋廻するが、他にも観光用のセスナが沢山飛んでいるので、衝突しないか心配だった。
ナスカ上空で30分飛行し帰還した。飛行時間は1時間半。

セスナ機のコクピット
左側にパイロット、右側に小生が座り、後席に韓国人夫妻、その後ろに家内と娘が座った。計器がたくさんついているが、操縦は有視界飛行。
幸い天候が良かったので、時々揺れたが快適だった。機内はエンジン音で大変やかましく、ヘッドフォンをかけ、パイロットの説明を聞きながら観光した。
操縦席の前に「チップありがとうございます」と言うメモが貼っていたので、降りてからチップをはずんだ。
   地上絵
地上絵はたくさんあるが、
特に有名なものは
ハチドリ、クモ、コンドル、
サル、イヌ、宇宙人、
クジラ
など。

セスナに乗ると、地図をくれる。
これを参考に地上絵を探す。
下の航空写真から地上絵が
分かりますか?
左右の座席の人が見えるようセスナは地上絵上空で8の字に旋回する。
その角度が45度ほどの急旋回なので下を見ていると、落ちてゆくような感覚になり気分が悪くなった。地上絵は思ったより小さく、砂漠にバギーカーのタイヤ跡がたくさんあり、紛らわしかったが何とか確認できた。
 クモの地上絵
 これは何か??
 クジラ
地上絵の視界から目を転じると砂漠が広がっているのが見える 
真ん中を横切る黒い帯は、パンアメリカンハイウェイ。見下ろすと帯の上下に地上絵が見える
 イカ空港の滑走路が前方に見えてきた。緊張の瞬間。
無事に着陸できるか?

機体は風で左右に揺れる。大丈夫!
 イカ空港、小さな小さなローカル空港。いろんな大きさのセスナ機が駐機している。
双発の大きなジェット機もあった。
ペルー・パジェスタ島観光 
20人乗りのモーターボートで、パラカス半島、ペイレイ岬、パジェスタ島に行った。
われわれの出発は2便だったが、海は次第に波が高くなり、風がきつくなって、ボートは上下にたたきつけられるように激しく動いた。
昨日、セスナ機で揺れに対して慣れたので、船酔いはしないで済んだ。
われわれ以外は欧米人ばかり。
往復で2時間。
ペイレイ岬のペリカンの群れ
ペイレイ岬にはペリカン、皇帝ペンギン、ウミネコが混ざり合って生息していた。他にも無数の海鳥が住んでいる。

この辺まで来ると、
鳥の糞のきつい臭いが鼻を突く。
糞で岩が白くなっている。
オタリアのハーレム

アシカの一種であるオタリアのハーレムがたくさんある。岩の上で寝そべって昼寝をしていたが時々、歯を剥いて激しく怒鳴っていた。黒いのは子供のオタリア。のんびりした時間が過ぎる。ここはオタリアの楽園。
 おびただしい数のオタリアの群れ
カンデラブロ

パラカス半島のペイレイ岬にはナスカの地上絵に似た『カンデラブロ(燭台)』の絵が山肌に描かれている。
晴れた日には、海上20km離れたところからも見える。
何の目的で描かれたのかは不明だが、猟師が海上から位置を確認するためと言う見方もある。
 ペルー・クスコ観光
 クスコ
クスコはインカ帝国の首都、標高3400mの高地にある。
リマから飛行機で1時間、海抜0mのリマ空港から3400mの高地に着くので、飛行機を降りてゆっくり歩かないと息切れし、ふらつく感じ。
赤茶けた無数の家並み、緑はほとんどない。

コリカンチャ(太陽の神殿)

スペインが征服後、サント・ドミンゴ教会となり、黄金で埋まっていた神殿は上部を壊し教会を建てた。

右の写真は中庭。
3部屋が見通せる窓。
正確無比な石組みが見られる。高度な技術で作られた神殿跡地。
   捧げものの台と背景は石組み
壁は見事な石組みで寸分の隙間も無い。特にここの石組みは精巧で緻密にできている。ものすごく手間隙をかけて石を削って造った物と思われる。
 石組みは正確無比、見事!ところどころに出っ張りがあり、反対側を凹ませて組み合わされたこのため度重なる地震にもびくともしなかった。
この出っ張りは石を運ぶ際に引っ掛けに使ったと言う説もある。

すべてガイドの受け売り
インカの人は3つの世界を信じた。太陽、地上、暗がりの世界

この金の板は太陽の神殿の中のいたるところに架けられていたが、スペイン人がすべて持ち帰った。

これはレプリカ。 
太陽の神殿の庭の花 不思議なことに下向きに咲いている。
太陽の神殿の庭の花  
民族衣装をまとった
インディオの観光客たち。
彼女達がはいているスカートは6重にも重ねてはき、腰の周りが異常に太く見える。
小生はインディオの夫人は年齢を重ねると、お尻や腰周りが太くなるのだと思っていた。
平安時代の十二一重の腰巻のようなもの?
この写真ではちょっとイメージしにくい残念でした。
有名な12角の石組み。

精巧に切削され、石と石の間に紙一枚入らないことで有名。こういう石組みの技術がどのようにして生まれたのか?疑問。単に積み上げたものではなく、凹凸を作って上下左右に組み合わせているので、地震でもずれない。
鉄器を持たないインカの人たちが何故、どうして硬い石を加工したのか?インカ文明の謎が深まる。
教会

中心街のアルマス広場にはインカのビラコチャ神殿を壊して建てたカテドラル(教会)がある。すぐそばにはラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会がある。石とレンガの建物。アルマス広場はたくさんの観光客でにぎわっている。
 サクサイワマン
クスコ郊外の高台にサクサイワマンと呼ばれる頑強な要塞?がある。スペインに対抗したインカは2万人の兵士が此処に陣取ったが、夜は戦わないインカ兵はその隙をつかれ崩壊したと言われている。巨石を3層積み上げて建てられている。広大な広場になっている。毎年6月(夏至)に太陽の祭りインティ・ライミが開かれ、インカの儀式にのっとり、羊のいけにえが捧げられる。たくさんの観光客でにぎわう。
巨石が積み上げられている
人の大きさと比べてほしい。
この大きな石をどうして運んできたのか?
 違った角度から遺跡をみる。
高度3765m地点
ちょうど富士山の頂上ぐらいの高度。ここからさらに歩いて登ると、3800mタンボマチャイ遺跡がある。


ロバとリャマ
 

薄く皮がはげる木
この皮を、薬、お茶に使ったアンデスの木;
テウニアという。この辺だけにしかない珍しい木
タンボ・マチャイ遺跡

標高3800mと言う高地に、聖なる泉があり、雨季・乾季を通じて一定の水が湧き出ている不思議な人工の泉。
インカ時代の沐浴場と言われる。どこからこの水が流れてくるのか未だに不明。サイホンの原理で水を流していると言う説もある。
ウルバンバのホテル
クスコから車で1時間半走り、ウルバンバに着く。標高は2800mで高山病の心配はないので、ここに宿をとる。5星ホテルで、周囲は塀をめぐらし、囲いの中は別天地、周囲は何もない、超静かな別世界。夜は真っ暗な澄み切った空に無数の星の群れ。南十字星はどこにあるのか?このホテルで夜5回停電があった。テレビはNHK BS国際放送が見れたが、停電のたびに、再設定が必要だった。朝方、庭の花にハチドリ(ハニーバード)が蜜を吸いにやっていたが、シャッターチャンスを逃してしまった。
残念!
ペルーマチュピチュ観光 
いよいよ、メインエベント、マチュピチュに来た。駅からシャトルバスで登ってくる途中の景色。
下を見ると、切り立った崖の下にウルバンバ川が見える。これがナイル川の源流だ。
崖の高さは400mにもなる。目がくらむ高さ。
 
見事な 段々畑とヘアピンの道路

左下に見えるのはシャトルバスのジグザグのヘアピン道路。段々畑ではトウモロコシを主に、ジャガイモを栽培していた。
空中都市、マチュピチュ

標高2400m、あまりにも有名、その雄姿は知らない人がない。一度行ってみたいと思っていたが、やっと着いた。
スペイン軍はインカを徹底して破壊したが、この地は無傷で残り、1911年米人ハイラム・ビンガムによって発見されるまで草に埋もれた廃墟だった。手前の山が2690mのワイナピチュ、高い山は2940mのマチュピチュ山
約1000人のインディオが住んでいたとされる。
反対側の急な斜面にも造られた畑 
マチュピチュの唯一の入り口

内側に木製の扉があったが、今は扉を取り付けていた兆番の後が残っているだけ。石組みはすばらしい。
 下から上を見るとこんな風景、中央にある尖った建物は見張り小屋、右下の穴は唯一の入り口
 太陽の神殿

クスコの太陽の神殿と類似した造り。自然岩の上に見事に石組みされた建物、二つの窓は夏至と冬至に太陽が差し込むように正確に造られている。
段々畑

急斜面に造られた段々畑は崩れるのを防ぐためである。ここにトウモロコシやジャガイモを作ったが、ガイドの話ではトウモロコシが主体だったらしい。畑の広さから推察して、1000人のインカ人がここで生活していたとされる。
倉庫跡 
 命の綱、水道
石切り場
マチュピチュには石切り場があり、ここで岩を適当な大きさに割り、加工したとされる。
岩を割る技術が一つの残された岩から解明された。割る線に沿って穴をいくつか空けて、そこに木を差込み水をかけると、木が膨張してその力で石が割れる。
本当かどうか分からないが、ガイドの話。
マチュピチュには薬草園もあった。いろんな薬草が作られている。
 
石垣にひっそりと咲くラン
 トカゲ  

野ウサギ
インティワタナ

「太陽をつなぎとめておくところ」宗教的な意味合いがったところ?手をかざすとパワーが感じられる
巨石マチュピチュの最高点で、高さ1.8mの日時計?
中心の角柱は36cm、角柱は東西南北を指している。
ここから下を見ると、切り立った崖の下にウルバンバ川が見える。
尻が窄むほどの垂直に切り立つ絶壁になっている。
処刑台

このツアーのガイド、エリーさん日系3世で、九州出身。
日本に12年ほど住んだことがある人で、日本語は上手だったが、言い回しは外国語的で分かり難さもあった。。
でも一生懸命に説明してくれた。
 処刑台
コンドルの石
ペルー・聖なる谷観光 
インカの農園試験場跡;モライ

同心円の段々畑にいろんな作物を作り、気温の差による影響を研究したらしい。
周囲は50m、深さは30mある。先の地震で一部壊れているところがある。

ヨーロッパやトルコでこういう景色(施設)を見ると大抵、競技場であるが、厳しい自然の中で生きてきたインカ人の農業に対する思いが分かる。

上空でコンドルが舞っていた。

420mm望遠レンズで撮影したが、なにぶん遠方の上空で距離があり、うまく撮れたか分からなかったが、何とかコンドルの雄姿、羽根の先端部の白い模様がはっきりと見える。4羽ほど舞っていたが、しばらく旋回してどこかに消えた。最近、なかなかコンドルに会えないらしい。これはラッキーだった。
マラスの塩田

プレインカ時代から続く塩田、なんと標高3000mにある珍しい塩田で、山の上から見下ろすと、白く石灰岩のように見える。古くは海だったのか?不思議な風景である。

ここが源泉で一箇所だけ。

高濃度の塩水が流れ出している。水量は常に一定で、見た目には多くない。指に少しつけてなめると大変塩辛い。しばらくすると、濡れた指先が塩の結晶で白くなる。濃度が高いので、すぐ塩の結晶ができる。

雨が降らず乾燥地帯なので製塩にはもってこいの場所。プレインカ時代から続く塩田。

ここで溢れた水は下の川に放流するが、川の水が海水の塩分程度になるので、そこで海水魚の養殖をしている。

上はインカの塩田
白い棚田はトルコで見た!!
パムッカレの石灰棚

トルコ旅行記を見て下さい
  いろんな広さの段々畑(棚田)の田んぼに塩水を流し込み放置する。塩水が蒸発して、塩が結晶になり、それを集める。
一回目に取れる塩は白く純度が高いので食塩に、さらに塩水を流し込み製塩を続ける。不純物が多くなるので、2、3回目の塩は次第に黄色くなる。黄色い塩は工業用、皮のなめしに使う。
右下の女性の向こうに白い袋が見える
オリャンタイタンボ遺跡
入り口の門

石と土で出来た門ハープのような楽器を弾く老人がいる
 
見事な段々畑

ここでもトウモロコシとジャガイモを作った。この左右の道を300段登る。 
インカ時代の宿、または要塞跡

急斜面に段々畑が作られ、石段を300段登ると広場がある。
広場周辺はインカの石積みが見られる。石垣の表面を見るとインカ時代のものと、そうでない時代のものの差がよく分かる。
6個の巨石

何の目的で置いたのか不明、
右の隅の人の大きさと比べて!どうして数百トンもある巨石を運び上げたのか?謎は深まるばかり。
 
 豊かに流れる泉

貴重な水、こういう水道が3箇所ほどある
  立ち並ぶみやげ物店 遺跡を出たところ、広場でみやげ物店が立ち並んでいる。鮮やかなインカの色彩が目立つ。
帰り道、途中で立ち寄ったレストラン円形のオープンな建てや熱帯地方の小屋のような感じ。快適な気温、湿度で、快適な昼食を取った食事もまずまず。
  レストランの庭の木に留まっていたアカコンゴウインコ

これは珍しいと思って撮ったがレストランが飼育していたものだった。よくなついている。
ピサック市場

ここは現地人の生活を支える市場だったが、観光客が増えていろんな物を売るようになった。日曜日だったので、大変にぎわっていた。
果物は豊富
熱帯地方独特の果物が豊富にある。味もまずまず 。とにかく安い。
なんとも鮮やかな粉 、何に使うのか??
トウモロコシ

いろんな色の、いろんな大きさの種がある。
豊富な品種に驚くばかり。
 市場の一角にあるパン屋

中央の釜で焼くナンの様な薄いパンだった
みやげ物店

アンデス独特の商品が並んでいる
おびただしい数の商品
同じくカラーフルなアンデスのみやげ物
アンデスの子供たち

民族衣装をまとった女の子達、写真を撮るとチップを要求された、一人に渡すとかわいい二つの手がさらに伸びてきた。
何かもの寂しい感じを受ける顔つきは何故だろう
ここからアルゼンチン
メンドーサ観光
(ワイナリー巡り)
 ホテルの朝食

バイキング料理
窓の外の景色は額縁の絵のようだ。
フランスを思わせる風景
ぶどう園

フランスやイタリアやドイツのぶどう園は段々畑が多いが、ここは広大な平野。手入れは楽だ。
ブドウ栽培に適した気候で雨が少ないので、地下100mから水を汲み上げて適度に冠水する。今は芽吹きの時期で、来年3月頃に収穫する。赤も白も作られている
   ワイナリーの設備
収穫したブドウをつぶして絞る機械
年に一度、収穫期だけ使うので、その時以外は放置している。この機械だけで収穫したブドウをすべてを潰して絞る処理する。
ワイン工場内で、ワインの作り方の話を聞く
 
ワイン工場内のタンク群

近代的なワイン作りをしている。タンクはステンレスで、温度管理を厳しくして、清潔な環境でおいしいワインが生まれる。
高級ワインはさらに樽詰めされて
熟成される。
   樽詰めの高級ワイン

安いワインはすぐにビンに入れ出荷、高級ワインは樽で寝かすエアコン完備で近代的な設備以前、ヨーロッパの古いワイナリーに行った事があるが、薄暗い地下室の中で、何かカビの臭いがする環境にワインのビンが沢山並べられていたのを思い出した。そういうノスタルジックな面は全くなく、近代的なワイナリーであった。
  ワイナリーの研究室

フラスコ、ビーカ、アルコールランプ、サイフォン管など実験器具が並んでいた。 
 いよいよ試飲

沢山の種類のワインが注がれる。全部飲むと酔っ払いそう。
でもわくわくする
講釈を聞きながら飲むとおいしいので、家内の分まで飲んだ
ワイナリーの全景

右の建物自家製のワインを飲ましてくれる。

このワイナリー/ブドウ畑から数キロメートル離れたところに煙突から炎が見えた。
メンドーサは石油が産出するので、製油所があると言うこと。石油製油所は普通、海岸沿いにあるが、こんな陸地にあるのは、そこに油田があるから。ブドウの栽培には影響は無いということだった。
ワイナリーのレストラン

テーブルの上にはワイングラスがズラッと並び、いろんな品種、いろんなランクのワインを飲みながらおいしい昼食をいただいた。やはり最後に飲んだワインが一番おいしかった。フルコースのフランス料理もおいしかった。
  メンドーサ市内の公園 
   メンドーサからブエノスアイレスへ移動

メンドーサ空港
アルゼンチンイグアス観光
イグアス

宿泊したホテルから歩いて5分ほどの所にアルゼンチン、ブラジル、ウルガイ3カ国の国境が交錯する地点
  イグアスの滝周辺地図
上に回り込んだ道路が悪魔ののど笛の滝に行く道
世界の滝の比較表の看板
 三大滝
イグアス、ナイアガラ、ビクトリア
広大な川に架かっている橋を歩いて進むと、中央に見える白い煙のような所が、滝が流れ落ちて水しぶきが上がっているところ悪魔ののど笛
これがイグアスの滝!

ものすごい水量が落ちる光景は足が震える。
轟音とも地響きとも言える轟音と振動が伝わり、水煙は雲のようになり湧き上がる。
2週間ほど前に雨が降り、水量が多かったので、超ど迫力な眺め!!ここに行くには歩道橋を渡って行くが水量がこれ以上増えると、通行止めになるらしい。ラッキーだった。
悪魔ののど笛の滝
 これがイグアスの滝!

とにかくすごい水量、落差、広さ、驚きわたる轟音、
違った角度、場所から撮ったイグアスの滝、

滝は長さ4kmに及ぶ広さから落ちるので、その巨大さは想像を絶する。
 いくつもの巨大な滝が見えるイグアスの滝
水しぶきでいくつもの虹が出来た滝周辺 


巨大な滝から落ちる水は周囲に湿気を供給し、天気が良ければきれいな虹を作る。
水煙は遠くまで届き、カメラのレンズを気にしながらの撮影になる。
巨大な水すだれ轟音、水しぶきすごい迫力
巨大な水のカーテン

膨大な水量が落ちる姿はまさに巨大なカーテンのようだ。
 滝つぼ近くまで観光用の取り付け道路が造られている。
 ここまで来るには裸で行かないとずぶぬれになる。
ワイワイ言いながら滝つぼを覗いている。
 モータボートで滝つぼに突っ込む観光客
滝つぼに突っ込むモータボート
浮き袋、救命バッグを着けて、水しぶきの中を滝つぼに突っ込んで行く観光ボート。
帰ると全員下着までずぶ濡れ状態。
 対岸はブラジル領

シェラトンホテルが見える。
イグアスの滝はブラジル川から見ると全貌がよく見えるらしいが、今回はビザの都合でアルゼンチン側からだけでした。
周辺の公園内のレストラン

好天に恵まれたので、屋外で食事を楽しむ人が多い
道端に巨大なカブトムシが出現、亜熱帯雨林の証拠
道端でであった糞ころがし
丸い糞は何の糞か?分からない
巨大なアリ

体長は3cmから5cmほどもある。
このアリに噛まれると、大きく腫れ上がるそうです。
くわばらくわばら!!
葉食いアリ

薄い赤色のアリで、葉っぱを食いちぎって運ぶ面白い習性を持っているこれも熱帯雨林に生息するアリの一種
きれいな野鳥

熱帯地方で見られる鶏冠に特徴があるきれいな鳥
ハゲタカのつがい

たまたま、2羽のハゲタカに出会った。ガイドの話ではつがいだということ。
巨大なトカゲ
川に小型のワニが生息している。これは公園で出会った大きなトカゲ体長は60cmほどもある大型。爬虫類は苦手だ。のしのしと歩く姿はワニに似ている。ここは何でも巨大だ。
10年前、女児(8歳)が豹(ヒョウ)に襲われて亡くなった。
熱帯雨林にはいろんな動物が棲息している。
   アナグマ
アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス市内観光 
ブエノスアイレス市内の公園
『考える人』
ブエノスアイレス市内の公園の日曜雑貨市 アンティーク市

ガイドの話ではなかなか有名らしい。
寒かったので暖かい茶を飲んだ何も買うものがない、ガラクタばかり。
アンティーク市場
サッカー場 

狭くてコートのラインが客席に迫っている
本場、アルゼンチン・タンゴショー

首都、ブエノスアイレスのレストランでタンゴを堪能!

本格派のタンゴの演奏、ダンスを楽しみながら
アルゼンチンワインを飲んで、食事を楽しんだ。
すべて本場の本もの。
ブエノスアイレス市内
ボカ地区

アルゼンチンタンゴ発祥の地
街角でダンスのパーフォーマンスを相手してくれるサービスもちろん有料
 
ボカ地区

カラフルな家並み 、キンケラ・マルティンが私財を投じて基礎を作ったそうです。
ボカ地区;カミニート

カラフルな家並みが魅力的だが、ちょっと恥ずかしい感じがする

『様々な芸術家が自らの作品を売ることのできるスペースを提供する』という目的でキンケラ・マルティンが買い取った一画には、今日もたくさんの作品が並んでいました。
   タンゴを踊る二人の看板に顔を出してスナップを撮るこんな商売もある
壁の落書き、娼婦宿?
ユーモアがあって面白い
 同じく壁の落書き
ブエノスアイレスの都心
大統領府

チョコレート色の建物
 高さをそろえたきれいな町並み。パリのシャンゼリデ通りを髣髴させる。
『南米のパリ』と言われる由縁
白い塔・建物が旧スペインの総統庁舎

もともとはこの数倍の大きさだったが、今は一部だけ存続している
教会

ミュージーアム(博物館)のような建物

 
教会のコリンズ様式の柱 
ブエノスアイレスの地下鉄

東京メトロの中古電車を使っている。
走行音は大きいが、特に異常はない。
何年前の電車か?

 再びリマミラフローレス地区周辺
ミラフローレス地区
マンション近くの公園のハイビスカス。やはりここは熱帯地域だ。 
 公園内に見たことが無い不思議な花があった
ミラフローレス地区の公園
マンションの近くに、こういう公園が3つある。100m×200mぐらいの広い公園と50m×100mほどのものが二つ。
熱帯、亜熱帯地方の植物が植えられている。

緑を保つために公園管理者が水やりと落ち葉の清掃を行っている


公園にはブランコ遊具や砂場が完備されている。きれいに手入れされ、気持ちよく散歩できる。
犬を散歩させる人が多いが、糞の後始末が悪い。
犬をリリースすると罰金が科すという看板がかかっているが、放す人が多い。でも、犬はおとなしく飼い主の言うことをよく聞く
公園の景色 

右の看板は犬のリリース禁止違反は罰金200ソル
太平洋、海岸の崖

太平洋に面する海岸は崖になっている。
高さは50mぐらいあろうか。
海上では若者がサーフィンを楽しんでいる。
崖の上の公園からハンググライダーが飛び立つ。

二人乗りのハンググライダーに乗せてくれる。もちろん有料。
ミラフローレスの人たちの像

男女が抱き合って接吻している大胆な像が公園内に設置されている。
若者たちの集いの場になっている。
マンションの建設現場

一階が出来たら上に2階部を造る、2階が出来たら3階を造る。旧来的なやり方で、コンクリートも継ぎ足し、継ぎ足し、これで大丈夫か?と思うが、柱の鉄筋は結構入っている。
ここは結構地震があるそうです。
マンションのセキュリティーは門番が24時間待機している。
その他の防犯設備は高圧電線を張り巡らし、テレビモニターカメラも設置している。日本では見られない光景。
 
 天野ミュージーアム
(天野博物館)


住んでいたマンションから200mほどの距離にある。展示品はこのアルバムの冒頭部分に掲載しています。



ペルー&アルゼンチン旅行を終えて

久しぶりに日本に帰ってきた。
今回の旅行中、特に感じたことは下記のとおり。


 (1)水の大切さ
水はあらゆる命、生命の根源であり、日ごろ何も感じなく使い、飲んでいる水が実は大変貴重な資源であることを実感した。
日本は豊かな水資源に恵まれて、そのおかげで豊かな自然が身の回りにある。
生命の根源の水がなければ、あらゆるものが死滅し砂漠と化する 。雨が降らない地方に行くと、乾燥による砂漠、埃っぽさから避けられない。水道水を直接飲める、しかもおいしい水が出る事は本当にありがたい。
飲み水をプラスチック容器で買わなければならない不便さを実感すると本当に幸せだと思う。水に感謝して、大切に使わなければならない。
(2)気候
リマの気候は信じられないほど、気温が変わらなかった。太平洋を流れるチリからさかのぼる寒流の影響で、南緯13度という熱帯地方でありながら気温は始終20度に張り付いている。したがって明確な四季がない。
イギリスに行った時も、高緯度のイギリスで零下になることがないということだった。
これも暖流のおかげである。地球の不思議を感じた。
 (3)インカ文明の不思議
ないない尽くしのインカ文明がどうして栄えたのか? 歴史を遡る手立てである文字や記録がなく非常に不明な部分が多い。それだけにまだまだ解明されていない魅力を包含している。しかし、何か物悲しい感じを受けるのは小生だけだろうか?
 (4)リマの生活
国民所得が3700$だそうで、日本の約1/10 物価は1/4の感じを受けた。その割には車、自動車が多く、バイクが少ない。自動車は日本では使わない、車検が通らないようなガタガタの、ボロボロの車が走っている。中にはヨーロッパ、日本の高級車も目に付く。なんでもありの国だ。日本車が多い。タクシーはメータがなく、乗る際に行き先を告げて先に値段を決めるそうだ。山岳地帯が多く、鉄道はごく一部以外はなく、バスか車で移動することになる。バスは普通のバスと、マイクロバスと、ワンボックスカーのような小さなものと3種走っている。
道はアスファルトの路面が荒れていて、穴ぼこが多く、さらに道に出っ張り(枕のように)を付けスピードが出せないようにしているので、運転は十分注意が要る。この出っ張りはアルゼンチン、ブエノスアイレスにもあった。 確か韓国ソウル、プサンにもあった。生活物資は豊富なので、殆どなんでも入手できる。
 (5)生活の多様性
地球の対極点に行き、地球の大きさと遠さを実感すると同時に、そこに住む人たちの多様な生活を垣間見た。
 (6)ペルーとアルゼンチン
ペルーはインディオ(原住民)がたくさん生活していて、スペイン系の人と混ざって生活している。特にリマはスペイン系、白人系の人が多いが、クスコや地方に行くと逆に殆どがインディオになる。インディオは小柄で少し浅黒い感じで、何か物悲しい感じを受ける。
アルゼンチンは殆どがヨーロッパ系の人で、原住民らしい人がほとんど見当たらない。
ブエノスアイレス市内は 『小パリ』を思わせる雰囲気がある。都心の道路は8車線-8車線の非常に広い道路が走っている。車はアメ車が多い。
道路の両側に木を植えているが、水遣り代わりに溝を掘って水を流して自然冠水をしている。ペルーに比べると、適度な雨が降るようで、緑豊かなきれいな街になっている。ブドウ畑が広がるメンドーサには数キロメートルはなれたところに石油の精j工場があり、煙突から炎が上がっていた。石油が算出する。アルゼンチンは南米二番目の豊かな国。一番は調べてください。

 (7-1)アルゼンチンタンゴの発祥と由来
130年目ブエノスアイレスの港町、ラ・ボカ地区で起こったとされる。貧しい移民がスペインから上陸した港で、ここには酒場があり、男同士また娼婦と踊り、ストレスを発散させたのが始まりとされる。
楽器はバンドネオン、ピアノ、バイオリン、コントラバスで構成され、ヨーロッパにわたって、洗練され、コンチネンタルタンゴになった。アルゼンチンタンゴの名曲はエルチョクロ、カミニート、ラ・クンパルシータなど

'(7-2)カラフルな町並み
ボカ地区にあるカミニートは、緑、黄色、青、ピンクなどカラフルな家(左)が並ぶ独特の路地。ボカ生まれのイタリア系画家キンケラ・マルティンのアイディアで、この街並みが生まれた。
カミニート住民の80%はイタリア系だという。
カミニートは路地の名前だが、タンゴの曲名にもなっている。
 (8)韓国メーカが元気? これが一番感じたこと!
私は旅行中、その国、その土地の状態がどうなっているか? そんなことに興味を持っている。
特に、経済力や工業力がどうか? 日本メーカの進出度合いはどうか? 商品が売れているか? などを見るようにしている。 その見方はちょっと変わっている。 
たとえばバスや車で移動中、送電線の電力容量を碍子の数や送電線の太さで推測する。これでその国の工業力が大体分かる。 ペルーは工業力と言う点では低く、電力の質も悪い。送電線は3本線で、バックアップ回線がない。旅行中、ウルバンバのリゾートホテル(5つ星)で夜5回停電した。

道路の整備具合や車線数や走っている車の状態などにも興味がある。リマでは車の数が多いのに驚いたが、走るとタイヤがグラグラ揺れるトラックをたくさん見た。
乗用車は塗装がはがれ、鉄板が錆びて穴が開いたような車もたくさん走っている。タクシーに多い。その中でトヨタ、ヒュンダイ(現代)、KIA、ホンダ、ニッサン、ミツビシ、マツダ、などの韓国車、日本車が圧倒的に多い。トータルでは韓国車の方が多いような感じを受けた。 KIAはヒュンダイに買収されたので、実質はヒュンダイが圧倒的にシェアをとっているということ。

電化製品、テレビではサムスン、LG電子が多く、特にサムスンの広告はどこに行っても目につく。以前は空港ロビーや街中で目立ったのはSON、Panasonicなどであったが、今はサムスンに完全にやられている。悔しいかぎりである。以前の日本メーカの元気はどこに行ったのか? 寂しさを感じる。

本日の朝日新聞で、電機各社の上期決算が発表されているが、日本の各社は赤字決算が多いのに対して、SAMSUNGは前年を大きく上回っている。韓国企業はハングリー精神で市場開拓し、先進国はもとより、発展途上国へ強力に進出して市場を先取りしている。お上品になった日本企業の行く末に危惧する。

世界は広い。 ものあまり状態の先進国に対するマーケティングと、発展途上国に対する対応はおのずと違うはず。 発展途上国相手の商品は機能はシンプルで、廉くて、品質が実用上満足が出来、サービスがしやすいなら十分である。多機能や高性能、それも針の穴ほどの違いを顕微鏡で拡大してやっと分かるような違いを誇張し、自社の優位をPRして競争する日本国内市場に対するマーケティングは世界を相手にする際は考え直すべきだろう。
  

参考情報;詳しいペルー関係の情報が掲載されています
ペルー観光公式ホームページ;http://www.peru-japan.org/
ペルー旅行の基本情報;http://peruing.zening.info/base_info.htm
インカ帝国の夢
;http://wadaphoto.jp/kikou/inka2.htm
パチャカマ遺跡;http://tortolita.at.infoseek.co.jp/pachacamac.html
パチャカマ遺跡;http://isekinotabi.com/peru/pachacama.html
砂漠の花園、ラチャイのロマス;http://tortolita.at.infoseek.co.jp/lachay.html

アルゼンチンの基本情報
;http://www.arukikata.co.jp/country/samerica/AR_general_1.html
アルゼンチンタンゴの歴史;http://www.tangodance.co.jp/about/argentinohistory.html
メンドーサ旅行情報;http://www.bunnotvl.com/mendoza.html