12月29日(日)
日本の家電はなぜサムスンに負けたのか?

  今年も2日残すのみとなった。この一年は無事に大きな出来事がなく過ごした。

 アベノミクスの効果で、円/$レートは大きく変わり、1$が100円を超えるまで円安になり輸出産業は潤っている。
 逆に原油はじめ輸入に頼る資材は高騰し、これからジワリと値上がりが始まる。
合わせて4月から消費税が上がるので、3月中に駆け込み需要が起き、4月以降は景気の足を引っ張ることは目に見えている。

 それにしても、日本の『失われた10年』とよく言われるが、10年どころか15年以上になる。ずいぶん長い間、経済が低迷し元気がない。

 特に大阪の家電大手であった松下電器、三洋電気、シャープが存続も危ぶまれるような状況に陥り、もがいている。
 何とか最悪の状況は脱しつつあるようだが、まだ油断できる状況ではない。

 なぜこのような状況に落ち行ったのか、こういう状況になるためにはそれなりの要因があるはず。その真因を正しくつかみ、対応しないと傷はさらに深くなる。
 
 シャープはつい数年前まで『亀山モデル』というシールを画面に誇らしげに貼り、液晶フルハイビジョンテレビが他社を圧倒して売れていたのを記憶している。
 梅田ヨドバシカメラの3階のテレビ売り場に足しげく通い、その様子を見てきた。
ちょうど家のテレビが29インチのブラウン管テレビで、そろそろ買い替える時期であった。
 Panasonicはなんと、まだプラズマを諦めず、相変わらずすすめ、パイオニアのテレビ技術者を囲い込み、黒の表現や画質(色)の良さ、画面の表示の速さなどを売り文句にし、消費電力が大きいことはハンディであったが、何とか戦っていた。
しかし、勝負はついていた。液晶テレビは画質が各段によくなり、消費電力はバック照明をLEDに変えることで、一層低消費電力に成功した。

 我が家のテレビは地上波デジタルテレビ放送が始まり、国が買い替え促進費を出していた時に、5万円の補助をもらい、50インチのフルハイビジョンプラズマ(Panasonic製)を購入した。そのテレビは何のトラブルもなく今使っている。

 こういう国内の市場だけを見ていると、大きな課題は見えてこない。メーカ同志が液晶テレビがいい、、いやプラズマテレビがいいと互いに競っていた。

 そういう中で、韓国のサムスンとLG電子が急速に力をつけてきた。
ちょうどその兆しを実感したのは、ヨーロッパ旅行や、ペルーに旅行してリマの量販店に行ったときだった。
 店に並んでいるテレビはSamsungとLG電子のテレビばかりで、ほとんどが32インチ以下の中小型テレビだった。とにかく安い。画質も特に悪くない。現地はまだデジタル放送がなかったので、従来のアナログ放送を映していた。
 その中に日本メーカとして、SonyとPanasonicの32インチテレビが一台ずつあったように記憶している。
 ブラウン管テレビ時代は世界中、どこに行っても日本製やPhilips製がたくさん並んでいた。それがあっという間に店は韓国製のテレビに占領されてしまった。
 テレビだけではなく洗濯機も冷蔵庫も、その他家電商品はサムスンやLG電子製が圧倒していた。日本製はもう影が薄くなっていた。

 『Japan is No.1』と言われた1990年初頭に比べると、なんと世の中の変化が速いことかと実感した。
 そのころまでに、現役を失業し、OBとなっていたので、社内のことはよく分からなかった。
 Panasonicの海外駐在員たちは何を見ていたのか? 
 どういう現地レポートを本社に送ってきたのか? 
彼らがミッションを果たしているのか、大きな疑問と腹立たしさを感じた。

 現地駐在員はそれなりに市場の変化や、商品の要望について本社にレポートを送っていたはずだ。
 しかし、本社側または事業部側が作り手の論理で、現地の要望を聞かなかったのではないかと思う。

 事業部の製造現場はロボットや自動機などを大量に並べている。人手で製造するのなら自由に対応できる製品の切り替えも、ロボットや自動機ではその都度、設定を変える必要があり、作り手である工場の立場で考えると、同じものを大量に作り続けることがコスト的にも品質も安定するので都合がいい。『こんないいものを作っているのだから、しっかり売ってくれ』ということになる。これも一理ある。

 間違っていたのは、『メーカはユーザのニーズに合った商品を提供する』という大命題を自分の勝手な都合でゴリ押ししまったところにある。

 日本製品は高品質、高付加価値、高機能、高性能はよく分かる。しかし世界の市場を相手に販売を伸ばしてゆかないと、日本の市場規模だけではもう限界に来ていた。もの不足時代はとうの昔に終わり、作れば売れる時代はすでに過去のものになっていた。モノ余りの時代に入っていた。日本では買い替え需要が中心の市場に成熟していた。

 だから、世界の市場に打って出るため、日本と違うユーザの生活の仕方や実態をよく調べ、それに合うものづくりをしなければならなかった。
 『お客様第一』や『お客様大切』という言葉はきれいごとで、自分の都合の良いようによく言われていたが、実行されていなかったのだ。
 日本の家電メーカはすべてこの金縛りのような融通が利かない商品開発と製造を続けていた。

 そこに韓国のサムスンやLG電子は日本のものまねをしてものづくりをしても所詮勝てないことに気付いた。値段を安くして売るだけでは儲からないことを痛切に感じていた。韓国の自国の市場は規模が小さく、国内向けだけでは成り立たない。
 そこで目をつけたのが、第三国、いわゆるBRICsに輸出することを課題とした。
先進国相手では、アメリカやヨーロッパにはブランドを確立したメーカが存在しているし、それに加えて日本メーカが店頭を抑えているので、余地がないことを悟った。

 インドはエアコンは大きな音がしてガンガン冷えるものが良いとされていた。省エネなどは問題ではなく、マイコン制御で高級な高価な商品は売れない。
 またインドの冷蔵庫のドアにはカギがかかることが求められた。メイドが冷蔵庫内の食料品を盗むのを防ぐためらしい。
 また、インドネシアの冷蔵庫は洗面器に水を入れて氷を作り、それをかち割り氷にして食べるためであった。だから棚がたくさんあったり、引出がたくさんあるような冷蔵庫より氷が早くできる冷凍庫、製氷機のような冷蔵庫が売れた。

 単純な機能で、どのメーカでも造れるような内容の商品だが、それを現地の要望価格に合わせ、安く提供しなければならない。
 日本ではそんなものを今更作っても売れない、そういう基本機能に徹したような商品がBRICsでは爆破的に売れた。
 サムスンは現地の独特のニーズをつかみ、現地の人が買える値段設定して販売を始めたから、あっという間に日本の家電を追い抜いた。

 こう見ると、売れるものを作るのはいとも簡単なように思われるが、自動車も同様で、発展途上国向けの車はとにかく値段を安く作らなければならない
 インドのタタ自動車は30万円の4輪自動車を発売し話題になった。ワイパーは一本しか着いていない。椅子も粗末なものだ。ABSなどの高級な制御機能はない。
ただ走って止まるだけというもの。
 今はそういうもので売れるが、次第に安くても必要な機能をつける競争になる。
その競争に勝たなければ売れない。単純に価格を安くということではなくなってくる。

 サムスンが大いに売りまくった背景にもう一つ取り組んだことがある。
それは品質の考え方を変えたことにある。
 日本メーカはどこもより良いもの、より高品質なものを作るという考え方で取り組んできた。前のモデルより品質を落とすということはタブー視されていた。
だから新製品はそのたびにどんどん品質が良くなるが、値段も高くなるということを繰り返してきた。
 いいものや高品質なものを作るには、高い材料や難しい工法など開発に人手や時間をつぎ込んできた。そのすべては製品に転嫁されるコストであり、商品の値段がドンドン高くなることを意味する。

 国民の所得が向上する時代には、そういうモノづくりは正しかった。しかし、現在のように非正規社員やアルバイトが多数を占め、国民所得が上がらなくなった時代は商品の価格を上げることはできない。品質の考え方をそのままにして、商品価格を下げれば企業は利益が出なくなる。そういう悪循環に入ってしまったといえる。

 サムスンは現地ニーズに合わせた商品をユーザが買える値段に設定し、ユーザの不満やクレームがどう出るかを見極めるような品質の考え方に変えた。
 それは『体感不良率』という呼び方で表現し、この数字を指標としている。
 この意味はユーザが商品を使って、不良だと思うかどうかで、不良だと思えば、店がすぐ商品を新品に入れ替える処置をとる。だからその分の部品や製品在庫は余分に用意しておく。
 そのためには、日本のメーカの考え方と違う取り組みをしている。
 それは部品や製品在庫についてである。日本のメーカは徹底して在庫を少なくする。その究極はトヨタ自動車の『看板方式』で、『製造ラインには必要な部品を必要なだけ供給し、部品在庫は持たない』という仕掛けである。

 これは製造ラインだけでなく、修理のための補修部品についてもいえる。また部品だけでなく完成品(商品)も、倉庫に積み上がる在庫は造らない。極端に言えば『注文を受けた量だけすぐ作る』という考え方である。
 そのためには、ITを駆使し受発注システムを完成し、『在庫ゼロによりコストを極限まで下げる』という取り組みである。飽くまで供給側(造り手)の考え方、発想である。

 しかし、お客様は待ってくれない。欲しい時に即、手に入れたい。
不良は即、取り替えてほしい、直してほしい。
注文してから2日、いや1週間も待てない。日本では売れている車は数か月待ちということもある。BRICs諸国では、お客様の要望が違うのである。

 これに対応するためには、通常、流通で売れる量以上の商品在庫や修理用部品在庫をある程度確保し、お客様から注文や不良の連絡があれば、即対応しなければならない。そういう動きができるメーカは次第にお客様の信用を勝ち取り、ブランドとして定着する。
 サムスンは即修理対応を行うことと、そのため在庫についても日本メーカと違う取り組みをした。

 そして、ユーザが不良と感じない、思わなければその品質はお客様が納得して使ってくれるレベル
というように考えた。
 
 日本では、『メーカがこういう品質レベルでないとだめだ』という線を自ら引き、それに合格するように設計し、製造してきた。しかし、使うのはユーザであり、使う人がこの品質はおかしいと思うかどうかである。

 洗濯機の汚れ落ちの性能と、生地の傷み具合は相反の関係なるが、日本では生地が傷まないように水流はゆっくり回す。汚れ落ちは洗剤の洗浄力との兼ね合いで決まる。

 BRICs向けの洗濯機は大きなパルセータで勢いよく渦巻き、よく汚れが落ちる洗濯機がいいという考え方である。ちょろちょろとした水流の洗濯機は彼らには不良品としか映らないのである。日本の洗濯機はちょろちょろした水流のものが多くなった。彼らは、生地の傷みは問題にしない。
 
 国や場所が変われば、考え方が大きく変わる。
それを直視しないで、『日本製品は高品質、高機能だから値段が高い、高くてもいいものは売れる』と考えてきた日本のメーカの傲慢さが致命傷になった。
大いに反省すべきである。

100円ショップに行けば、こんなものまで100円でできるのかと驚かされる商品がたくさん並んでいる。中には買ってすぐに壊れるものもある。でも、もともと100円だからという割り切りがあるので、壊れても不満を抱かない。

 100円ショップの商品の例は極端な話であるが、サムスンやLG電子は日本の家電メーカを研究して、その弱点を見事に突いたから勝ったのである。

 それなら、サムスンやLG電子の弱点は何かを探して、そこを突いた戦略を練らなければ彼らに勝てない。日本メーカは技術力では底力を持っている。
彼らに無くて、我が方にある強みを生かせば、競争に勝てる。
Panasonicは13年度上期は黒字化したという発表があった。
さて、そういう反省と戦略をもって取り組んだために結果が出たのかどうか?
まだ疑問がある。
でも、早く勝つメーカに復帰してもらいたい。


11月10日(日)
『おもてなし』とはどういうこと?

 2020年、東京オリンピック招致に向けてプレゼンテーションで、滝川クリステルさんが日本のおもてなしの心をスピーチし、大きな話題となりました。
 「あなたはおもてなしの心を持っていると思いますか?」というアンケート調査の結果
なんと73%の女性がYESと回答したそうです。

 「日本人女性は、世界で一番おもてなしの心があると思う!」
 「身近な旦那様や家族に対しても、常におもてなしの心をもって接している」
 「サービス業で働いているが、お客様には常におもてなしの心を持って接している」
など、現代女性も、日本人の美徳である“おもてなし”の精神が浸透していることが
分かりました。

 日本で育ったものにとって、行き届いた気遣いなどのサービスは日々当たり前のように受けていいます。良い対応をしてもらうと嫌な気持ちにはならないので、自然と自分でも心がけるようになるのかもしれません。

『もてなしの心』とは、相手の立場に立って心温まる応対をするのが原点です。
 「もてなし」には相手が満足することで、もてなす側も喜びを感じるという関係があり、
こうした相互関係は、生活のあらゆる場面において基本となるものです。
 一人ひとりが「もてなしの心」を持って行動することが、豊かな人間関係や活力ある社会づくりを進めていく源となります。

 『もてなしの心』 は英語では “ホスピタリティ” となります。
 「人に楽しんでもらおう」と思いやる心や姿勢のこと
 「相手を心から歓迎しよう」と思う気持ちのこと


 それでは、もてなしの真髄として、茶の湯のもてなしについて調べてみました。
 茶の湯を完成させた千利休の作法として、『利休の七か条』があります。
これは『利休七則』とも言われています。

 一 茶は服のよきように点て・・・「茶を点てる時、飲んだ人にとって調度良い加減に」
                             その時・その場所での客の気持ちを察して行うこと


 二 炭は湯のわくように置き・・・「準備・段取りは、要となるツボを押さえて」
                             点茶における準備の重要性を説いている

 三 冬は暖かに夏は涼しく ・・・冬は暖かくする工夫をし、夏ならすだれや風鈴で涼をとる。
                           体が感じている耳や目によって状況を実際とは異なる状態に
                            感じさせる方法、
                           感性による演出を考えた「もてなしは、相手を想う心で。

 四 花は野にあるように  ・・・その花が咲いていた状態を感じさせる姿に生けること
                          「ものの表現は、本質を知り、より簡潔に。」


 五 刻限は早めに      ・・・「ゆとりを持って行動を心掛けなさい、平常心が保たれます」

 六 降らずとも雨の用意  ・・・「備えを怠らず、他人に迷惑や憂いをかけるな」

 七 相客に心せよ      ・・・「何事にも、互いに相手の心を気遣って」

とされています。
    
大変奥が深い言葉ですから、解釈では真意が十分伝えられていないことをお詫びします。

 これは利休が「茶道とは何か」と問われた時に答えたものと言われていますが、
ここには現代人が忘れてしまっている大切な教えが詰まっているように思います。

 茶会の心得として「茶会に臨む際は、その機会を一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ」「出会いを大切に」といわれます。これが『一期一会』です。
 さらに、見馴れた物、親しい間柄にも等閑な態度をとらずに、常に新鮮で、その縁を大事にするということです。
 初めて会った人を気遣うことは日常においても当たり前、むしろそうではない親しい人にも同じように気を配るのが真の意味でしょう。

 数百年も伝えられてきた、この言葉は奥深さがあります。

 相手と素晴らしい一瞬を作り出すためには、相手に迎合するのではなく、自分一人善がりでなく、自分は何をやればいいのかが整理されていると思います 。



10月28日(月)
JAL(日航)がエアバスを購入決定

  先日の日経新聞に、日本航空が欧州航空機大手のエアバス[A350] の購入を決定したと言うニュースが掲載された。2019年から順次導入する。今まで、米国への配慮もあり、機種の大半はボーイング社から調達してきた。もちろんANAも同様ボーイング社から機材を購入し、AMNAはB787が既にたくさん運行している。

 JALも今まではB777をたくさん使ってきたが、今回の決定はB777の後継機選びで、大きな出来事になる。
 JALは現在、B777を国際線と国内線で運行している。後継機になるエアバスA350も同様の運行になる。
 国内幹線は国際線の倍、乗客500人近くを載せて、羽田ー札幌など短距離を1日何回も飛ばす。そのため機材には着陸時に最も大きな負荷がかかり衝撃も大きい。
 B777はA350に比べて最低でも2-3割は耐久性に優れると言われてきた。
JALがA350に切り替えるとなると、耐久性や新しい整備に要する負担などがかさみ、総コストでエアバスはボーイングより不利だと言われてきた。日航社内でもそういう見方が広がっていた。さらに慣れ親しんだボーイング機材ではパイロットの養成も楽になる。それが今回A350に決まったのは、エアバス社が耐久性の劣る部分を保証するという好条件出し、その結果ボーイングより圧倒的にエアバスが有利になったということだ。

 ものごとを進める場合や、事業を進める際、競合が必ずある。その競合相手に勝たなければ商売がまとまらない、即ち勝てない。
 この競合相手に必ず勝つ方法がある。それは、『ベンチマーク』と、『ベストプラクティス』を行うことだ。言えば簡単なことだが、これが簡単にはできない。

 一般的に言って、『仕事をこうすれば勝てる』と分かっていながら、なかなかできないのが、この二つのこと。
 何故かと言うと、仕事には過去の取引先とのしがらみや、トップの介入や、社内では今まで慣れたことを替えようとしない、そういういろんな反対が必ず入ってくる。
今までのやり方や使い慣れた道具やなどを使う方が担当者には安心で都合がいい。だから『ベンチマーク(比較分析)』をやって、こちらの方が安くて良いという結論が出ても、いざ決める段になると、『ベストプラクティス(一番いいモノを採用したり決めること)』でないものを選ぶことが多い。
 その結果、取組んだ仕事や開発した商品が思うように売れず、トップになれず、うまく行っても二番手、悪ければ失敗作という結果になる。これが普通のパターンだ。

 今回のJALのエアバスA350の決定には驚いた。あの堅物だった日航が以前なら、お上(国の役所)の顔色をうかがいながら決めてきた経緯があるはずだが、今回は見事にこういうことができるのだという証を示した。
 多分、一番驚いているのは、競合しているANAかもしれない。

 それができたのには、偉大なる人物がバックに控えていたからだ。
それはJALを短期間で見事に再建した人、京セラの名誉会長、稲盛さん。
 稲盛さんは京セラを世界一流の会社に育て上げ、ものづくりにおいては二社購買は当たり前、即ち徹底したベンチマークを実行し、そして競わせてより良い方を選ぶ、即ちベストプラクティスを行ってきた人。だから京セラは伸びてきた。

 今回の決定は以前の日航の体質なら、絶対できなかったことをやってのけた。
この決定で、今後の日航がどう変わってゆくのか楽しみだ。



9月7日(土)
中秋の名月が近づきました

 猛暑だった夏が急に涼しくなり、気温が10度ほど下がり大変過ごしやすくなりました。

 我が家の菜園は、キャベツ、ハクサイが芽を出し、順調に育っています。
昨日はダイコンと赤・白のカブラの種蒔きをしました。

 これらの秋野菜の芽に夜、蛾が卵を産み付けて、その幼虫が発芽した芽の芯の成長点を食い荒らし、せっかく蒔いた苗がダメになってしまう被害で困っています。
 そこで、最近は芽が出るとすぐに網を被せ、蛾が入れないような対策をしています。
こんな面倒な手間をかけなければ、なかなかいい野菜ができなくなりました。
 
 さて、今年の中秋の名月は9月19日(木曜日)になります。

 『名月や、池を巡りて夜もすがら』という松尾芭蕉の名句があります。
これは「中秋の名月を眺めながら、池の周りを歩いていると、いつの間にか夜が明けてしまった」という意味です。
 それほど、中秋の月は綺麗で、待ち焦がれていたということでしょう。
 これが真夏の月では蒸し暑く、月も水蒸気でぼやっとしていて、周囲には蚊がブンブン寄ってきて、月を愛でるという状況ではありません。
 秋の夜は気温もちょうど肌に合い、蚊も居なくなり、空気は澄んで、空に綺麗な月が浮かんでいる! それが中秋の名月です。

 もう一つ、与謝野蕪村の句に、『菜の花や、月は東に、日は西に』という句があります。
これも太陽が西に沈む頃、月が東の空に出るタイミングは満月の頃だそうです。季節は菜の花や、となっていますから初夏でしょうか。

 こういう『月を愛でる』という気持ちは、日本人独特のものかと思っていました。
少し、調べてみると、これは中国の『陰陽道』からきているのではないかということが分かりました。
 『陰陽道』とは、宇宙、万物は陰(マイナス)と陽(プラス)との組み合わせから成り立っている。その変転は、木、火、土、金、水の五元素に基づいて推進されるという自然哲学または自然科学で東洋的な人生観や世界観に大きな影響を与えたというものです。
 日本には推古天皇10年(602年)に伝わったとされています。
 
 陽は太陽で、一日の始まりは日の出、お天道様を拝み、今日一日の健康や幸せや無事を祈り、夕暮れにはお日様に感謝するという祈りを昔の人は行ってきました。
 それは子供の頃、父母が祈ってきたのを見て覚えています。
 今は朝のラジオ体操ぐらいはしますが、お日様に向かって祈りをささげる人はいないでしょうが・・。
 そして、昔の人は夜はお月様を愛でて、心を休めるという一日を繰り返してきました。
だから、上に紹介したような名句が生まれました。

 これは中国や韓国や日本など、『陰陽道』に影響を受けた国で見られることです
西洋諸国では、キリスト教やイスラム教のように一神教であり、神は絶対であり、それ以外は認めないという考え方です。陰陽道の陽は認めるが、陰は認めないという考え方になります。
 彼らは白は認めるが、黒は認めないということになります。だから彼らにはグレーは存在しないのです。グレーは白か黒のどちらかになります。

 日本人は正月にはお宮に初詣に参ります。お盆や彼岸にはお寺やお墓に参ります。こういう神様、仏様を何のためらいもなく自由に受け入れることができます。

 この優柔不断さは、日本人独特のものかと思っていましたが、実はこれは中国人や韓国人にも共通する思考のようです。その根源は中国から伝わった『陰陽道』にあったのです。

 日本人は陰陽道を独自の解釈や理解によりさらに発展させ、日本人の心の中に生きるようになりました。もう一つ、大きな思想的影響は『儒教』です。
 中国4000年の歴史は大変重いものがあったということです。
 
 京都では、中秋の名月に因んで各地でいろんな催しが開かれますので、是非行って見て下さい。詳しくは下記のホームページでどうぞ。
 http://souda-kyoto.jp/tsuki/



8月18日(日)
日本の家電メーカの没落と、自動車メーカの堅調なわけ

 かつては日本の代表的な産業で、世界に名を派せ、盤石に見えた家電メーカがこぞって没落し、財務体質の危機や、収益の悪化や、赤字に悩まされている。

 一方で同じ日本の自動車メーカは隆々と事業を拡大し、トヨタは世界一の生産量を誇り、ホンダ、日産マツダなど各社が順調に事業を拡大している。

 同じ製造業でありながら、何が違うのかを以前から何回となく触れてきた。今回は少し違った角度から考えてみたい。
 
 家電商品のカタログと、自家用車のカタログを開いてみよう。
 車のカタログは、フィットならフィットという車を紹介するのに、基本になるベースグレードがどういう性能や機能になっているか詳細に説明している。その上で基本車にプラスして、いろんな付加機能が付いて、値段はこれこれという展開がされている。
たとえば、1300CCの基本車は120万円、1500CCの基本車は140万円、これにカーナビ、アルミホイール、サイドエアバック、熱戦吸収ガラス、皮貼りシート、カーオーディオ、ETCなどなどいろんなものを付けるといくらいくらという表現になっている。
 いわばプラス表現になっている。
お客さんは自由に自分の好きなグレードをチョイスできる。

 これに比べて、家電メーカの商品カタログは、一番高いグレード商品を紹介し、あれもこれも付いていることを特徴に訴えている。そして、あれなし、これなしではこうなりますとドンドングレードを下げて廉価版の商品を紹介する。
 いわばマイナス表現である。
 一番廉価版の商品は、性能が悪そうな気がして、買うのに躊躇するような訴え方になっている。一番安い基本グレード商品で十分ですよ。
 でも、最新の新しい技術を付けた商品は高いですが、こういうメリットがありますよ、という表現でなければならない。

 一番安い基本グレードの商品を徹底して安く造り、世界中で戦える価格に成功しなくてはならない。これがグローバル時代のものづくりだと思う。

 たとえば、エアコンを見てみよう。
ネット見張り番付、お掃除ロボット付、人感センサー付、イオン脱臭付、その他・・・付で15万円、同じ冷暖房能力のベースになる商品は7万円という感じになっている。
 いろんな付加価値を付けて、高い商品を売ろうと躍起になっているように見える。
その開発のために、たくさんの技術者が働き、ますます人件費がかさむ。

 車と家電商品のこの商品訴求や展開の仕方の違いが気になる。

 日本人は高い品質や、高性能、多機能、高機能の商品なら少々高くてもいいものを買うという独自の性癖がある。 だから日本製の商品は品質が良く性能が良くなったともいえる。
 また、日本が豊かになり、国民所得が高くなっているから高いものでも売れる。
高収入であれば、メーカで働く人の人件費も高いことを意味する。
 メーカは高い人件費でも収支が合うためには、できるだけ付加価値の高い商品を造り販売したい。そういう思惑で今までやってきた。

 しかし、日本の国内の需要はあらゆる家電商品は行き渡りもう飽和している。
後は買い替え需要が中心になる。
 そして、日本の最大の輸出先のアメリカも同様な状態になっている。つまり市場は成熟化している。

 アメリカはすでに日本のモノづくりに敗れて、すでに20年以上もたつ。アメリカの製造業はすでに崩壊している。そういう状況の中で、アメリカ人の平均年収はドンドン下がり、日本と変わらなくなっている。もちろん日本もどんどん下がりつつある。

 アメリカ人はもともと合理主義の人々である。彼らは、『商品はその目的を果たせば安い方がいい』という考え方を持っている。
たとえば、スチームアイロンなら、思いっきり元気よく大量のスチームが噴出して、さーっと手際よくアイロン掛けできればいい。それが彼らが望むスチームアイロンである。その価格は30$以下である。コードの有り無しは関係ない。

 これに対して、日本のコードレスアイロンは150$〜200$もする。しかもスチームはちょろちょろとしか出ない。『こんなチミチミした商品はスチームアイロンではない』という話を20年程前に聞いたことがある。
 すべての商品について、彼らはこういう感覚を持っている。
 
 日本国内市場や先進国で輸出先だったアメリカ市場やヨーロッパ市場が飽和し、買い替え需要が中心となる中で、家電メーカは適切な対応が取れなかったのが敗因である。
 先進国を相手に日本向けに開発した高付加価値商品を儲けを削って輸出してきた。
ものづくりの基本が高付加価値にあるのだから、ベースになる価格は高い。

 一方で、韓国、中国メーカは新興国で台頭してきた国々に、基本機能をしっかり造りこんだ商品を徹底して安く輸出してきた。さらに現地の要望に合わせたものづくりをした。

 たとえば、エアコンは冷房だけ、ガンガン冷やすということに徹した。これなら日本の何十年前のものづくりである。技術は最新のものを使うので、廉く高品質なものができる。
 新興国は年収が低いので、彼らの買える範囲の値付けに成功しなければ売れない。
日本製はいいことは分かっているが、当方もない値段で手が出ない、即ち売れない。

こういう失敗をやり続けた結果、サムスンやLG電子に負けてしまった。

日本の家電メーカは技術力で屈したのではない。
ちょっとした思い上がりが、『ものを造って販売して何ぼの世界である!という商売の原点を見失っただけ』のこと。
それに気づいて取り組めば、必ず再生できる。
 安売りする必要はないが、現地の要望、お客さんの要望に合う商品を作ることに尽きる。
 まず、その商品の基本グレードの向上を図りつつ、機能、性能、品質にはこだわりいいものを造る。その上で、価格をお客様の要望に合わせるよう企業体質を変える。

これができれば成功間違いなし。
技術の問題ではない。
松下幸之助創業者はいつもそう言われてきた。それをいつの間にか忘れている。



8月17日(土)
人の技(わざ)とコンピュータ処理の差

 今年も昨日、京都五山の送り火が過ぎて、この頃から秋の気配を感じる季節になるが、どうも今年はまだ8月一杯はこの暑さが続くようだ。 

 最近、各企業はセキュリティの強化対策で、やたらと入門が厳しくなっている。
 Panasonicを訪れようとしても、OBですら、なかなか入門ができない。
事前に申し込みし、許可を取らないと入門ができない。これは異常としか言いようがない。

 なぜ、このようなことになったのか? 
要因があるはず。それを少し考えてみる。

 セキュリティー管理は会社の機密情報が外部に漏れないように、いろんな対策する事であるが、『外部に情報が漏れる』ということがなぜ起きるのか? を考えればいい。

 コンピュータが職場にチラホラ導入され、まだ仕事に十分活用されていなかった頃はセキュリティという言葉もなかった。
 しかし、今、どの職場を見ても、各人の机の上にコンピュータがあり、ディスプレイに向かってキーボードをたたいている。
 ワードでレポートを作成している人、エクセルで売り上げ計算している人、パワーポイントで発表会の資料を作っている人など、それぞれの仕事に100%コンピュータを使って仕事をしている。
 つい、10年ほど前までは、まだ全員がコンピュータを使うところまでは行っていなかった。それがあっという間に広がり、今やコンピュータがなければ仕事が出来ないまでになっている。

 これはコンピュータを使うことで、仕事が早く、正確にできるからである。
 電子メールはファックスを凌駕し、記録を残すために今もファックスを使うことがあるが、ほとんどの連絡や通信は電子メールに代わった。

 なぜ、これほど早く通信の手段が代わったのか?
それは通信の速さと、伝えたい内容を分かりやすく正確に送れようになったからである。

昔から通信の手段はいろんな方法があった。
 ・大声で叫んで伝える。
 ・のろしを上げる。
 ・飛脚を走らせる。
 ・伝書鳩を飛ばす。
  以上は明治ぐらいまで、その後、
 ・モールス信号(トンツー)で文字を送信、受信する。
というような方法で進歩してきた。

モールス信号を送るための電鍵(キー)
左は赤い部分を左右に振って使う横ブレキー
右は黒い部分を上下に振って使う縦ブレキー

 中でも電信(トンツー)は有線ばかりか、無線で送ることに成功し、画期的な通信手段として広がった。
第一次大戦、第二次大戦では盛んに使われた。
 このトンツーの電信は、プロ級の人で1分間に120文字から150文字の送信または受信が限度。しかも集中してやってその程度である。精々30分ぐらいしか持たない。疲れると誤字が増える。同時通訳の人と同様な感覚かもしれない。
 アマチュア無線のレベルでは1分間に60文字から100文字程度になる。これが人間の耳で聞き、手で打つ限界の速度である。

 ところで、コンピュータはどれほどの速さで送信または受信ができるのだろうか?
 デジタル通信では、ビットという単位が使われている。これが情報の最小単位で、0か1が割り当てられている。コインを投げて裏、表を当てるのと同様で、表を1、裏を0と考えてもいい。0か1のどちらかである。これを1ビットと呼んでいる。
 1ビットは0か1、 2通りを表現できる。
 2ビットは、00,01,10,11の4通りを表現できる。
 8ビットは、256通りの表現ができる。

1文字を表現するのに8ビットを割り当てるのが一般的になっている。
これを1ワードと呼んで1バイト(1B)という。
だから1文字は1ワードであり、1ワードは8ビットであり、1バイトということになる。

 最近、情報量が複雑になってきたので、8ビットから16ビット、64ビットというシステムもあるが、基本になっているのは1ワード8ビットである。

 モールス信号に戻って考えると、プロ通信士が送信や受信できる速度が1分間に120文字とするなら、1秒間に2文字となる。1文字の8ビットを割り当てられているので、1文字は16ビットであり、これを16bps(ビット・パー・セカンド)と呼ぶ。
人間の耳や手で送受信できる速度は16bpsが限度になる

 ところが、これをデジタル通信に置き換えるとどういう速さになるか?を考えてみる。
イオネットなどの光回線は一般でも100Mbps、最近は高速の1Gbps回線が使われ出している。
 100Mbps回線を使ったと考えると、1Mbps=1000キロbps=1百万bpsだから100Mbpsはその100倍、すなわち、100Mbps=1億bpsとなる。
 この回線で、1文字(1ワード=8ビット)を送信、または受信したとすると、計算では125万文字がわずか1秒で送信または受信できることになる。
モールス符号による通信では、1秒間に2文字だったものが、現在のデジタル通信では125万文字、(実際はこの半分ぐらいになる)が送信、受信できるのである。

その速さの比較においては、30万倍から60万倍の速度と言える。
これが現実の我々の生活に組み込まれて動き出しているのである。

身の回りで使っている商品の伝送速度(通信の速さまたは情報量)の例を挙げると、
  ・音楽CDは、1.2Mbps
  ・デジカメの写真 1枚は、3MB位(高精細度で)
  ・ホームページなどの写真 1枚は50kB
  ・地デジテレビは、16.8Mbps
  ・ワンセグテレビは、416Kbps
  ・ケイタイはパケットという表現を使っている。
    1パケット=128B(バイト)
    全角1文字=2B(バイト)
    だから、1パケット=64文字 に相当する。
    1パケット(全角64文字)当たり0.3円の費用になる。


 少し、横道に逸れたが、デジタル技術の進歩で、莫大な情報があっという間に伝送されたり、SDカードやUSBに記録される。そういう小さなものの中に膨大な機密資料が入るので、会社はセキュリティを厳しく管理することが必要になったのである。

 一方で、開かれた企業というイメージは大切なこと。
親しみのあるオープンな会社はこれから求められ、そういう会社が伸びるような気がする。

8月15日(木)
終戦記念日に当たり

  今日は第68回の終戦記念日です。 正午に日本武道館で天皇、皇后両陛下様を迎えて、記念式典が盛大に行われ、NHKテレビ中継されていました。
 何百万人という尊い命を犠牲にした先の大戦から68年を迎えたわけです。

 どういう理由があったにせよ戦争と言う手段で解決できることはありません。勝っても負けても双方に大きな犠牲が伴います。
 日本が万一、先の大戦で勝っていたなら、今ごろはどうなっていたでしょうか。
今の生活より自由で、豊かで、希望溢れる生活ができると考える人は少ないと思います。 
 日本は負けましたが、今の生活の豊かさを享受できるのはたくさんの犠牲のもとに成り立っています。これは紛れもない事実です。

 ところで、中国や韓国から今なお、厳しく、かつ盛んに日本の戦時中の蛮行?について責任や謝罪を要求して来ます。これはますますエスカレートしているようにも思えます。先般、南京に行った時に『日本軍による30万人大虐殺!』という看板があり、日本の寄付で建てられた立派な『戦争記念館』があり、そこを見学できた。
 この場所に中国の小中学生が歴史の勉強にゆき、旧日本軍の蛮行を教育している。韓国でも同様な歴史の教育をしている。

 その歴史の内容が本当に正しい歴史の真実に立つものであれば、それは歴史を正しく知るという点で大切な教育である。しかし、いろいろな過去の出来事を他の目的のために歴史を綴って使っているのであれば、そういう教育を受けた中国や韓国の若者は日本に対して、いつまでも誤った考えを持ち続けることになる。

 いまなお、事あるごとに、彼らによる反日デモが繰り広げられ、商店や工場が破壊されている。先般の中国のデモで、周恩来首相と松下幸之助創業者が初めて手を握り合い中国の発展の礎となった中国松下電器の工場を、そこの従業員が破壊した事件があった。これなどは通常考えられない行いである。

 お互いに正しく史実を確認し合いながら、将来の友好発展のために、お互いの国の子供たちに正しい教育がされなければ、いつまでも同様なことが繰り返される。
政府は早くこのことに気づき、中国と韓国の首脳と話しあうことが重要だと思う。これが両国間の戦略的友好関係につながる。

 終戦記念日に総理や閣僚が靖国神社に参拝することがなぜ、悪いのか?
時の総理や閣僚が参拝し、戦没者を慰霊することがなぜ、だめなのか?
何が靖国神社にあるというのでしょう? 戦没者を慰霊する行いが海外からとやかく言われる筋合いはないと思います。
彼らはしつこくそのことを非難してきます。
 
 日本が過去にやってきたとされる中国や韓国での蛮行が許せないということが前提にあります。しかし、そのことと靖国神社へ慰霊のための参拝することと、どう結び付くのかよく分かりません。

 そういう疑問を持っていましたら、テレビで『千鳥ヶ淵戦没者墓苑』という施設があることを知りました。昭和34年(1059年)に国立墓苑として建設したもので、戦没者のご遺骨を埋葬した墓苑ということです。いわば、『無名戦士の墓』です。
 海外旅行をすると、各国に『無名戦士の墓』があり、よくツアーで立ち寄ります。そういう場所は公園になっていることが多いです。
 そこは衛兵が立ち、墓を守っている敬虔な雰囲気の漂う場所です。先般もギリシャに行きましたが、アテネの無名戦士の墓がありました。ちょうど衛兵が交代する時間だったので、たくさんの人が見に行っていました。
 国民が気軽に、国のために戦場で亡くなった御霊を拝むことは当たり前です。
 そういう感想からすれば、『靖国神社』は何か別の違った雰囲気を感じます。
それが何か日本独特の気質かどうかよく分かりません。
 靖国神社にはお墓はありません。戦没者の御霊(英霊)を祀る場所になっています。
 
 靖国神社は戊辰戦争の頃からの戦死者を祀っているということですから、明治、大正、昭和の3代にわたり、明治維新の国内の戦争の英霊や、日清・日露戦争や、第一次世界大戦や、先の太平洋戦争などの軍人(英霊)が祀られています。そこに以前は天皇陛下もお参りされていました。
 ここで英霊と書きましたが、祀られている方々を『英霊』と呼ぶのだそうです。

 中国や韓国からすれば、旧日本軍国主義の象徴がそこに見えるのかもしれません。現在の日本には全く関係がないと思いますが、軍国主義復活を恐れているのかもしれません。これは直接聞いてみないと分かりません。

 そういう心配は現在の日本には全くないということが分かっていながら、彼らが言い続けることに何か意義を感じます。彼らが国民の不満を国外に目を向ける施策とも思えます。もっと日本の政治家は腹を割って、話し合いすることが必要だと感じます。

 疑問を持ったのは靖国神社があるのに、なぜ千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるのか?
よく分かりませんでした。

 下記の記事を読んで、靖国神社とは別だということですが、戦没者を仕分けするというふうに見えます。無名戦士であろうが有力者であろうが、国家のために戦い亡くなった方は平等に祀ることが慰霊です。戦死後も選別されるのは困ったことです。

 早く、時の総理や大臣や、各界の代表者も、戦没者の遺族も、一般の国民も、海外のVIPも、修学旅行生も、海外からの観光客も、いつでもお参りできるそういう環境を整えることが重要だと思います。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑について、下記のような記事がネット上に掲載されていますので紹介します。
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 『千鳥ケ淵戦没者墓苑』は国の聖苑として日本はもとより海外からも多くの方の参拝が耐えません。一般参拝の他、国家的行事を始め戦友会、遺族会、宗教団体等による年間を通して戦没者に対する慰霊の誠を捧げる奉賛行事も行われております。
絶景の千鳥ヶ淵の桜の時期、7月のお盆、8月終戦記念日、春、秋のお彼岸など特にたくさんの方が参拝されます。

 『千鳥ヶ淵戦没者墓苑(無名戦士の墓)は、軍人軍属のみならず一般邦人をも含み、また既に遺骨の一部を遺族に渡された人々をも含む全戦没者の象徴的遺骨を奉安した、国立のお墓であります。わが国には明治以来、『靖国神社』がありますが、終戦後、宗教法人となり、外国の元首や使節等が、これに詣でることがむずかしくなり、諸外国の無名戦士の墓に類するものを官民一体で建てることになり・・・」と。

 では千鳥ヶ淵戦没者墓苑のいきさつはどうだったのか。次にその経過をふり返ってみよう。
発端◇厚生省の役所の中には、支那事変以来遺族の判らない遺骨が仮安置されていたが、昭和25年1月9日、比島の戦没者4822柱の遺骨が米軍により送還されたのを契機に、国で墓を作って納骨しようとの考えが強まった。
 28年9月26日◇厚生省、文部省、内閣法制局が合同会議を開き、戦没者の墓を国において造営する場合の問題点(特に憲法上)について検討した、結果は「支障なし」との結論であった。

28年10月6日◇厚生省は遺骨問題に関連の深い団体を招き、国で墓を作ることについて意見を聞いた。結果は全団体賛成であったが、一番関係の深い靖国神社が招かれていないことが指摘され、靖国神社の意向を聞く必要が述べられた。

28年11月18日◇前項に記した関連団体の第2回会合が開かれ、今度は靖国神社からも池田権宮司が出席した。

池田権宮司は次の点を厚生省援護局長に質した。
問:墓苑は引取り遺族の判らない遺骨を納めるために作られるのだが、これを全体の象  徴的墓とするようなことになると、靖国神社と重複することになって将来具合が悪い   のではないか。
答:全体の象徴とする考えはない。

問:名称が「無名戦没者の墓」となるようだが、これは国民にアメリカのアーリントン墓地  を連想させ、全戦没者を代表する墓という印象を与えるのではないか。
  しかもそれが国立の墓地であるから、現在私法人となっている靖国神社に代るもの   というような、国民の誤解を招く恐れはないか。
答:名称は未だ仮称だから、今後充分に考慮して決定する。

問:墓は宗教施設ではないのか。これを国で作ることは憲法に抵触しないか。
答:墓は宗教施設ではない。その証拠に所管が違う。
  (墓は厚生省、宗教施設は文部省)

以上のような経過があった後、昭和28年12月11日、厚生大臣より「無名戦没者の墓」
に関する件が閣議に報告され、閣議で決定された。


墓苑の性格
政府は28年1月、戦後はじめてマリアナ諸島など中風太平洋及びアッツ島の遺骨収集を実施したが、その他の主要戦闘地域についても、関係国の了解が得られる地域より逐次実施に移す計画であった。これらの収集遺骨のうち、使命が判明しない等のため遺族に引き渡すことができないもの、および現に厚生省等で仮安置中の遺骨で、遺族に引き渡すことのできないものの納骨のための「墓」を建立しようというのである。

もちろん、「墓」の建立自体については意義をさしはさむ余地はないが、その名称、建立場所については、「墓」の性格をめぐって重大な問題を包蔵していた。
すなわち、靖国神社は従来戦没者のみたまをまつるところとして国民の尊崇の中心になってきたが、新たに建設される「墓」のあり方によっては、将来、戦没者慰霊に関する国民の観念が、二元化されるおそれがあるのではないかということである。
 この点について政府は、その「説明資料」で 「靖国神社は全戦没者の「霊」を祀るものであるのに反し、「墓」は特別の事情にある遺骨を納める施設であるので、両者の性格はおのずから異なり、両者は観念上も、実体も抵触するものではない」
 と述べている。
 また当時の厚生省引揚援護局長田辺繁雄氏は、問題点について次の通り説明し、
「墓」の基本的性格を明らかにしている。

「墓の性格は、端的にいえば、戦没した者の無縁遺骨を収納する納骨施設である。
したがって、この墓は、全戦没者を祭祀する靖国神社とは、根本的に性格を異にし、
両者はそれぞれ両立しうるものである。

又、この墓は、外国における無名戦士の墓とも異なるものである。外国における無名戦士の墓は、国営の戦没者の墓から一体を移し、これによって全戦没者を象徴するものとする建前をとっているが、今回、国において建立する墓は、このような趣旨は含まれていない。この面からも靖国神社とは趣を異にする」

さて、昭和31年11月28日、政府は閣議において、去る28年12月11日の閣議決定について再確認し、「墓」の建設を促進することになった。また建設場所については、政府は当時、宮内庁所有の千鳥ヶ淵元賀陽宮邱跡とすることを内定した。

靖国神社および日本遺族会は、従来、靖国神社境内に建立すべきであると主張してきたが、大勢上、政府の意向を認めざるを得なくなり、その代り12月3日、当時の遺族会副会長逢沢寛氏と、官房副長官砂田重政氏(戦争犠牲者援護会々長)との間に要旨次のような覚書を取り交した。


1.仮称、無名戦没者の墓は信仰的に靖国神社を二分化するものでなく、現在市ヶ谷納  骨室に安置せる八万余柱の御遺骨及び今後海外より収納する所謂引取人の無き御  遺骨収納の墓であること。
2.本墓の建設により、800万遺族の憂慮している靖国神社の尊厳と将来の維持、及び  精神的、経済的悪影響の波及しないような措置をすること。
 就ては、例えば国際慣行による我国訪問の外国代表者等に対し、我国政府関係者が 公式招待又は案内等をなさざること。
3.靖国神社の尊厳護持について、来る通常国会の会期中に政府をして、精神的、経済 的措置をなさしむること。
4.本墓の地域は靖国神社の外苑の気持で取扱いし、将来法的措置を講ずること。
以上

かくて、政府は12月4日の閣議において、千鳥ヶ淵に建立することを正式に決定し、
33年8月着工、翌34年3月に竣工、名称は「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」とされた。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑には、その後、海外で収骨された戦没者の御遺骨が納骨され、
現在20数万柱に及んでいる。戦没者の墓苑として、官民ともに慰霊の誠を尽くすべきことは当然だが、墓苑の性格は建設当時と何ら変更のないことはいうまでもない。

このことは34年3月の閣議報告においても「無名の御遺骨を国が責任をもってお守り申し上げる」という線が再確認されており、また、39年2月21日の第46国会衆院予算委員会の第一分科会における、民社党受田新吉氏の質問に対する政府答弁においても確認されている。

さらに、昭和50年2月27日、第75国会の衆院社労委員会において、民社党の和田耕作氏の質問に対し、厚生省の八木援護局長は、千鳥ヶ淵墓苑の性格について、その経緯を明らかにし、「氏名不明の御遺骨をお納めしている」と答弁している。
また和田氏の「外国の国賓を千鳥ヶ淵にお参り願うよう誘導すべきではないか」との質問に対し、田中厚生大臣は「・・・千鳥ヶ淵の場合は今次大東亜戦の戦没者の方で身元のわからないとか引き取り人のない遺骨で、(外国の無名戦士の墓とは)範囲も違うので、本人の希望によってお願いするのが妥当と思う」と答えている。

 以上の通り、千鳥ヶ淵墓苑の性格については疑念の余地はないが、注目すべきことは時の経過とともに、当初懸念されたように、千鳥ヶ淵墓苑を全戦没者を象徴する墓苑として性格づけ、位置づけようとする意図が、一部特に厚生省や墓苑奉仕会に見られることである。先に掲載した墓苑のパンフレットはその好例であり、墓苑建設の経緯を知らない国民にことさら誤った認識を与え、その基本的性格についてなし崩し的にあいまい化することは、後世のため憂慮されるところである。

私は、一日も早く靖国神社国家護持が実現することを期待すると同時に、その暁には、千鳥ヶ淵墓苑が靖国神社に移管されることを切望してやまない。
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以上はネットからコピーした記事です。



8月14日(水)
『日の丸家電の命運』を読んで!
 

 既に、8月7日に立秋が過ぎましたが、その後、さらに猛暑が続いています。
この夏は例年以上に気温が高く、異常気象のようです。年々気温が上がっているのが心配です。
 しかし、季節は着実に移り変わっています。
 8月10日早朝、この夏初めてツクツクボウシが鳴いているのを聞きました。  朝5時ごろから6時頃までの短い時間でした。その後、毎朝、同じ時間帯に鳴いています。ただ、この暑さですので6時以降、気温が上がるとクマゼミの鳴き声に占領されます。
 昨日の朝、今朝は気温が24度前後で熱帯夜を免れました。少し涼しいな!という朝になりました。日中は相変わらず35度以上の暑さです。
皆様に、残暑、お見舞い申し上げます。

 今日のテーマは、『日の丸家電の命運』というタイトルの本の読後感です。
「パナソニック、ソニー、シャープは再生するか」というサブタイトルが着いています。著者は真壁昭夫氏、出版は小学館・新書。定価は720円+税。

 カバーには、「『家電の失速』は、何を象徴し、何を示唆しているのか。本書は、そのすべてを解明する。」村上龍が着いている。

「家電各社は己の技術力を過信するあまり、顧客のニーズに応える商品を開発できなかった。復活か沈没か・・・舵取りを任された経営陣に残された時間は決して多くはない」となっている。
  第1章 松下幸之助の家族主義をも捨てたパナソニック
  第2章 消えたソニースピリッツ
  第3章 土壇場に追い込まれたシャープ
  第4章 明暗を分けたNECと富士通
  第5章 不振に喘ぐ家電メーカの共通項
  第6章 アップル、サムスン電子ら海外勢が飛躍した理由
  第7章 好対照に黒字確保した重電各社
  第8章 日本の家電メーカは生き残れる
という構成になっている。

 日本の電機メーカ8社(パナソニック、ソニー、シャープ、NEC、富士通、三菱電機、日立、東芝)について、現状分析を行い、今後の対処の道筋を示している。
特に、家電メーカ、パナソニック、ソニー、シャープ3社については相当突っ込んだ分析をしている。

 現在の日本家電3社の苦境は、経営陣の失策にあると結論づけている。
3社の経営陣の名前を具体的に挙げながら、時々の方針や取り組みを分析し各社で少しずつ内容の違いはあるが、結果として3社とも大きな失敗を重ねてきたことに言及している。

 パナソニックについては、中村改革で立ち直ったように見えたが、実は大きな負の遺産を産んでしまったこと。その後の大坪社長がさらに傷口を拡大したこと。松下電器の良き伝統を否定して、求心力を喪失したことをあげている。

 ソニーはソニースピリットを経営陣が破壊し、ものづくりのソニーの良き伝統が消え失せてしまったこと。かろうじて保険や銀行が儲けているので、何とかしのいでいるが、ものづくりという点では非常事態になっている。
 同時期に起業したホンダは今も元気で、生き生きとして、もうすぐ自家用ジェット機の製造、販売するなど羽ばたいている。

 シャープは液晶のシャープ、亀山モデルで一時期、液晶テレビでシェアNo.1をとり、飛ぶ鳥を落とす勢いを示したが、世界の景気、サブプライム問題、円高、液晶製造技術の流出、コスト競争など一気に経営環境が変わった。そういう中で巨大な堺工場の建設に巨額をつぎ込んだことが経営を危うくした元凶になった。ここで勝てば、シャープはデジタル時代の覇者になれるはずであった。
結果は逆になり、大きな賭けに敗れた時の損害は命取りになるという結果になった。

 しかし、日本のメーカはまだ再生できる可能性を有している。しかし、残された時間は多くないとなっている。
 再起できるかどうかは経営陣が環境を読み切って、現状と将来に適切な対処できるかどうかにかかる。

 再起への道筋、そのポイントは何か?
 事業が成り立つかどうかは、ユーザ、お客さん、顧客が欲しいモノやサービスを提供できるかどうかにかかる。
 過剰な性能、ほとんど使わない機能などを付けて、これだけいいものだから、高くても売れると一方的に考えて売っても、買う人は横を向く。
 これは商品ばかりでなく、サービスについても言えること。

 お客さんが欲しいものを、欲しいときに、納得いく価格で提供するのが企業の使命である。これができれば、その企業は成長ができる。

 現在は世界的な価格競争に入り、損得を度外視した価格競争に突入することがある。損する価格で売るようでは企業は成り立たない。

 しかし、『損して得取れ』という諺があるが、これは「儲けばかりを考えていては結果として得にならない」ことを言っているので、決して「損しろ」という意味ではない。その意味するところ、事例はプリウスの値付けにある。

 プリウスがあの値段で発売された時はびっくりした。予想より50万円〜100万円安い価格であった。予期しない安い価格でハイブリッド車を発売し、一気に大量に販売することで、量産効果を出し、それを元に勘定を合わせる、というトヨタの戦術に拍手を送りたい。
 今までになかった技術や部品、材量を使う場合はどうしても値段が上がる。 大容量ニッケル水素電池、強力な小型モーター、DC−ACインバーターなどは今までの自動車では使わなかった部材です。今まで少量しか作っていなかったものの値段を見直し、大量に使うことを前提に、製造方法や材料買い付けを見直せば、大きく価格を引き下げることができる。

 トヨタはプリウスのハイブリッド戦略に成功した。この成功でトヨタ自動車はさすが世界のトヨタというイメージが出来上がった。企業は常にこういう脱皮が必要である。お客様から見たブランドイメージが非常に重要になる。

 この本は、特に目新しい内容はない。書いていることは全うなことである。
日本の製造業が以前に比べて、力強さに欠けると言われている。その真の要因は何か? このことには触れていない。
状況分析は十分にできている。その内容は良く理解できるが、なぜ?そうなったのか?については、経営陣のミスジャッジが要因だ!という表現に終わっている。
経営陣のミスジャッジをさせた要因は何なのだろうか?
このことにさらに突っ込んでほしい。
この『随想記』には以前から、その真因に触れているので、ご覧頂きたい。



8月11日(日)
『ならぬことは、ならぬものです』


NHK大河ドラマ『八重の桜』が盛り上がっています。ドラマを見ていると
会津という地で、独特の風習や文化が根付いていたのが分かります。

『こだわりを持って生きること』は、大切だという反面、長い目で見て、
『こだわりが本当に正しかったかどうか?』 判断が要る時があります。

最近、子供たちの躾(しつけ)が時々、話題になりますが、江戸時代の
武士の子弟の躾は大変厳しかったようです。 子供でありながら、
凛とした姿が感じられます。(ドラマを見て感じること)これは旧日本軍の
兵隊さんにも感じられる共通したところがあるように思います。

それはどこから生まれてくるものなのでしょうか?
『命を懸けている』という緊張感が行動をそうさせるのかもしれません。

私たちは良い意味での緊張感、正義感はなくしたくないものです。
『ならぬことは ならぬものです』について、少し調べてみました。

 什の掟 (じゅうのおきて)は、旧・会津藩の10歳まで藩士の男子子弟で、日新館へ入学する前に、同じ地区に住む6〜9歳までの子どもたち(男子のみ)が10人前後のグループを結成していました。その集団を「什(じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となり、その中で守らなければならない決まりを定めたものです。
 毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。

その内容は、
 一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
 一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
 一、戸外で物を食べてはなりませぬ
 一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
 ならぬことはならぬものです。

 会津は、藩の学問所が1664年に建設され平穏な時代が続いていました。
1800年代に大飢饉になり、会津という厳しい自然環境の中で藩が生き延びるには、教育に力を入れ、優秀な人材を育てるしかないという藩の強い決意のもとに生まれたのが『日新館』です。『日新館』は1803年に5年の歳月をかけて完成しました。

 什を修了した10歳以上の男子の子弟が、日新館でさらに高い教育を受けました。
教材は論語、大学などの四書五経、孝経、小学など中国の古典を使いました。
 日新館は優秀な人材を輩出し、その後の会津の殖産興業に寄与しました。

日新館は戊辰戦争で野戦病院の役割を果たし、その後焼失しました。
その後、日新館の理念を受け継いだ人たちの努力で再建に取り組み、1985年(昭和60年)4月に起工式を行い、34億円をかけ会津市若松町河東に着工し、1987年3月に開所しました。


什の掟』の現代版として、『あいづっこ宣言』というのがあるそうです。
 @人をいたわります 
 Aありがとう、ごめんなさいを言います
 Bがまんをします
 C卑怯なふるまいをしません
 D夢に向かってがんばります
「やってはならぬ、 やらねばならぬ、 ならぬことは、ならぬものです」


こういう行いをしっかり学べば、『いじめっ子』はなくなりますね。そうありたいです。



8月10日(土)
Panasonicはなぜ苦戦しているのか?

 日本の家電メーカはことごとく苦戦または敗戦してしまった。
日本のお家芸とまで言われた『ものづくり』は、なぜこうも簡単に敗れたのか?この分野に籍を置き働いてきた一人として、残念で仕方がない。
しかし、職を離れ、冷静に振り返ると、いろいろと要因があったことが分かる。
 たまたま、ネットである記事を拝読した。いつも考えているそういう要因について、よく合う内容が記されていた。同じようなことを考えている人がいるものだなぁと驚いたので、記事を紹介し、自分の思いも書いてみた。
少し長文になるが、なるほどと気づかされることが多いはず。

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「もの」の世界と、「つくり」の世界

 『ものづくり』とは本来、消費者がワクワクするようなものを考えることと、それを製造することの2つの局面に分けて考えるべきではないか。

 一般に『ものづくり』という場合、「もの」を構造物(製品)ととらえてしまうところに、誤解の元がある。
 「ものがたり」「もの思いにふける」「もののけ」といった言葉が示すように、「もの」は本来、形あるものではなく、思いや考え方、アイデアを指すと解釈する
ことができる。

 一方、「つくり」は、その思いなりアイデアなりを具体的な形にするときのプロセスであり、製造業でいう『生産活動』に当たる。
「もの」は頭の世界、「つくり」は手足を動かす世界、と言い換えてもいい。

 アップルの携帯端末「iPhone」に象徴されるような、消費者がワクワクするもの、「これがあれば自分の生活が変わるのではないか」と思えるようなものを生み出すのが、「もの」の局面だ。
 
 製品に付加価値をつけるのは、生産性や品質ではなく、そうした斬新な製品コンセプトやソフトウエア、デザインの部分だ。
 原価が5000円もしないような有名ブランドのビニール製バッグが20万円で売れるのも、「もの」のところで圧倒的に消費者を魅了しているからにほかならない。

サービスも、ソフトも「ものづくり」
 このように、ものづくりを良い「もの」を顧客に届ける一連のプロセスと考えるならば、ものづくりが工場という生産現場に閉じられたプロセスではないことや、ものづくりによって生み出されるのが、物質的な製品とは限らないことが分かる。

 「もの」(顧客にとって価値ある設計情報)をマテリアルに埋め込んでいくのが製造業なら、人に埋め込んでいくのがサービス業ということになる。

 サービスもソフトも、人の活動によって生み出される全てが「ものづくり」であって、1次、2次、3次産業と分けること自体、古い考え方なのではないか。

 そして、消費者のニーズを満たすという視点から、例えば外出できない高齢者にコンビニやスーパーが品物を届けるといったハードとサービスを一体で提供する「ソリューション」の発想が、今後ますます重要になる。

「つくり」に傾注し「もの」で後れを取った日本企業
 1990年代までの日本のものづくりの強みは、既に欧米に出回っているのと同じような製品を、欧米よりも高品質かつ安価につくれることだった。
 日本企業は生産技術に磨きをかけることで、高機能・高付加価値の製品を輸出し、成熟した先進国市場もそれを受け入れた。

 このため、日本のものづくりは「つくり」に没頭し、いつの間にか消費者不在になり、何をつくるべきかという「もの」を考える発想自体が希薄になってしまった。
 1つの産業に複数社がひしめいているがゆえに、消費者よりも同業他社に目が行きがちになり、際限き品質競争を繰り広げてしまった面もあるだろう。
 
 しかし、先進国の購買力が落ち込む一方、新興国で莫大な中間層が台頭してきた今日のグローバル市場において、様々な人種、様々な価値観が混在し、消費者の要求も一気に多様化している。

 一方で、デジタル化が進み、いつでも誰でも同じようなものが造れるようになったことから、「もの」について考えることがこれまで以上に重要になってきた。

 実際、今ものづくりで世界を席捲している企業は、どこも「つくり」ではなく「もの」を重視している。
 「iPhone」しかり、英ダイソンのサイクロン(遠心分離)方式の掃除機や、米アイロボットのロボット掃除機「ルンバ」しかりである。

 これらはいずれも製品に使われている要素技術には真似できない目新しいものは含まれていない。既存技術の組み合わせで消費者に支持されるものを生み出しているのだ。そして、いずれも「つくり」は台湾や中国、マレーシアなど適所で行っている。

「どうつくるか」より「何をつくるか」が重要
 ユーザーは、技術やイノベーションそのものを求めているわけではないし、使う当てのない機能にワクワクすることもない。品質がよければいくらでもお金を払うという人が新興国にいないわけではないが、大半はいらない機能や、最高であっても過剰な品質にお金を払うのはごめんだと思っている。

 生産者がどういうこだわりでつくるかではなく、最終的に消費者が満足するどうかである。「消費者がワクワクするようなものがつくれるか」「機能や価格など、現地の消費者の要求に合ったものがつくれるか」がビジネスにおいては全てなのだ。そしてそれは、必ずしも新しい技術がなくても生み出せる。

 日本製品の中にも「ウォークマン」や「ウォシュレット」など、時代を先取りするような革新的なアイデアを形にしたものがなかったわけでなはい。
 製造装置や主要部品の多くを日本に頼っているサムスンだけでなく、アップルにしても、ダイソンにしても、ヒットしている製品は、日本の技術力があれば十分つくれたはずのものばかりだ。

 日本企業には、そうした製品を生み出す前提になる発想力がないわけでも、技術力がないわけでもない。技術への過信や、新興国市場への対応の遅れから、「もの」の部分を「真剣に考えていない」だけなのだ。

 メイドを雇う家庭が多いインドでは鍵がついた冷蔵庫が好まれるし、暑いからエアコンに暖房はいらない。蚊が媒介する感染症に悩まされているミャンマーなどの東南アジアでは、サムスンが売り出した殺虫効果のあるエアコンが爆発的にヒットした。
 日本でも核家族化が進む以前の高度成長の初期段階は隣近所全体が騒々しかったように、新興国で静音性を求めるニーズはほとんどない。暑い国ではガンガン冷えるクーラや冷蔵庫が好まれる。
 それなのに、従来と同じ価値観に基づいて、同じ最高スペックの製品を世界にばら撒こうとして行き詰まっているのが、日本企業の現状だ!。

 グローバル競争に勝つには、日本企業はいたずらに「つくり」に尽力するのではなく、もっと「もの」に目を向け、シフトしていかなければならない。
 グローバル化、デジタル化が進んだ現在のものづくりにあっては、「どのようにつくるか」ではなく、「どのような『もの』をつくるか」で勝負は決まるからだ。
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という記事になっている。
全く同感であり、この随想記にも同様なことを今まで、たくさん書いてきた。

 Panasonicが松下電器であった頃、いや、今から25年少し前、ビデオが全盛期の時期があった。世界中でPanasonicビデオが飛ぶように売れた。
VHSがソニーのβに勝って、一気に販売が伸びて、松下電器の利益の大半を稼いだ時であった。
 この時期はいかに大量に、安定して廉く造るかが課題で、製造現場の力が絶大であった。社内では利益を稼ぐ部門は重宝がられ、その事業に携わっていた人材はドンドン昇格し社内の重要ポストを占めるという時期があった。

 この頃は、まだ今と違って、『良いもの(商品)を造れば売れる』という市場であった。家庭用ビデオは世界中で売りまくり、シェアはナンバーワンだった。

 この頃、すでにムービも出始めていたが、形が大きくて、とても持ち運べるような品物ではなかった。そこでVHS-Cという小さなテープを新規格として起こし、小型のムービカメラを商品化したことがある。これをJVCとPanasonicが中心になり造って販売した。
 
 βで敗れたソニーは、ソニー魂を発揮し、8mmサイズの新規格ムービを商品化した。このムービはテープ幅が8oだったので、オーディオ用のカセットテープより少し厚いぐらいのテープを使ったので、商品が小型にできて、かつ録画時間がVHS-Cは15分か20分だったのに、8mmムービは30分とか45分録画できた。
 量販店からPanasonicもVHS-Cを止めて8mmを造ってほしいという要望が強く入った。お客様の声を代弁したお店の要望であった。
 しかし、その声を量販店から直接、会社幹部が聞く会議で、『Panasonicは8mmムービは造りません』と宣言した。
 この頃から、松下電器に『うぬぼれ』、『独りよがり』の風潮が強くなったように思う。結果は、VHS-Cは途中でとん挫して売れなくなった。
 その後、しばらくして、デジタルの時代に入る。
この時は、ソニーが9mmデジタルにこだわった。PanasonicはVHS-Cで大失敗した苦い経験を持っていたので、業界でまとめ上げたデジタルムービの新規格DVDを採用した小型のビデオカメラを開発し発売した。これでやっとムービビジネスは息を吹き返した。

 もともと、松下電器の創業者の松下幸之助は、創業以来、『お客様第一』を標榜して事業に当たってきた人であり、松下電器はそういう社風であった。
小生が入社した昭和43年頃から急激に業容が拡大し、社内は元気さに溢れていた。カラーテレビは業界ナンバーワンで、品質も良く、色も一番きれいでとおっていた。その後のビデオ事業は前述のとおり隆盛を極めた。しかし、後半のビデオは様子を異にしていたようだ。
 それが、このビデオの一時期に、お客様を見失った、製造現場中心のモノづくりに走ってしまったところに、現状の苦戦のルーツが見える。
 
 『もの造り』を熱心にやりすぎた結果、『モノづくり』=製造と間違えた。
『ものづくり』は企画、設計、製造までが一連のものづくりである。それを製造主体の意味になって、『いいもの、高品質なもの、ばらつきのないものをいかに安く、安定して造るか』ということに会社の主軸が移って行った。
 物不足の時代ならこれは一つの解であってもいい。しかし、既にもの余りの時代にさしかかっていた。既に海外でも廉く造れる時代に入っていた。
 だから当時、国内工場で作っても競争力を保つため機械化、自動化、ロボット化を導入して取組んでいた。
 海外と国内工場の製造コストの違いは、大きくは人件費だった。だから『作業者をゼロにすれば、国内で作っても勘定は合う』という理屈で、自動化やロボット化を進めて、製造のラインの省人化に取り組んだ。
 しかし、結果はロボット化は投資が大きくなり、融通性が利かなくて、決まった作業しかできない。生産する商品の機種切り替えや、製造する商品の切り替えに対して柔軟な生産システムでなければ、気まぐれになってきた市場の要求に応えられなくなった。
ロボットや機械は同じものを造り続けるには適したシステムである。部材や部品はそういう生産システムにマッチする。しかし、家電商品として組み立てるには、機種切り替えがいかに早く対応できるかが大きなポイントになっていた。
大きな投資をしてロボットや自動化した生産ラインはその後一部を除いて撤去され、セル生産などの生産方式に様変わりした。

 さて、事業は『自分のためでなく、国家国民のため、世界文化の進展のため、より良き暮らしができるように』というのが、松下幸之助の理念であった。
それが、次第に『事業のため』、『儲けるため』、『自分のため』となった
 
 日本は世界で第2、3番目の大きな市場規模がある。日本向けに企画した商品をそのまま海外に輸出する、このやり方で進んできた。『こんなにいいモノ(高性能、多機能、省エネ、など)で高品質なんだから、世界中どこでも売れる』という思い上がりがあった。
 世界は広くて、日本と違う環境や、いろんな人の生活習慣がある。
国により生活をスタイルが違うのだから、どういう生活をしているのかを調査すれば違いはすぐ分かる。
 新興国の人々はまだまだ不便な生活をしている。生活の現場に出向いて、何が問題なのか、生活の不便さを解消できる方策はないかを見つけ出す。
その作業をしないで、日本で快適な生活をしている人たちを視点に企画した商品を輸出して、高い値段でお店に並べても売れない。
この商売の原点に気付くのが遅れた。実に他愛もない話なのだ。

 しかし、まだ挽回の余地はある。事業は遅れたからもう負けだということはない。その証拠がアップルのi-padやi-pod、i-phoneなど一連の商品である。
今まで同様な商品がなかったわけではない。
デジタル音楽録再ができるmp3というフォーマットを採用した商品はそれまでたくさんあった。これらはデジタルで単に録再ができるという商品であった。
アップルのi-podが爆発的に売れたのは、音楽ソフトがネットからダウンロードできるというソフトを絡めたところにある。これはハードの問題ではなく、ソフトとハードの一体化したモノであり、後発組でも挽回して勝てることを実証している。

 Panasonicがドン底から這いあがり、以前のような元気さを取り戻せるかどうかは、製造力もさることながら、ユーザが望むもの、すなわち、その商品を見て、わくわくするような感激を与えられるものづくりができるかどうかにかかっている。
 そういう商品を作るには、センスが要る。このセンスは、難しいことではなく、現実の生活の場で不便な点は何か、ユーザが気付いていないことを見つけ出し、提案して、驚きと感激を与えるようなことに気付く動物的な感、そういうものづくり、『何を造れば喜ばれるか』を念頭に取組んでゆくことに尽きる。
 
 今は昔の話になったが、製造の現場やラインに乗ることを条件に商品企画して、ちょい替えで『ものづくり』をして、売れるような時代ではなくなった。



8月9日(金)
大阪桐蔭高校と箕島高校の野球を見て

  8月8日より夏の高校野球が始まった。毎年この頃が一番暑く、甲子園が燃える季節である。今年は、開会式当日に、大阪桐蔭高校が第二試合、和歌山の箕島高校が第三試合に出たので、久しぶりに、両校の試合をテレビで観戦した。
 箕島高校は和歌山県有田市にあり、有田川河口にある。近くの山々はミカン畑で覆われ、有田ミカンの産地になっている。
 その変哲もない県立高校が過去に大きな仕事をしたので有名になった。
尾藤監督(尾藤 公(ただし)氏)が1966年に東尾を擁して、1970年に島本、1979年には石井、島田のバッテリーで春夏連覇をした。
 特にこの年の夏の試合では、星稜高校と延長18回のドラマを制し、誰も忘れられない高校野球の歴史を刻んだ。
 
 和歌山県は野球が盛んな県で、古くは桐蔭高校が和歌山中学(和中)時代に強くて有名だった。その後、箕島高校が優勝し有名になった。
 その後は、和歌山市内の近大付属高校や和歌山智弁高校などの私学校が互いに県代表を競った。
 私学の場合は、勉強でもスポーツでも特待生が集まり、いわゆる選抜組で、英才教育や特訓をしてますます技量を高める。これに比べて県立高校は公立という立場であり、私学のようなことができない。

 それを昨日の両校の試合を見ていてすごく感じた。大阪桐蔭高校の選手の体格は全員が抜きんでて、がっしりしている。高校生の未熟な体格ではなく、完成された大人の体格で、中には数人、重量級の選手がいる。
 すぐにプロ野球選手になっても見劣りしないような体格を持ち、高い運動能力を持つ選手が並んでいる。多分、寮生活を送り、管理栄養士がカロリー計算した食事をしっかり食べて、練習メニューをこなした結果だと思う。

 これに比べて、公立の高校は近隣の中学校で野球をやってきた学生が集まったという成り立ちである。たまたま、そこに優れた監督が居て、センスと技量を持った選手が集まった時に思いがけない戦績をあげる。
 和歌山箕島が強かった時代は、強い箕島で野球をやりたいという志願者が集まり、尾藤監督を慕ってやってきた。だから10数年間は強さが持続できた。
 
 そこに私学が特待生扱いの野球部を編成し、学校の情宣活動の一環として経営的に取り組んだ結果が最近の高校野球の姿だと思う。
 全国で屈指の強さを誇る高校はそのようになるべくして強くなった高校が並んでいる。『野球好きで、有名な監督が要るから』では全国制覇はできなくなった。

 箕島は、尾藤監督の息子さん(尾藤 強)監督が就任し、再び尾藤旋風を吹かせてくれるかと期待したが、そう簡単には勝たせてもらえなかった。
 尾藤監督(お父さん)は『尾藤スマイル』で有名になったが、若き頃は厳しいスパルタ式指導をして、中には退部したり、着いてゆけない選手が居て、一時は監督を離れたことがあるらしい。その間はボーリング場で仕事をしたりして、人を見つめ直したようだ。その後、笑顔の監督として大成された。
 
 息子の尾藤監督は昨日初めてテレビで見たが、父親の尾藤さん譲りの笑顔が終始見られた。
 この夏は残念ながら敗れたが、近い将来、強い箕島野球を見せてくれるだろう。しかし、私学の特待生野球に打ち勝てるかどうか、楽しみだ。



7月26日(金)
人を育む! とは?

  7月24日の記事で、今後、国や社会の発展のために一にも二にも人材育成がキーだということを述べた。人を育成するということは大変難しく奥が深く簡単なことではない。家庭で子供をしつけることは当たり前のことであるが、学校や社会人の教育はますます重要になる。それも高いレベルの教育!

 『高いレベルの教育とはどういうことなのか?』を考えてみたい。
 教育とは、『入試のための問題を解く』ハウツウ教育ではありません。今の日本の教育は大学入試に受かるための教育になっているような気がします。そこに学校や塾の目的があるようです。それはそれとして大切かもしれません。しかし、大学などは高いレベルの知識や見識を身に着けるための手段に過ぎないと思います。

 そこで、一つ、具体例を示してみます。
 7月24日の記事の続きになるのですが、20世紀最大の発明と言われるトランジスタを発明したベル研究所の3名の研究者の一人で、ショックレーの子供の頃の話を紹介します。
 ショックレーは小さい頃から、ちょっと変わった子供でした。学校の理科
(物理)の時間に先生が『ボートをオールでこぐ際に、どういう力関係になって、ボートが前に進むのかを説明しなさい』と言う問題を出しました。先生の模範回答はオールの支点を中心に、手と水面に差し込んだオールの先端との関係を示して正解を伝えました。
 これに対して、ショックレーは反発し、オールの先端を固定した見方で解答を出しました。どちらも正解ですが、先生はショックレーの発想を絶賛したそうです。その先生には違った発想をする子供を大切に育てることの意義が分かっていたのでしょう。
 学校を卒業し、ベル研究所に入りました。そこで上司から次の研究テーマを与えられた。そのテーマを紹介しますと、
 『君がアリゾナ砂漠の中に一人放りだされたとする。砂漠でいかに救出してもらうか、助けを呼ぶ方策を考えろ!』というものであった。
 これは漠然としたテーマで、いくらでも解はありそうですが、実現するのは非常に難しい問題であす。
 『助けを呼ぶ』しか手はないので、そのために無線を使うしか方法はない。
当時の無線器は真空管を使っていたので、大きくて、重くてとても持ち歩けない。しかも、すぐに電池が消耗しダメになり使い物にならない。

 そこで、このテーマに対する打開策としてまとめたのが、『持ち運べる大きさや重さで、電池が長く持ちし、壊れない無線機を造る』であった。
その当時、手に入る真空管を使うでは、実現が100%不可能である。
 今までない全く別のモノを発明しなければならない。

 その頃、半導体を使い交流を直流に変える整流効果が発見されていた。そこで半導体を使って、電流の増幅作用がある素子を造ろうと考えた。
しかし、当時、ゲルマニュウム(今は、シリコンに代わっている)の純粋な結晶が必要であったが、それを作る技術がなかった。純粋と言っても半端なものではない。何とテンナイン(99.99999999%)という純度にすることが目標になった。その解決のため研究に没頭し、ついにゾーンメルティング法という製法を発明し、高純度の結晶を作るのに成功したのである。その後も失敗を重ねつつ研究に没頭し、出来上がったのがトランジスタです。

 トランジスタは真空管と比較して、米粒ほどの大きさで、電気を食わない、振動などに強いなど、素晴らしい特徴を持っていた。
当時のトランジスタは未だたくさんの弱点も持っていた。動作が不安定、すぐに壊れる、などなど。
 
 しかし、基本的に優れた特性をもつモノは、それが持つ欠点を克服すれば素晴らしいモノになる。
 開発や改良が続けられ、安定して造れるトランジスタが生まれ、その後、次々とICやLSIが生まれた。今からほんの4〜50年前のことである。
その結果、現在のケイタイや、スマホに発展してきた。

 もし、ベル研究所の上司が新入社員のショックレーに、『君は真空管を徹底して改良しろ』という指示を出していたら、ショックレーは真空管の性能向上に没頭し、真空管としてはいいものを生み出したかもしれないが、トランジスタという今までになかった部品の開発に成功していなかったはずだ。

 人に仕事や研究のテーマを与える時は、その『テーマの目的が何か、何のためにそのテーマに取り組むのか?』を明確に示すことである。
そして見守り、途中で挫折しないようにバックアップする、そういう教育や指導が大切だと思う。

 今の教育は、『この問題を解け』であり、問題を解くことが目的であり、『この問題を解くことにどういう意義があるのか』を示していない。
ノウハウを身に着けることに留まっている。
その辺を見据えた教育や指導や動機づけが大切だと思います。



7月24日(水)
電脳が人脳を越えた時、何が起きるか?

最近、ノートパソコンや、タブレットや、ケイタイや、スマホなど、最近の情報端末の性能向上がすごい。
 特にスマホの機能や性能には目を見張るものがある。こんな手のひらに乗る小さなものに沢山の機能が入っている。しかも、その機能がストレスを感じることなく動作するようになった。
 無線を使う機器は、有線に比べて電波の帯域の制限があり、どうしても少し遅くなるという課題が付きまとっていた。それが最新の技術で見事に解決されて、ますます動作スピードが速くなっている。
 要は大量の情報のやり取りが非常に速くできるようになり、それに対応していろんなサービスが付加されるようになり、ユーザが使いこなせないほどたくさんの機能が満載された商品がスマホに代表される。

 これは、心臓部に使われているCPU(マイコン)が格段に性能アップしたことによる。

 『半導体の集積度は18か月〜24か月で2倍になる』という有名な経験則を1965年にインテル社のゴードン・ムーア博士が発表した。
これを、『ムーアの法則』と呼んでいる。

 その後、半導体集積回路はこの法則に則り、倍々ゲームで集積度を拡大し続けてきた。

 現在、世界的に経済はデフレ基調になっているが、ここにその真因がある。というのは、『半導体は産業の米』と言われ、あらゆる機器、商品に無数に使われ、機器や商品の性能や機能の向上の要因になってきた。その半導体(ICやLSIやシステムLSIなどと呼んでいる)は、ウェーハという純粋なシリコン材料の上に回路を描いて構成するのだが、その集積度が約2年で2倍になると、同じシリコンの材料に2倍の電子回路が作成できる。
 これにより何が起きるか?というと、値段はシリコン材料の使用量は同じなので、同じ値段で性能や機能がドンドン良くなることになる。
 以前のモノより新しいモノが性能・機能がよくなって値段が変わらない、または場合によっては安くなる。
 『産業の米』がそういう状態だから、他の商品も同様にいいものが安くなってゆく。
 だから、ムーアの法則が続く限り、デフレの状況は変わらないと言うのが、小生のつたない見解です。

 
不思議なことに、このことに触れられている見解はまだ見たことがない!。
 経済学者や経済評論家は、経済のトレンドを分析し、後付けの見解を見事に展開しているが、デフレや、製造の海外移転や、発展途上国の目を見張る進歩などの要因が何にあるか? を見抜いている方は全く見当たらない。

 話しを元に戻して、トランジスタが発明されて、そのご、半導体集積回路が発明され、現状に至る経過について、もう少し触れてみたい。
 トランジスタは1947年にアメリカのベル研究所のバーディーン、ブラッテン、ショックレーの3人によって発明された。その時のトランジスタは点接触型(ポイントコンタクト)トランジスタと呼ばれ、電流の増幅作用があった。これはそれまで使われてきた真空管に代わることができる作用である。
その後、接合型トランジスタが発明され、これが現在の半導体集積回路(ICやLSIなど)の原型になった。非常に画期的な発明であった。

 トランジスタの発明以来、半導体集積回路の発明、その後の素晴らしい発展や改善が続いて、今や、数cm角のシリコンウェーハの材料の上に、100億個以上のトランジスタを載せて構成できるようになった。

 そのことに触れ、ソフトバンクの孫さんが講演会で話された記事を見て、この人も同じことを考えているな!と思ったので、紹介する。
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 孫社長「2018年にコンピューターは脳に追いつく」
 ソフトバンクの孫正義社長は23日午前、同社が開いた法人向けのセミナーで「2018年にコンピューターは人脳に追いつく」との見通しを述べ、参加者を驚かせた。

コンピューターのチップ1枚に組み込まれるトランジスタの数が300億個に到達し、人間の脳細胞と同じになるという。
 半導体は「集積度が18〜24カ月で倍増する」という『ムーアの法則』を当てはめて計算したと説明した。
 さらに約30年後の2040年には、3万円程度のスマートフォン(スマホ)端末でもCPU(中央演算処理装置)の能力とメモリーの容量は現在の約100万倍に、通信速度は約300万倍になるとの試算も披露。
 「自動的な同時通訳が可能になり、教育や医療も高度化し、多くの人の働き方も大きく変わる」といった展望を語った。
 コンピューターの処理能力や通信速度は現在も急速に進んでいることを強調し、参加者にビッグデータ(機器などから発生する大量の情報)やクラウド技術の活用を訴えた。ソフトバンクでは通信各社の端末の動きや接続状況などのビッグデータを活用し、基地局設置の最適化などを検討したと説明した。 
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 以上が孫さんの記事ですが、これは既に言われていることで、別段新しい事ではない。
 要は今後も引き続いて半導体が進化し、集積回路に搭載できるトランジスタの数が人の脳細胞の数(300億個とも言われているが、だれが数えたか分かりません。これは一節です。)に並び、それを追い越す時が来た。そうなった暁に、世の中はどうなるのか?

 同時通訳がスムーズにできるようになり、違和感がなく、癖のある話し方でも、だれが話しても翻訳することができる夢のような機械が出現するはず。
海外旅行には便利だ!

 ビジネスの世界も大きく変わり、ますますグローバル化が進み、、ボーダレスになる。
 その結果、世界中の人件費はどの国で働いても、同一労働、同一賃金に限りなく近づいてゆくはず。
 そうなれば今、先進国で生活している人の高い給料は維持できなくなる。  世界中どこで住もうが、どこで働こうが、高い給料をもらうには、高い付加価を産む仕事ができなければならない。
 ますます競争が激しくなる。
 それも国内だけの競争でなくグローバルな環境での競争になる。これがメガコンペティションの本質だ。


 日本の高い給料を今後も維持するためには、どうすればいいか?
 一にも二にも、教育水準を高めて、高付加価値の仕事ができる人材を育成することに尽きる。
 しかし、人間はすべて優秀とは限らない。優秀な頭脳を持って生まれた人も居れば、そうでない人も居る。しかし、努力をすればあるレベルまでは教育で高められる。
 人材育成に力を入れた会社や国が今後伸びてゆくだろう。
そうでない会社や国は発展が止まり、置いてきぼりを食うことになる。

 日本は資源が少なく、有効面積が少ない、農業では食ってゆけない国だ。だから江戸、明治時代を通じて教育制度が他国に先駆けて完備されてきた。明治維新の『殖産興業』政策はまさに当時としては先見の明があった。
その結果、現在の豊かな暮らしができるようになった。

 今、求められるのはもう一段高いレベルの教育の在り方である。
世界大競争時代はそこまで来ている。企業競争に打ち勝ち、大競争に生き残るには人材の育成、教育にすべてがかかっていると言って過言ではない。

 自民党は先の総選挙、参院選挙で大勝した。大いに期待したい!
 アベノミクスで世間は大騒ぎしている。景気が良くなるのは結構なことですが、その先のあるべき日本の国家像をどういう姿にしようと考えているのか、安定多数を取った政党の責任として取り組んでほしい。

 現在の日本は一昔前に日本が置かれた状況とはあまりにも立ち位置が変わってきている。それをしっかり見抜き、正しく把握しないと、打った政策が生きてこない。税金の無駄遣いになる。
難しいかじ取りが必要な時代になった。!!!
 これは会社経営にも全くあてはまる。



7月23日(火)
原発の安全には2つの切り口がある

 東京電力 福島第一原子力発電所は、今なお、高濃度放射性汚染水地下漏えいが続き、海に漏れ出ていることを認めた。これは大変な環境破壊につながる。どの程度の量が海に漏れているのか正しく把握することができない。海岸線を取り囲んでいるフェンスの中だけなら、まだしも、外洋まで広がれば漁業に大打撃を与え、海洋汚染に発展する。

 今まで、原発に関する文面をたくさん書いてきたが、それは原子の働きや原子の素性や、原子力というハード面について書いたものでした。

 原子力発電所は、ウラニュウムが連続して核分裂をする臨界状態で常時一定の発熱量で、フルパワーで発電する。電力需要の増減に応じて、発電量を調節することはできない。原発はそういう意味で、ベース電力と呼ばれている。
 異常(事故)時や、定期点検時は制御棒を炉心の燃料棒の間に挿入することで、中性子を吸収し、中性子がウラン原子核に当たる量を減らすことで、核分裂する量を減らし、発熱を下げてゆく。そして冷温停止状態(常温)になるまで、水で冷やし続けなければ、ウラン燃料棒の温度が上昇し溶ける。これがメルトダウンという状態で、こうなれば原子炉が制御不能に陥る。鉄やコンクリートすら、どろどろに溶かしてしまうほど、高温になり大量の放射能が放出される。原子炉は何があっても、こういうシビアな事故にならないように何重にも安全策が施されている、という話を今までたくさん書いた。これが安全という切り口の一つである。

 安全という切り口の二つ目は何か?
 万一、原発事故が起きた場合、原発で働く従業者や、近隣住民が安全に退避や避難ができなければならない。
 世界一レベルの高い安全基準を作って、その基準で各地の停止中の原子炉を審査し合格すれば再稼働させるというのが各電力会社の思惑であり、政府・自民党もそれに同意し、いや、促進しようとしている。

 しかし、先般、新潟県知事が東電社長に厳しく言及したことは、再稼働の申請について事前の連絡がなかったということである。
 原発を設置している自治体や県などに、事前情報を伝えることが今なお、なおざりにされ、事後報告ばかりになっている。
 
 二つ目の安全とは、ソフト面の安全対策である。
 万一、原発事故が発生した際、どういう手順で情報を伝達し、住民がどういう非難の仕方をするか? 
 これは非常に綿密に検討して、考えられるあらゆる場面を想定し日頃から避難訓練を実施し、万一に備えなければならない。しかし、現実はこのソフト面の安全対策が十分できているとは言えない。

 原発事故は3つの要因が考えられる。
一つは原子力発電所内のシステム事故、 二つ目は原子力発電所内の従業員のミス、即ち人災事故、三つ目は天災によって引き起こされる事故。
 この3つの事故要因はゼロにできないから、事故が起きるリスクはゼロではない。限りなくゼロに近いとしても、ゼロにならない。
 そうであれば、事故が起きた場合にどうするかという安全対策をもう一方の対策として考えて、準備して置く必要がある。
 日本は今までこの3つの事故要因に対して、『原発は絶対安全』という神話を産んできた。だから事故が起きた場合の対応が後手後手に回り、初期に有効なヨウド剤の服用もなく、避難経路の指示もなく、放射能拡散データの活用もできなかった。現場任せの対応になっていた。
 安全神話が崩れた今、事故は起きるという前提で、起きた場合の処置の仕方をあらゆる面から検討し、再稼働までいろんな訓練をする必要がある。
 新潟県知事はそういうソフト面の対応も含めて十分検討し、初めて再稼働の議論が成り立つということを言いたかったのだと思う。

 百歩譲っても、原発の再稼働は新しい安全基準を満たし、且つ最小限の原発に限って許可するということでなければ、事故のリスクは稼働数が増えるにしたがって高まってゆく。
 原発の立地住民が再稼働に賛成しているというのは、生活の糧を原発で得ているという以外の何物でもない。まずは生活だから。
しかし、一度事故が起きると、長い間、生活は破壊されてしまう。
それなら、原発以外の自然エネルギー発電所建設等で、新しい仕事を提供するよう発想を転換することが大切だ。