2024年4月21日掲載日
有馬温泉に出かけました!
4月16日~17日

 有馬温泉有馬御苑に予約が取れたので、マイカー(フィット e-HEV)で出かけました。日帰りで行ったことがありますが、今回は宿泊ですので、ゆっくり温泉街を探索しました。観光客は、思いのほか少ない!感じを受けました。外国人はアジア系の人が目立ったように思います。

 家から有馬まで60Km程しかありませんので、一般道(国道)を走り2時間ほどで着きました。有馬温泉は山間の狭い場所に大小さまざまなホテルや旅館、みやげ店が建ち並び、温泉街の道路は狭く、駐車場が少なくて大変です。市営駐車場は数か所あります。有馬御苑の専用駐車場は建屋の後ろにあり、案内書に『道が狭いので注意してください』と書いていましたが、そのとおりでした。車内からフロントに電話し駐車許可をもらいました。予定より早めに着きましたので、チェックインまで時間があり、ホテル2階の勝手口から1階ロビーに降り、手荷物を預けました。フロントで有馬温泉マップをもらい、温泉街を散策ました。

有馬温泉の紹介
 有馬温泉公式ホームページ ⇒ https://www.arima-onsen.com 

 有馬温泉太閤秀吉が愛でた『西の奥座敷』として、また『日本三古泉』として有名ですが、『金の湯』『銀の湯』という二つの温泉でも知られています。もう一つ炭酸泉が湧いていることです。
 
 日本三古泉
とは奈良時代は、道後温泉、有馬温泉、白浜温泉平安時代には道後温泉、有馬温泉、いわき湯元温泉。 有馬温泉は昔から名泉と言われてきました。
江戸時代の温泉番付で、東の大関が草津温泉西の大関は有馬温泉とも言われました。

 有馬の地形

 兵庫県神戸市北区に位置し、温泉街は六甲山地北側の紅葉谷のふもとの山峡に広がっている。
有馬有間とも書き、山と山の間という意味で、周囲を山で囲まれ、都会の喧騒から離れ閑静な地です。関西の奥座敷と言われる所以です。

 


有馬御苑とその周辺
 宿泊した有馬御苑
 
 ホテル 有馬御苑(本館)
 建屋は古い老舗旅館で、この旅館の売りは、神戸牛つくし料理です。和洋室で、洋室にツインベッドと和室の二部屋です。トイレ、洗面所、浴室は改造されて新しくなっています。大浴場は最上階7階に、金泉、銀泉大浴場があります。宿泊室は6階でした。
 
 
 有馬川 右側に有馬御苑 川に架かる赤い橋「ねね橋」 
 有馬川は、土手を降りれば、親水広場(散歩道)になっています。大雨の時は下りられません。 

 
 ゆけむり広場 
人工滝があり、付近は公園になっています。

 
 湯けむり広場 枝垂れ(しざれ)さくらが満開でした。ここも観光スポットになっています。 

 
 湯けむり広場に鎮座する「太閤秀吉像
 ねね橋袂の「ねね」を眺める太閤秀吉 

 
 真っ赤に塗られたねね橋  右端に「ねね立像」

  
 ねね立像
 
 
 快石仏座巌
 近くの人の背丈と比べて下さい。石の大きさが分かります。

 
 巨岩の説明板

有馬の神社仏閣

 
 黄檗宗温泉禅寺(通称 温泉寺

 
 温泉寺説明板
由来は古く、奈良時代724年に行基上人が建立した寺。

 
 温泉神社 参道入口の鳥居
  
 
 温泉神社 参道入口の鳥居をくぐり、長い石段を登ると、お社(社殿)がある。
撮影時刻の関係で、逆光になり本殿が暗く写っている。

 
 温泉神社 有馬温泉の守護神 子宝神社(子授け神社)
  有馬の湯につかり、このお宮で祈願すれば子宝に恵まれると言われている。


 
 極楽寺(浄土宗)  本尊は阿弥陀如来。
 「火除け観音」が祀られ、法然上人と善導大師の二祖対面図が有名です。

 
 極楽寺


 
 念仏寺(浄土宗)
 太閤秀吉の正室 北政所(ねね)の別邸跡と伝えられている。
 庭園はきれいで、沙羅樹園と呼ばれ、樹齢250年の沙羅双樹の大木がある。

 
 山門 石段を登ると、民家の門のような小さな佇まいの門 若葉が奇麗だ

 
 善福寺(曹洞宗)  太閤通りに建つ。 新緑のモミジにすっかり覆われている
  行基上人が開山した禅寺 

 
 本堂 堂内の聖徳太子像は鎌倉時代の作品(重要文化財指定)
右隅に写っている木は樹齢200年を超える一重の枝垂れさくら(イトサクラ) 花は終わっている。


有馬温泉の泉質
 濃度も成分も神がかり、まさに「日本第一神霊泉
 温泉のうち特に治療の目的に供しうるものが療養泉とされており、環境省の指針により主成分ごとに10の泉質に分類されているが、有馬温泉はそのうち8つの泉質の主成分を含むことで有名

 有馬温泉に浸かると、単純性温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、含ヨウ素泉、放射能泉の泉質の効能が期待できる。
 一か所で、これだけ多くの成分が含まれる温泉は世界的にも稀少。しかも金泉・銀泉という2つの違う性質の湯が同じ土地から湧出するのは、かなり珍しい

 金泉には炭酸ガスやミネラルが豊富で鉄分も多く、女性によくある貧血などに効能があることから「婦人の湯」とも評される。また、海水の約1.5倍という高い塩分濃度やメタケイ酸により保温・保湿・殺菌効果が高いので、皮膚の疾患にも良いという。蒸気にはメタホウ酸などの成分が含まれているので、湯気を吸うだけでも健康に良いそうだ。ちなみに、湧出直後は無色透明だが、空気に触れることで鉄分が酸化し、独特の金色へと変化する。

 銀泉は新陳代謝を促進し自然治癒力を高めるといわれるラドン、毛細血管を拡張し血流改善に効果がある炭酸ガスをたっぷり含む。成分の濃度が人間の体液より薄いので体内に水分を取り込みやすく、サラリとした湯触り。炭酸成分によりシュワッとしていて、飲むと食欲が増進するという。

 このようなお湯が湧くのは、有馬温泉が特殊な温泉だから。その仕組みは?
 

 東北や九州に多い火山性の温泉はマントルから派生したマグマと地下水が反応して湧く
が、有馬は珍しいプレート直結型温泉で、世界一若い=熱いプレートに含まれる海水が地下数十キロで絞り出され、それがマントルにより高温・高圧下で濃縮されつつ、さまざまな物質を溶かし込んで湧き出るので金泉は成分豊富で濃厚銀泉は地表へと上がる途中で圧力が下がることで金泉から抜けた炭酸ガスなどが、六甲の地下水と反応して生まれる。


 温泉の泉質の種類
 ・塩化物泉  (例)城崎温泉 片山津温泉
塩分が主成分。保温力が高いのでよく温まり、保湿効果で肌しっとり。殺菌効果もあるので傷の保養にも。

 ・炭酸水素塩泉 (例)川湯温泉 黒川温泉
炭酸水素ナトリウムなど炭酸水素塩を多く含む。美肌効果がある「美人の湯」は、この泉質の温泉が多い。


 ・二酸化炭素泉 (例)国領温泉 長湯温泉
炭酸ガスの血管拡張作用により血流が改善され、心臓の負担が軽減されるとされることから「心臓の湯」とも。

 ・単純性温泉 (例)湯村温泉 道後温泉

 ・含ヨウ素泉 (例)新富温泉 白子温泉
2014年の指針改定で新たに登場した珍しい泉質。ヨウ化物イオンを含有し、飲用するとコレステロールの低減も。

 ・放射能泉 (例)三朝温泉 増富温泉
放射能というと危険なイメージだが、放射線量はごく微量で、むしろ細胞を活性化。効能は痛風や関節痛など。

 ・含鉄泉 (例)花山温泉 長良川温泉
赤褐色の色が特徴。入浴すれば月経障害、飲用すれば貧血に効能があるとされることから「婦人の湯」とも

 ・硫酸塩泉 (例)岩美温泉 山中温泉
陰イオンの主成分は硫酸イオン。切り傷ややけどのほか、血圧の低下や沈静化、動脈硬化に効果が期待できる。


有馬温泉の7つの泉源
 数か所の泉源があり、各ホテルや旅館の風呂に給湯している。
 (ホテルや旅館には、独自の自家泉源を有するところもある)

 

 
 炭酸泉源公園 炭酸泉 この水は炭酸水で飲める。 飲むと、シュワーっとした味わいがする
まさに、天然のソーダ水だ!

■泉源の数々
 
 極楽泉源 やぐら


 
 妬(ねた)泉源

 
 妬泉源

 
 妬泉源

 
 古泉閣泉源 自家泉源か?

 
 金の湯(立ち入り湯)  正面に「太閤の泉」、右サイドの二つの提灯のそばに、足湯がある

 
 金の湯 太閤の泉   飲めません!

 
 金の湯 足湯 無料

 
 銀の湯(立ち入り湯)  只今、改装工事中! ゴールデンウィークには開店するはず!

 
 「銀の湯」前の土塀の落書き? 

 
 落書きの説明板

■送湯管のメンテナンス
 
 道端で、湯気(ゆげ)が立ち上っていたので近づいてみると、数人がかりで作業員がパイプにワイヤーを挿し込んで、パイプ内の湯垢を落とす作業中だった。泉源からホテルや旅館にお湯を配るパイプは大切なインフラだ。温泉地でしか見られない光景だった。

有馬温泉街の街並み、お店

 
 湯元坂通り界隈

 
 湯元坂界隈

 
 湯元坂界隈 狭い道路は坂が多いので、年寄りにはつらいだろう!

 
 昔ながらの懐かしい郵便ポスト 有馬の道路標識の一つになっている。

 
 ゆけむり通り界隈 若者の人盛りはミンチカツ、コロッケ屋

 
 街並み お店が建ち並んでいる

 
 有馬名物 有馬まんじゅう

 
 散策中、とても良い香りが漂ってきた。 有馬香心堂
 香の店を見つけた。店内に入ると、沢山の種類の『香』が並んでいる。

 
 『香』の説明

 
 『香の十徳』   お香は、心を癒してくれる!

 
 有馬唯一の伝統工芸店 有馬籠屋   

 
 有馬籠
 竹籠

 
 有馬籠 竹籠


 
 
 
 手組の竹細工格子模様の数々

 
 竹細工師

  
       竹かごの数々

 
 竹かごの手組のプロセス



 

 
 有馬名物 人形筆

 
 筆の先に小さな人形が着いて、柄はカラーフルな色どりの毛筆


 
 有馬川と若葉のモミジ  すっかり新緑の季節になった!

有馬温泉の印象、まとめ
 有馬温泉は一周しても2時間ほどで回れる。この狭い山間に40数軒の大小さまざまなホテル、旅館がある。有馬の周辺は、春はサクラ、秋はモミジを求め、多くの観光客が訪れる。温泉は8種類のお湯(泉質)をここで堪能できるらしい。特に、金の湯、銀の湯は全国的に有名だ。

 有馬は、温泉、炭酸泉水を活かしたサイダー、炭酸せんべい、温泉饅頭、桜、もみじの自然の景色、伝統工芸の竹かご、人形筆など楽しめる場所だった。

 日本の各地の温泉街と比べ、凝縮されたような感じを受ける。それは、この地が山間にあることによる。
全国の有名な温泉を廻ったが、印象が強く残る場所となった。

 有馬御苑の『神戸牛尽くし』の夕食はとても満足だった。最近、珍しく部屋食で味わった。部屋は和洋室で食事は和室、寝室はベッドと別れているので、とても快適だった。

 翌日は、朝食後、再度、温泉街を散策して回った。その後、チェックアウトし、六甲山山頂に向かった。
あいにく、天候は曇りで、六甲山頂から神戸港は霧と黄砂で霞んでいた。下からガスも立ち上ってきた。
初めての六甲山頂だったが、早々に退却して、神戸方面に下り、国道2号線で帰阪して無事に帰宅した。
全走行距離は147km、平均燃費は26.3km/L
六甲山頂に登るまでは、燃費は29km/Lだったが、山登りはやはりガソリンを消費する。

 ■撮影機材ミラーレス一眼 NIKON Zfc  NIKKOR ZOOM DX18-140mm/3.5-6.3

  次は、下呂温泉に行ってみたい!





2024年3月11日掲載日
今回は、伊勢・松阪・浜島方面に出かけました!
3月7日~8日


FIT eHEVの運転席のメータ(指示計)

満タンにして出発した。帰宅後、走行距離は、352km 平均燃費:28Km/L
満タンで40L入りますので、燃料計を見ると、2メモリ減っているだけでした。
いつもながら、ホンダ フィット e-HEVの燃費の良さに感謝しています。

 往路は、家から岩船街道を走り、163号線に入り、木津川橋を渡り木津川沿いに走り、笠置を通過して、月ヶ瀬を通過し、今回は伊賀上野城の横を通り、中瀬ICから西名阪自動車道に入り、途中、伊賀サービスエリアで昼食を取り、関ICまで行き、そこから一般国道、バイパス道路で、松坂に行き、市内の松阪城跡本居宣長記念館鈴屋(住居)を見て、再びバイパス道路で伊勢に向かい、伊勢神宮・外宮に参拝し、その後、一般道路で志摩市浜島町に向かい、旅館に到着した。

 途中、松阪市に立ち寄り、松阪城公園を見学。」
 
 松阪城跡石垣

 
 松阪城跡石垣

 
 松阪城跡の公園内に開設されている本居宣長記念館 
 本居宣長記念館玄関前

 
 本居宣長像    松阪生まれの国学者(文献学・言語学)、医者
 28歳で医者となり開業、その後、古典講釈に精力的に取り組む。

 
 記念館内(奥から玄関に向かって撮影) 幾多の解説看板が展示されている

 
 階段の途中の壁に掲示されている日本地図 
 大日本天下四海面図
日本地図(北海道が表示されていない!) 宣長17歳の作品

  
 宣長と言えば、『古事記伝』 全44巻  完成は69歳の時、
 日本最古の歴史書「古事記」の注釈書を編纂

 
 宣長が愛用した鈴の数々
 
 
 宣長が育った家(12歳から72歳まで居住)  家業は木綿屋、当時としては裕福な家庭だった。
 「松阪城内に本居宣長が住んでいたのか? おかしいな?」と思っていたが、明治42年(1909年)魚町から松阪城跡に移設された。
 
 
 旧宅の説明看板

 
 室内 3間続きの部屋(上座、中座、表座) 当時としては大きな家屋だった。

 
 階段(2階に登る)  書斎の『鈴屋』は2階にある、階段使用禁止!で上がれない。 
 階段の段差が大きく、急角度なので、慣れないと転び落ちそう。

 
 土間、 炊事場、釜屋(へっついさん)
 昔の家はこういう土間で、食事の支度をした。

 
 裏庭 このような庭がある家は裕福な証拠

 
 宣長が育った家 表玄関

 
 住宅敷地内の唐屋根の館『桜松閣』

 松阪市を後にして、バイパスを通り、伊勢神宮・外宮に向かった。
 
 外宮の案内板

 
 御厩(みうまや) 神馬 『笑智号』 真っ白なおとなしい馬、 アングロアラブ種

 
 外宮、正宮(しょうぐう)・鳥居  鳥居内(神域)は写真撮影禁止区域

 
 風宮(かぜのみや)
風の神をお祀りする別宮、鎌倉時代の元寇の時、神風を吹かせて日本をお守りになった神です。

 
 土宮(つちのみや)
大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)をまつる別宮。
古くから山田原の鎮守の神としてまつられ、外宮創建後は宮域の地主の神とされています。

 
 多賀宮(たがのみや)
豊受大神宮の荒御魂(あらみたま)をお祀りする別宮。山の頂きにあるため古くから高宮(たかのみや)と呼ばれている。

 


 
 勾玉池(まがたまいけ)
 
 神楽殿(かぐらでん)  左手でお札やお守りが授与されている。右側の建物で神楽を行う。

 
 せんぐう館(式年遷宮の資料館)

 外宮の言われ
 伊勢神宮は日本人の心のふるさとと言われ、「お伊勢さん」「大神宮さま」とも呼ばれ、親しまれている。
正式名称は「神宮」といい、宇治の五十鈴の川上にある皇大神宮(内宮)と、山田原にある豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心として、14か所の別宮、43か所の摂社、24か所の末社、42か所の所管社がある。『神宮」はこれらの125の宮社の総称。
 外宮は豊受大神宮
天照大見神のお食事を司る神の豊受大御神をお祀りしている。内宮創建から500年後に山田原に迎え入れられた。衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。

 
 伊勢神宮・外宮の参拝を終え、一路、浜島に向かい、旅館に無事に到着。 ニュー浜島
 
 浜島温泉街?もコロナの影響で、寂れた温泉街になってしまった。この『ニュー浜島』は相変わらず元気に営業している。朝日新聞などによくカラー広告を出している旅館だ。

 
 宿泊した部屋は、本館6階とつながる別館『花の館』 5階だった! 太平洋に面して眺望は素晴らしい。

 
 
 
 本館ロビー 奥に売店  沢山、生け花が置かれている

 
 宿泊棟の廊下の生け花  和みますね!

 
 宿泊棟のフリースペース  太平洋が真下に見える

 到着後、さっそく6階 展望大浴場に行き、太平洋を見ながら温泉を堪能した。この温泉は、独特の泉質で肌がすべすべ、つるつるになる。硫黄の臭いもなく、無色透明。こういう感じの湯は、長野県青木村の「せせらぎの湯」を思い出させます。
 夕食は、伊勢エビ、サザエ・フカヒレ、刺身、松阪牛等々、美食を堪能しました。ここの料理はお勧めです。料理は、『ニュー浜島』ホームページでどうぞ!!

 翌朝、朝食を済ませて、『ニュー浜島』旅館の直ぐ近くの海岸の散歩道『ビンロード』を歩きました。ここはマグロのはえ縄釣りの浮きに使ったガラス玉を並べ、その中にLED電球を仕込んで、夜はライトアップし幻想的な世界を演出します。ちょっと瞑想に耽ることができるスポットです。
 残念ながら、今回は夜の景色、写真がありません。
 
 『ビンロード』散歩道  右手に太平洋が広がる

 
 海ほたるをイメージしたガラス玉モニュメント
 
 
 ガラス玉(浮き)がたくさん並んだ『ビンロード』

 
 なかなか面白い風景だ

 
 積み上げられたガラス玉
 

 その後、『伊勢志摩の道の駅』に立ち寄り買い物をして、津まで一般国道を走り、途中、横綱ラーメンで昼食、津ICから関ICまで伊勢高速道を走り、伊勢ICから西名阪自動車道を走り、中瀬ICで降りて、往路の逆に走り無事に帰宅しました。2日間、好天に恵まれましたので、運転中は快適でした。特に大きな交通渋滞にも遭わず、順調に走行しました。全走行距離は上の写真のとおり。(B:352km)

 今回は、新聞に頻繁に広告を出している伊勢の浜島温泉 「ニュー浜島」に予約しました。この旅館は今回で3回目の宿泊になります。本館と別館があり、新しい別館『花の館・椿』の和洋室を予約しました。12畳の和室にはツインベッドと掘りごたつがあり、加えて4畳の和室にテーブル、椅子が置かれ、窓からは太平洋が眺望できる、ゆったりした環境です。
 
 最近、このような和洋室(和室にベッドを入れた部屋)に人気があるようです。客が高齢化している性か、和室に布団という部屋を、和洋室に変更するのが増えています
 食事は食事処が別にあり、4人が座れる小さな小間に仕切っています。部屋食は食卓や食膳の準備や、布団の出し入れに人手がかかるので合理化したのでしょうが、泊まる方もこの方が清潔で、楽しくゆっくり食事ができると思います。
 
 料理は、イセエビを中心に、新鮮な魚介類が並びますので何回行っても満足ができる所です。この旅館は浜島温泉と名乗っているお湯が売り物で、臭いは全くなく無色ですが、肌がスベスベ・ツルツルになる独特のお湯です。6階の展望大浴場と2階に露天風呂があります。
 
 本館に繋がる別館を増築し6階の連絡橋で繋がっています。泊まった部屋が別館5階でしたので、部屋からは6階に上がり、6階の連絡橋を渡り本館に行き、6階大浴場、2階露天風呂や、1階フロントに行かなければなりません。エレベータで上・下するのですが、連絡橋が6階にあるので、部屋と行き来するのに戸惑い面喰います。頭の体操になります。悪く言えば不便です。

 この旅館は海岸線沿いにあり、漁網を浮かせる直径30cm程のガラス玉を海岸道路にたくさん並べています。これをビンロードと呼んでいますが、夜はガラス球の中のLED電球が灯り、一風変わった景色を醸します。

 今回も、三重の『平日ゆったり みえ旅キャンペーン』という旅行支援制度が適用できたので、1人4K円のクーポン券をもらいました。コロナ禍以後、全国旅行支援制度が導入され、観光事業支援策が打たれましたが、コロナが収まった今も県独自支援制度があるようで、2月11日の『いじか荘』の旅行の時と同様に今回もクーポン券を頂きました。2月末でキャンペーンが終了の予定だったそうですが、予定資金に余りがでたので、3月1日~10日まで延長したということでした。予期しなかったのですが、たまたまそれに該当することになりラッキーでした。


 学び 
(せんぐう館資料より)
20年に一度の神宮式年遷宮とは?  
 
神宮で最も重要なお祭り「式年遷宮」が現代に伝えること

神宮式年遷宮で行う3つのこと
 
神宮式年遷宮は20年に一度、正宮に隣接する御敷地に新宮を建て、天照大神に御移り頂くお祭りです。その準備には8年の歳月をかけ、社殿や宝物などの調度品をすべて古式のままに新しく調え納めます。
1300年にわたり続けられてきた神宮式年遷宮は、日本の精神文化の中心にある神道の継承とともに、我が国の伝統・文化、そして技術を後世に伝える大きな役割を果たしています。

神宮式年遷宮で行うこと
 (1)社殿造営;新しくお宮を建てる
式年遷宮では社殿を新しく建て替え、皇室と国の平安を祈ります。いつまでも新しく変わらない瑞々しい姿を保つと同時に、神明造という日本古来の建築技術を現代に伝えています。

 (2)御装束神宝の調製
御装束神宝は国産の材料を用いて当代を代表する匠たちの最高の技で作られる、我が国の伝統工芸の精華です。技術の発展がめまぐるしい時代にありながら、後世に残すべき伝統の技や匠の精神を継承します。
 
 (3)遷御の儀
新宮へお遷りいただくお祭りを行う。
式年遷宮で中心となる祭儀「遷御の儀」は、天照大神に新宮へお遷りいただくお祭りです。100名をこえる神職が渡御御列をなし、静寂に包まれた中、奉仕に当たります。

 一度の遷宮で必要とされるヒノキ約10,000本を育成するために、神宮では200年の計画にもとづき山づくりが行われています。古代より絶え間なく繰り返されてきた神宮の営みは、伝統の技を継承するとともに、日本人の祈り、心のふるさとを未来に向けて守り受け継いでいます。







2024年2月11日(日)掲載日
久しぶりに伊勢・鳥羽方面に旅行しました!

2月6日~7日

 「淡路島か伊勢に海鮮料理を食べに行きたいな!」と思って、「鳥羽の戸田家に行こうかな!」と考えましたが、満室のためパス。ネットで、『ホテルいじか荘』という比較的に小規模の温泉旅館を見つけ、予約状況を見ると、6日だけ一室空いていたのでポチしました。このホテルの口コミでは、小規模ながら新鮮な魚介類の料理が美味しいとか、従業員は礼儀正しいとか、設備がよくメンテナンスされているとか、高評価が多くありました。
 【公式】ホテルいじか荘|三重県鳥羽市|全室オーシャンビュー (ijikasou.com)
   https://www.ijikasou.com

 予約してから分かったことですが、三重、鳥羽のどのホテル、旅館も2月は満室になっていました。その理由は2月末まで、三重県独自の旅行支援プログラムが実施されていて、1人4000円の補助クーポンが発行されていますので、皆さん、たくさん三重旅行に行かれているようです。
 
 午前9時に家を出て、私市から岩船峠を越え、163号線を木津川沿いに伊賀上野まで走り、伊賀街道に入り、658号線から中勢バイパスを通り、23号線から42号線に入り、パールロードシーサイドラインを走って現地到着しました。 途中で昼食をとりましたが、予定より早くホテルに着きました。

 「いじか荘」は鳥羽市石鏡町にあり、石鏡と書いて「いじか」と読むそうです。ホテルは高台にあり、ホテルの隣に灯台が立っているという変わった風景です。ホテルから見下ろすと、太平洋が眼下に広がります。
その一角に石鏡漁港があり、そこで水揚げされた魚介類が食材として使われていますので超新鮮です。

 チェックインまで時間があったので、鳥羽まで戻り、二見が浦の夫婦岩を見に行きました。
 下の写真は、その途中の風景、空模様は時雨雲に覆われ、晴れたり、時々小雨でした。
 
 
 湾内に浮かべたたくさんのカキ養殖いかだ、途中の道端で、生ガキの販売、食堂がありました。
 
 
 二見興玉神社正殿
 

 鳥居越しの夫婦岩
 
 
 ここは何回か来たことがありますが、正月に取り替えた「しめ縄」が真新しいものになっていました。
 岩の上に鵜が止まっています
 

 大きな親子カエルが祀られています。観光客が触るので、目の玉がつるつるに光っています。
 言い伝え
 社伝には神宮参拝者が、旅の安全、航海の安穏を祈念して無事「かえる」の願からでたものとも云い伝えられています。当地は不浄汚穢を禊祓う霊場であるところから、蛙を戴いて小児の痒、腫物その他病痛の邪気を祓って必ず快癒といわれ、信奉されてきました。現在におきましても、御参拝の皆様は無事かえる・貸したものがかえる・若かえるなどの縁起により御利益をいただいております。
 

 ホテルに帰る途中、展望台からの眺め、沖に貨物船、手前にタンカー
 いつ見ても海は何か癒してくれる感じがします。
 


 2月7日の行程
 高台のHTLいじか荘から太平洋に登る日の出を拝む  朝6時50分頃
 

 小規模な「いじか漁港
 

 いじか漁港を出港する漁船 漁に向かう
 

 早朝の「いじか荘」と横に立つ小さな灯台
 

 スカイラインから一般道を走り、『天の岩戸』に向かう。
 『天の岩戸』の看板  日本名水百選に入ったきれいな水
 

 『天の岩戸』の参道
  天の岩戸』から流れ出す滝
 滝つぼに敷石を置き、滝に打たれる行場になっている。
 

 『天の岩戸』の前の社
 

 ここが『天の岩戸』      (注)スマホで撮った写真
 
 
 『天の岩戸』の洞穴の拡大写真   (注)スマホで撮った写真
 小さな洞穴で、人が横になって入れる程度の穴、 周囲は石灰岩で覆われている
 

 『天の岩戸』を後にして、『伊勢神宮(内宮)』に参拝する。
 平日にもかかわらずたくさんの参拝者でにぎわっていた。

 伊勢神宮の案内書によると
正式名称は「神宮」
伊勢神宮は125社の総称で、神宮は一つのお宮を指すのではなく、内宮、外宮の両正社を中心に、14の別宮と、109の摂社・末社・所管社から成り立っていて、125社の総称。伊勢神宮の宮域は約5500ヘクタールあり、伊勢市の約4分の1を占める広大。
伊勢神宮の歴史は、「日本書紀」によると、2000年余り昔にさかのぼる。皇大神宮(内宮)に祀られているのは、天照大神。あらゆる生命を育む太陽にもたとえられる女神様。皇室の御祖神で、垂仁天皇26年にご鎮座された。豊受大神宮(外宮)に祀られているのは、豊受大御神。天照大神の食事を司る神様(御饌都神(みけつかみ))として、1500年ほど前の雄略天皇22年、伊勢の地に招かれました。


 車を降り、鳥居をくぐり、五十鈴川にかかる宇治橋を渡ると参道に繋がる
宇治橋は木造橋で神宮の表玄関。長さは101.8m、両端の鳥居は両正宮の旧正殿棟持柱(むなもちはしら)をリサイクルしたもの。
 

 参道の太い松の木に、カンフル注射? 栄養剤を注入している珍しい光景
 

 小石(砂利)がしきつめられた神苑(シンエン・参道)
 どこも高齢者が多い。
 

 
 
 五丈殿

 正宮に参る石段、正宮付近は撮影禁止区域のため写真はない。
 
正宮の中心の正殿(しょうでん)は4重の垣根に囲まれています。唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)の古代の様式を伝え、茅葺の屋根には10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、4本の千木(ちぎ)の先端は水平に切られています。


 大きな桧の木に触って、自然のパワーを頂く参拝者。幹がつるつるになっていた
 

 荒祭宮(あらまつりのみや)
天照大御神(あまてらすおおみのかみ)の荒御魂(あらみたま)をまつる別宮で、荒御魂とは神の特別な働きをする状態、または神が現れた状態と言われています。
 

 『せんぐう館』舞台で、が開かれ、たくさんの参拝者が参観していた

 





 帰り道、皆さん、歩き疲れたようだ

 おはらい町通り たくさんの参拝客でごった返していた
 赤福支店が見える
 



 若い人もたくさん来ている
 



 今回から、カメラはNIKON Zfc と、レンズはNIKKOR Z DX(18~140mm)で撮った。
 一部、スマホで撮ったスナップも入れている。

 NIKON ZfcNIKKORレンズは、ミラーレス一眼カメラで大変奇麗な写真が撮れる。今回、全てフルオート設定で撮影してみた。このカメラはフルオート・マニュアル選択をダイヤルで設定できる。
以前使ったCanon EOS M6に比べると、カメラ本体は大きく、レンズ鏡筒も太く、重い。その分、画像解像度が良いことが分かった。 大満足!!

 NIKON Zfcの魅力はファインダーが着いていること。従来の一眼レフカメラはカメラ上部にプリズムを収納するピラミッド型の出っ張りがあった。ミラーレス一眼カメラ液晶モニターで見ながら撮影するので、ファインダーがなくても使える。だからミラーレス一眼カメラは上部が平坦なものが多かった。
 ファインダーが欲しい人は、別売りの着脱できるファインダーを買う必要があった。CANON EOS M6はファインダーを着けたり、外したりして使っていた。

    

 NIKON Zfcは一眼レフカメラと同じように、ファインダーが着いている。ただし、このファインダーは光学プリズムが収納されているのではなく、小さな高画素液晶が入っている。画素数の低い液晶板では、覗いた画面が粗く、粒々が気になり感じが良くなかった。焦点(フォーカス)をきちんと合わせるには今一の性能だったが、Zfcに採用されている液晶ファインダーは高画素なので、光学式プリズムと変わらないように見える

 日中(明るい屋外)で撮影する際、液晶モニターは画面が分かり辛くなる。その点、ファインダーを覗くと、しっかり撮影画面が見える。モニターか、ファインダーの切り替えは、ファインダーに目を近づけると、自動的にファインダーが働くようになっている。同時に液晶モニターは消える。目を離す(ファインダーを覗くのを止める)と、液晶モニターに切り替わる。

 CANON EOS M6では、着脱式ファインダーをほとんど使わなかったが、NIKON Zfcを使い始めて昼間の屋外撮影はファインダーを覗くと大変撮影しやすいことを実感した。

 伊勢神宮は参拝者が多いのに驚いた。最近、伊勢は大人気スポットになっているようだ。日本人は高齢者が多かった。外国人はアジア人、特に中国人は以前のように目立たなくなり、大声えで会話する人は少なくなった。中国は春節祭に入り、国内旅行が増えていると聞くが、景気が悪くて海外旅行をする人が減ったようだ。今来日している中国人は生活にゆとりがある人達かもしれない。客層が変わった気がする。

 いつものようにFIT 4 e-HEVで出かけた。今回の走行距離は往復400km余りだった。燃費は29km/L、満タンにして走り、帰宅した際に燃料メータは6メモリを示していた。満タンで40L入るが、満タンで1000km弱走れる。このフィットe-HEVはガソリン代を気にしないで走れるのでありがたい。




2023年11月26日(日)
間人ガニを食べに、京丹後市網野町に出かけました!
11月24日~25日

 “今年も、どっかに「カニ食い」に行きたいな!”と考えていたところ、朝日新聞広告で、『レイクサイド琴引』が掲載されていましたので、申込ましたところ予約が取れました。ここは初めての旅館です。

 11月24日(金)~25日(土)一泊二日の行程です。
 週間天気予報では、この秋、一番の寒さになり、日本海側は一部雪が降り積もるという積雪注意報が出されていました。車で行きますので、雪が降るとまずいなと思いました。スタッドレスタイヤは持っていません。この旅行にために買う気にもなれません。
 以前から、万一の大雪のため『タイヤチェーン』は持っていますので、それをトランクに積みました。チェーンの装着、脱着は多少ノウハウが要りますので予行演習をしておかないと、いざ本番になると、あたふたして時間が掛かり、うまくできないかもしれません。
 チェーンを買ったときに、着脱を一度だけやっていますので、マニュアルを見ればできるだろうと思い、今回は予行演習をせずに出かけました。少々、心配でしたが、・・・・。

 
 北風で白波が立つ琴引浜 海岸

 天気予報は日本海側の大雪予報は出ていましたが、当日は雨が少々降った程度で澄みました。新潟より北は雪が降ったようですが、西日本の日本海沿岸は雨でした。
 京丹後市内の道路では、融雪のためセンターライン付近から両側に向けて噴水が出ていました。よく見ると、水道局職員らしい人たちが、水栓の開放作業をしていたようです。多分、雪の季節が来たので、融水設備の点検をしていたようです。
 『案ずるより産むがやすし』どおり、雪は降らず、普段どおりに行き帰りができました。行きは、第二京阪高速道を走り、久御山JCTから大山崎JCTを通り、京都縦貫自動車道に入り、綾部JCTで舞鶴若狭自動車道に乗り換え、福知山ICで高速を降りました。福知山市内の国道9号線を走り、長安寺に立ち寄りました。この寺は紅葉で有名ですが、ここの紅葉は盛りが過ぎていました。紅葉のピーク時にピタッと合わせて行くことは難しいです。


長安寺の参道
 ひらひら散るモミジの葉を見ていると、ふと思い出す句
 良寛和尚の辞世の句 「散るさくら、残るさくらも散るさくら」 
 「散るモミジ、残るモミジも散るモミジ」


 臨済宗南禅寺派  医王山 長安寺 山門   


山門をくぐると、目の前にアッと驚く真っ赤なモミジ
右手に本堂(大方丈)の屋根、正面高台に「開山堂」
左手に「薬師堂」の屋根



大方丈(本堂)


本堂内部(写真撮影可
本尊釈迦如来像と脇持仏(文殊・普賢菩薩)


堂内


堂内


 掲げられている額


本堂前の石庭


本堂(大方丈)の左手より


開山堂
モミジが少し残っている


ぐるりと境内を一周しての下り道


正面に山門、左手に鐘楼、右手のモミジが最高に色づいていた。

長安寺を参観した後、国道9号線を少し走り、国道176号線に入り北上し京丹後市網野町に行きました
この地は、夕日が浦温泉が有名ですが、間人ガニでは琴引浜にも料理旅館が沢山あります。離れ湖のそばにある老舗旅館、「レイクサイド琴引」に泊まりました。この旅館は、民宿のような質素な建物ですが、なかなか由緒がある旅館で、老舗という感じでした。
  
 『レイクサイド琴引』の玄関   URL https://www.kotobiki.com/


 昨年はこの近くの琴引海岸にある「羽衣荘」に泊まりました。(クリックしてみて下さい)。ここは間人ガニを専門に出している宿と謳っているだけあって、値段も相応です。カニはさすがに良いと思います。
 
 今回の「レイクサイド琴引」は、隣に「丹後ひもの屋」という食堂があり、そこでの食事となりました。費用は昨年の半額程度でしたので贅沢は言えません。看板の「かにづくし」の料理をタラフク頂き、満腹になりました。ゆでガニが一人一杯付くのですが、これは保冷箱に入れてもらって持帰ることにしました。「レイクサイド琴引」には、「離れ湖温泉」があり、温泉も入れました。

 翌朝、「雪が積もっているのでは?」と窓を開けると、空は曇っていましたが、雨も止んでいました。朝食を終え、支度をしてから、「レイクサイド琴引」を後にし、176号線を下って綾部市に入り、名勝庭園「勝福寺」に立ち寄りました。ここの庭園は有名ですので是非見たいと思っていました。
境内の駐車場に車を留め、入門しましたが、受付が見つかりませんので、鐘楼や境内の紅葉の写真を撮って、寺の住居の玄関のインターホンを押してみました。おばあさんが出て来られて、今は「庭園は閉鎖している」という話でした。残念!  本堂も閉まっているし、他に観光客もなく寂れた感じのお寺でした。


石柱の名勝を見てみたいもの!


鐘楼の下のモミジが最高の状態でした。



鐘楼からの眺め

 これ以上、長居するところではないと思い、京丹波わちICから再び高速道に入り帰路につきました。

 片道200Km弱。往復で約400kmというドライブを無事に終えて帰宅しました。
車はFIT4 eHEVに乗っていますが、この車は非常に運転が楽です。だから長距離運転しても疲れません。何よりも気に入っている点は、体にピタッとフィットする点です。“何がいいのか?”ですが、とにかくハンドル操作が思うように出来ることです。しっくりと思いのままに走ることができます。高速道路では、“アダプティブオートクルーズ”ボタンを押し、速度をセットすると、アクセル、ブレーキペダルを踏むことなく自動運転します。レーンキープもしますからハンドルに手を添えておくだけです。前を走っている車が減速すると、車間距離を保ち、こちらの車もブレーキがかかり減速するので追突の心配は全くありません。安全で安心です。完全停止まで自動制御します。前車が走り出すと、アクセルペダルをちょこっと足で触ると走り出し(マイナーチェンジ後、さらに改善され何もしないで、停止状態から前車を追随して走り出すようになりました)追随し、セットした速度まで前の車を追随して加速します。前車がセッ速度以上に速く走ると、自分の車はセットした速度で走り続けます。とにかく賢い車です。
 以前から、オートクルーズが付いた車に乗りついできましたが、セットした速度を保って走るので、前車がブレーキをかけると、急速に車間距離が縮まり追突しそうになり大変怖い思いをしたことがありました。それ以降は、オートクルーズをセットして走ることをためらっていました。
 この車のアダプティブオートクルーズは、そういう危険が全くありませんので、高速道路を走るのが実に楽になり疲れません。高速道路の運転は単調なため眠気を感じることがありますが、ハンドルの操作がおかしい時はそれを検知して知らせてくれる機能も付いています。おかげで、高速道路の運転は本当に安全で楽になりましたので疲れません。高速走行時もとても静かで、本当によくできた車だと満足しています。
 最近は軽自動車でも高速道路を時速100Kmで走っている車によく出会います。車の性能が大変よくなったのには感心します。

 往復の走行距離が400km弱で、平均燃費は、26.9km/Lという値になりました。ガソリン代が160円以上に高騰し、以前の倍になりました。燃費を気にすることなく走れる点もうれしい限りです。





2023年11月16日(木)
湖東三山と永源寺の紅葉を見に行きました

 11月10日過ぎから急に冷え込み始めましたので、そろそろ近くの紅葉の名所を廻ろうと計画し、14日に琵琶湖の東にあるモミジの名所と言われている「湖東三山」を廻り、その後、車で20分ほどの距離にある永源寺に行きました。朝、9時に家を出て、帰宅は17時に無事帰りました。

 名神高速道路を米原向けに走ると、八日市ICを過ぎてすぐに、「湖東三山スマートインターチェンジ」があります。ここはETC専用になっています。このICを出ると、すぐ近くに金剛輪寺がありますが、今回は、湖東三山の一番北にある西明寺から、順に金剛輪寺百済寺(ひゃくさいじ)に行きました。最後は、少し離れた場所にある永源寺です。

 湖東三山の公式HP

 公式HPを見ますと、日本の紅葉名所100選に選ばれた西明寺、金剛輪寺、百済寺の三つの天台宗の総称です。
 各寺の本堂内部の拝観はできますが、写真撮影禁止になっていますので、堂内の写真はありません。

 
龍應山 西明寺
  TEL 0749-38-4008
  URL https://www.saimyouji.com

 西明寺は平安時代初期(834年)に開かれた天台宗の古刹(こさつ)です。本堂は鎌倉時代の代表的な建物で、国宝になっています。堂内には、重文の薬師如来、釈迦如来、不動明王などが安置され、頭上に12の干支の動物を載せた「十二神将」も「えと寺」としても有名です。三重塔は国宝に指定され、内部に描かれた法華経の極楽壁画は圧巻です。ここには、名勝庭園「蓬莱庭」があり、1000本を超える楓があり、11月に小さな花を着ける『不断桜』が咲いていた。

案内板


受付(拝観料800円/人)


未だ紅葉していない楓、 順路に従って拝観を始める


紅葉が始まっている。 紅葉を撮るアマカメラマン、 最近は女性が多い。


西明寺本坊庭園(蓬莱庭) 入り口 


蓬莱庭看板


庭園内 色づき始めたツツジやモミジ


不断桜 11月に小さな白い花を着けるサクラ
小さな花なので、ソメイヨシノのような華やかさはない。質素に咲く珍しい桜


桜とは言え、これがサクラか? 花は小さい。


庭園内を巡る観光客、女性客が多いように感じた。
池と庭石とコケと紅葉した楓 素晴らしい庭園だ!


二天門(重文)


二天門のすぐ下に生える巨杉
千年杉と言われている老巨木 夫婦杉、綱を張った杉は太い


本堂三重塔が見える(庭園から本堂に向かい上った通路より)


国宝本堂(鎌倉様式)と三重塔


国宝 本堂(桧皮拭き屋根、鎌倉純和様式建物)


国宝三重塔(正面) 
鎌倉時代後期、飛騨の匠が建立、本堂と共に釘を一本も使ていない。屋根は桧皮葺き屋根、総桧造り、
高さは23.7m

(説明書によると、塔内には、大日如来が祀られ、初層には一面に法華経の図解が描かれている))
左手は本堂、右手に鐘楼の屋根が映っている。


鐘楼


帰路、二天門(重要文化財)を振り返る


門を守る二天王立像 説明看板


見終わって、受付付近のモミジが一番きれいだったので、思わずパチリ!


松峯山 金剛輪寺  湖東三山まん中の寺、天台宗
  
TEL 0749-37-3211
  URL http://www.kongourinji.jp/

 奈良時代
中頃、741年、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山。本尊聖観世音菩薩は行基菩薩が一刀三礼、拝みながら彫刀を進めると、やがて木肌から一筋の血が流れ落ちた。この時に観音様に魂が宿ったとして、行基菩薩は直ちにその彫刀を折り、粗彫りのまま本尊として安置された。「生身の観音様」として信仰されています。とあります。言い伝えで、真実は分かりませんが、行基さんが、仏像を彫る時に、彫刻刀で指先に傷をつかたのかも知れませんね。それで、途中で彫るのを諦めたのかも?。


 本堂は鎌倉時代
和様建造物国宝指定。本堂内に平安時代の十一面観音像重文の仏像が多数安置されている。三重塔は鎌倉時代。桃山時代から江戸時代に造られた明壽院庭園(池泉回遊式庭園)は国の名勝指定されている。ここは長い300mの長い石段の参道が続くので、健脚者でないと徒歩での拝観は無理かも知れません。歩く自信のない人、体力がない人は、途中まで車で行ける道路があります。
 長い参道の両脇には千躰地蔵尊が並び独特の雰囲気を醸しています。ここのモミジは血染めモミジと言われる深紅に染まるそうだが、未だ色づきが進んでいませんでした。桜でいえば3分咲きのような感じ!

黒門から入門する。


参道


参道
数人のグループんの女性カメラマンが一眼レフカメラを携えて、紅葉撮影をしていた。
最近は、バカチョンカメラを使う人が減り、一眼カメラかスマホで撮ることが多くなった。
一眼カメラに点けているレンズを見ると、鏡胴太い高級高性能レンズを装着している人が多い。


受付(拝観受付 大人600円)


参道
未だ、緑のモミジで埋め尽くされている。


途中に、うどん屋があるので、ここで昼食、うどんを食べ腹ごしらえ休憩をする。


白門
ここから、名勝庭園に入る。


庭園に通じる道、休憩用に石の椅子が並んでいる。


名勝 金剛輪寺明壽院庭園 看板


庭園入口


明壽院と紅葉


苔むした塀の屋根瓦と紅葉



左手に明壽院、右手に茶室 周辺のモミジ


明壽院を透して、庭園の紅葉


庭園内の紅葉、右手に茶室 水雲閣


庭園内の紅葉、しっかり色づいていた。



庭園内の池と紅葉


千躰地蔵が並ぶ参道に入る



千躰地蔵が参道の両側に延々と並ぶ
どういう訳か、全部の地蔵様に、赤い前掛けと、風車が刺されている。


重文二天門


両脇に大きな「わらじ」をぶら下げている。両側の大きな提灯も目立つ。


二天門の案内板


金剛輪寺本堂(国宝)


金剛輪寺本堂


本堂の案内板


三重塔(重要文化財) 別名(待龍塔
モミジが塔の姿を遮って、全貌が見えにくい。


三重塔の案内板


本堂左手付近からの写真


帰路の参道
黒門をくぐって出る。


釈迦山 百済寺(ひゃくさいじ)
  TEL 0749-46-1036 
  http://www.hyakusaiji.jp/

 今から1400年前、推古14年(606年)に渡来人のために聖徳太子が創建された近江の最古の寺。
仏教が朝鮮半島の百済国経由で伝来したことから山号を「釈迦山」、寺号を「百済寺」と称する。
平安中期以降、天台寺院として発展した。
像高が2.6mの十一面観音を本尊とし、高句麗僧も来朝した。鎌倉時代には「天台別院」と称され、1300人が居住する大寺院となった。天正元年4月11日、信長の焼き討ちに遭い、壊滅的な打撃を受けた。1650年に広大な石垣遺構の中に本堂以下数棟が再建された。往時の姿は石垣参道、千年菩提樹、巨杉等からしのぶことができます。特に、寺社庭園として「天下遠望の名園」の散策が楽しめます。


百済寺の説明板


百済寺の由来説明看板


表門と受付 入山料600円


境内 植木の手入れがよくできている


本坊・喜見院


表門(庭園の入り口)


 池を生かした庭園、 なぜか赤い寅が沢山置かれていた。


池と建物がとてもしっくりくる落ち着いた庭園


池に枝が被さるようにモミジ


池をぐるりと回って、反対側からの庭園景色、 管理者が園内の掃除をしていた。
これから落ち葉の掃除が大変だろう!


観光客があちこちで、カメラを構えている


真っ赤なモミジと池


モミジ越しの本坊・喜見院






ハナノキ




ここが天下遠望の場所? 向こうに広がる近江








城跡、岩だけが残っている。



仁王門 に通じる参道


仁王門正面の約2.5mの大草鞋(わらじ)


本堂 左手が正面


正面の石段を登れば、本堂内に入れる。
正面向かいに鐘楼が映っている。





千年菩提樹、信長の焼き討ちに耐え、生き残った菩提樹





臨済宗永源寺派大本山 瑞石山 永源寺
  
TEL 0748-27-0016
   URL https://eigenji-t.jp

 湖東三山から車で20分ほど走って、東近江の奥座敷とも言える少し離れた標高の高い静かな場所にある臨済宗のお寺です。
 室町時代初め1361年に近江の領主、佐々木氏頼が寂室元光禅師の高徳を慕い風光明媚なこの地に伽藍を創建し、禅師を迎えて開山した。当時2千人余りの修行僧が集い教化に専念した。戦国時代の兵火に晒され、寺院堂宇ことごとく失った。江戸初期(1631年)妙心寺の別峰紹印禅師が永源寺の衰退と嘆き、自ら方丈の再建に尽力し、その後、1643年、伽藍が再興され、再び法灯が輝やいた。
 臨済宗永源寺派本山として、寺内奥に僧堂を擁し、修行僧が日夜研鑽している。境内には質素な伽藍が建ち並び、茅葺の大屋根の方丈には、子授け・子孫繁栄の霊験顕ナ本尊世継観音をお祀りする閑静な古刹です。湖東三山とは違った雰囲気を持つ伽藍が建ち並ぶ一風変わった禅寺です。

 この寺は愛知川沿いの細長い敷地に建てられている。通常の参拝は総門を通り、山門をくぐって境内に入るが、駐車場が一番奥から少し離れた場所にあり、参拝順路が逆になった感じ。
堂塔伽藍は廊下で連なっている。永平寺などとよく似ているが、規模は小さいお寺だ。

 駐車場は手前と奥の2か所あり、今回は愛知川を上流にある永源寺ダムの近くの臨時駐車場に留めた。200mほど歩くと、途中に色づいたモミジが迎えてくれた。

真っ赤なモミジ勝ちてもきれいだ!


さらに進むと、茶筅塚という石碑があり、小さな滝が流れていた。


茶筅塚


駐車場で管理人に駐車料金と入山料を払ったので、入り口に受付はなかった


含空院近辺のモミジ


各伽藍は廊下でつながっている。




境内とモミジ


境内とモミジ


境内とモミジ




法堂(左手)から廊下で開山堂につながる


法堂正面 質素な建物


左手は法堂 右手は禅堂


右手は本堂  左手に鐘楼 奥の新しい建物は庫裏


鐘楼


本堂





山門から見える境内の景色


山門の外から境内を振り返る、(スマホの写真)




再び、境内を逆戻りする。

廻廊(廊下)


境内のモミジ
ここの横を通って境内から駐車場に戻る。
 帰路に就く

湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)と永源寺の4カ寺を廻って感じたこと。
 今年の紅葉は、例年と様子が違う。我が家の近辺、生駒金剛国定公園内の山の紅葉も例年と違う感じがする。毎朝、散歩中にイチョウやモミジやハゼ、クヌギなど紅葉する植物を見ているが、紅葉する前に葉が枯れて、茶色になったり、葉先が白くなったりして落ち葉になっている。例年なら次第に黄色から赤く染まってゆくが、今年はそうはならない。夏がすごく暑かった性かもしれないし、地球温暖化の性かも知れない。紅葉の名所ですら、奇麗な景色が見られないかもしれない。単に時期が早い、遅いの問題だけではなさそう。

 高速道路を走っていると、この夏あたりから観光バスが増えてきたように感じる。今は秋の旅行シーズンであり、次第に観光客が戻ってきたように思う。観光地でもたくさんのツアーに出会うようになった。殆どの人はマスクなしで行動している。

 湖東三山は日本紅葉100選に入っているだけあって、各寺院のモミジは半端ではない。これが一斉に紅葉すれば本当に見事だと思う。

 湖東三山は特に大寺院とは言えないが、庭園はよく手入れされ、植木の剪定などもきちんと出来ていて気持ちが良かった。京都の安土桃山時代の名園と比べると、三山に共通した構図のようなものを感じた。
池、岩、コケ、山肌等うまく使っているが、基本構図がよく似ていると感じた。でも、どの庭園も、素晴らしいと思った。琵琶湖の近くなので湿度が高いのか、庭園内のコケが良く育ち見事だった。

 4カ寺の中で、永源寺が一風変わった感じを受けた。寺院の由来も関係があるのだろう。宗派の違いか、創建時の背景か分からないが、伽藍の構成も、建屋も、質素なイメージを受けた。

 今回の紅葉見物は、家から100km以内の近場なので、来年も機会があれば行ってみたい。次回はきっちり時期を合わせて、最高の紅葉を撮ってみたい。

 最近、観光地に行く際は、一眼カメラ(Canon EOS M6)に、Canon18-150mmZoomレンズを着けて、これ一本で撮っている。あとは、適宜、スマホで撮っているが、スマホの写真がきれいになったのに驚く
スマホは、i-Phone13を使っているが、以前のi-Phone7とは比較にならないきれいさである。しかも、手軽に、ビデオも撮れる。これはやはり先端技術の進化の恩恵そのものだ!

 出来れば、奈良近辺の紅葉をもう一度見てみたい!





2023年10月23日(月)~24日(火)
白山の紅葉を見に行きました。 今が旬です!

 10月23日(月)
 
往路
 自宅を8時半に出て、第二京阪高速道を走り、京滋バイパスを通過して、名神高速道の米原JCTで北陸自動車道に入り、小松ICで降りて、国道360号線を走り、白山・白川郷ホワイトロード(旧・白山スーパ林道)を石川県側から上り、白川郷に抜けるコースで出かけました。 途中、道の駅『一向一揆の里』に立ち寄り、休憩を取ったのち、白山に向かいました。

 
白山・白川郷ホワイトロードマップ
 
 白山ホワイトロードの中宮料金所ゲート付近はまだ青い葉が茂り、少し時期が早いかな?と思いつつ登り始めました。
  

 

 

 

 

  
途中から次第に紅葉が始まり、ふくべの大滝付近では、いい感じの紅葉になっていました。バスやマイカーで駐車場がにぎわっていましたが、駐車スペースが未だ幾らかありました。



 

ふくべの大滝から上に向かうと、紅葉は一段と色を増し、国見展望台~白山展望台付近は最高の紅葉が見れました。三方岩駐車場付近では、高度が高い性か、既に盛りが過ぎ少し枯葉が目立つ状態に変わりつつあるようでした。

 
 この辺が、一番きれいな紅葉が見れた!

 

 燃えるような紅葉、絶景!
 

 真ん中、遠くに剣岳が冠雪している
 

 

 谷底に白川郷集落が見える
 

 ミラーレス一眼カメラと、スマホで、絶景の写真とビデオを撮りまくりました。

 
山の紅葉は、上から次第に下に降りると言われますが、まさにそのとおりで、全山が一気に紅葉する訳ではありません。
 
 でも今回は満足できる状態でした。というのは、何年か前に、同じコースを走ったのですが、途中から頂上付近は冬の景色で、葉が落ち、冬景色になっていました。今年はちょうどいいタイミングだったと思います。

 紅葉を満喫して、馬狩料金所を通過すると、直ぐ白川郷に着きます。5年前に建てた真新しい天然温泉 ゆるりの湯 結いの庄という洋風旅館に泊まりました。ここは、共立リゾートが運営しているリゾートタイプの旅館です。3階建で100人ほど泊まれる施設ですが、玄関を入ると、靴を脱ぎ靴棚に入れると、廊下が全て畳敷になっています。スリッパは使用せず、一風変わった旅館(ホテル)でした。部屋は二室で、寝室はツインベッドが置かれ、一方のリビングはソファーと椅子、テレビ、テーブルなど必要最小限の設えで、スッキリとした間取りでした。室内は全て畳敷きです。もちろん、洗面、トイレ、風呂も完備しています。間取りは十分な広さで、空調設備も快適でした。築5年と言うことですので、各観光地の旅館やホテルの設備を調べ上げて、客の要望を満たす最適の間取りや設備、備品を揃えたなという感じを受けました。
 大浴場は十分な広さと、露天風呂も完備しています。普通、温泉旅館は夜と朝は男湯と女湯が入れ替わりますが、ここはそのままで入れ替えはありませんでした。食事場所は専用会場があり、夕食、朝食とも同じ場所でした。食事会場も必要かつ十分な適度の広さで、落ち着いて食事ができました。
 いままで、温泉旅館やホテルにたくさん泊まりましたが、この結いの庄』は合理的な間取りや運営をしているなという感じを受けました。
 もちろん、豪華なホテルや、古びた純和式日本建築の旅館はそれなりの良さはありますし、高齢の女将の接待を受け地元の話などに触れることも旅の楽しみでありますが、今回のような『
さらりとしたもてなし』の旅館もいいなぁ!という思いがしました。

 白川郷には、民宿がたくさんあり、切妻合掌造りの茅葺屋根の民家に泊まるのが夢と思う都会から来る人は民宿に憧れるようですが、我われは田舎育ちの身にとっては、わざわざ民宿に泊まることに興味はありません。

 コロナが収まり、外国人も大勢泊まっていました。外国人の比率は2割ぐらいでしょうか。
駐車場にはざっと、60台余りの車が止まっていましたので、満室だったようです。

10月24日(火)
 早朝の雲海
 
 朝食を済ませ、朝の支度を終えたのち、白川郷集落を観光しました。旅館から10分程度車を走らせると、村営の「せせらぎ公園駐車場」が川のそばにあり、駐車して出会い橋を渡って、合掌造りの白川郷集落に入ります

 以前、ツアーで行った時は、深い雪で、かやぶき屋根に真っ白い雪をかぶった合掌造りの街並みを見て感激しました。その印象が目に焼き付いていましたので、今回は雪のないかやぶきの集落の景色を楽しみに行ったのですが、点々と建ち並ぶかやぶきの家が過去のイメージと違う感じがしました。以前見た風景とずいぶん変わったな!というのが実感で、出会った地元の人に尋ねると、20年ほど前のかやぶきが建ち並んでいた風景とはずいぶん変わったということでした。
 何が変わったのだろうか? トタン屋根の家が増え、かやぶきの家が少ない感じがしました。これが世界遺産の白川郷なのか?と思うほど、違ったイメージを受けました。
街角の所々に火災時の消火放水するための『放水銃』の箱が以前同様に目につきます。  『白川郷』の切妻かやぶき合掌造りの家並みが建ち並ぶ風景をいつまでも保ってほしいなという思いがしました。

 その後、橋を渡り駐車場に戻り、近くの『合掌造り公園』に入りました。ここはかやぶきの民家を何軒か移設して、保存と観光を兼ねた公園になっています。広い敷地ですので、一周すると1時間ほどかかりました。

 駐車場に戻り、庄川沿いに下り、途中、石を積み上げて堤防を築いたロックフィルダムで有名な御母衣(みほろ)ダムに立ち寄りました。高さが131mの発電専用ダムです。
 日本のダムの代表は、黒四ダムで、ここはアーチ式ダムです。その他その他、重力式ダム(直線状態)など、ダムは堰の形状によりいろんな種類があります。石積みのダムは余り見かけませんので、珍しいダムです。道路からダム湖が見えるよう横道に入れますので、駐車して見学しました。

 その後、荘川サクラを見に行きました。ここはダム湖で沈んだしまった集落に生えていた巨木の桜を移植したことで有名になった桜です。太く大きな桜の古木が二本と、たくさんのサクラが植わっていました。春のサクラのシーズンには大変賑わうようです。

 ここまで、川沿いに下ってきて、天気が雲一つない秋晴れだったので、もう一度、白山ドライブウェイの紅葉が見たくなり、再び、白川郷に逆戻りし、白山ホワイトロードを登りました。
 平地の空は雲一つない晴天でしたが、山を登るに従い、白い雲が現れ、雲陰りが生じて、昨日の状態と同様な天気になりました。紅葉は直射日光が当たれば、色が一段と映えるので、それを期待して戻ったのですが、二日とも同様に一部雲隠れする景色になりました。

 昨夜、旅館で聞いたところでは、数日前の寒い日に雪が降り少し積もったという話でした。そう言えば、白山ドライブウェイの展望台から、剣岳など見える場所がありますが、北のアルプス山脈の頂上付近は雪が積もっているのが見えました。
 
 
復路
 その後、紅葉を見ながらドライブウェイを下り、昨日走った道を引き返し無事に帰宅しました。
今回の走行距離は、往復で、710Kmでした。燃費は約25km/L。山を上り下りした割には、高燃費でした。季節がいいので、エアコンは使用せずの状態。

 FIT4(e-HEV)に乗り換えてから、3年半が経ちます。走行距離は、2万kmを超えました。
今まで、トラブルなしで、調子よく走っています。この車のいいところは、高速道路の運転時に、アクセル、ブレーキペダルを踏むことは、ほとんどありませんので、右足が疲れません。
 従来の車は、運転時は常に、アクセルやブレーキペダルに右足をかける必要がありましたが、この車は、アダプティブ・オートクルーズが装着されていますので、高速道路では前車との車間距離を常に一定に保ち走行します。加えて、レーンキープをONにしますと、走行道路の中心を保ち自動的にハンドル操作が働きますので、ハンドルに手を触れているだけで、舵は車が切ってくれます。その他、ヘッドライトの自動ON/OFFや、安全運転支援機能がついていますので、長時間運転しても疲れることがありません。一人で長距離を安全に運転することができます。素晴らしい機能が付いています。

 最近の安全支援機能は本当によくできていると感心します。以前の車にも、オートクルーズが付いていましたが、高速道路でONして走ると、常に設定した時速で走り、前車との車間距離を検知しませんので、前車がブレーキを踏んだ際は急に車間距離がなくなり、常に注意していないと、追突する危険がありました。怖かったです。

 アダプティブ・オートクルーズ機能は追突の心配が全くありませんので安心です。高速道路で、工事中や渋滞している時に、前車が減速したり停止すると、自分の車も停止します。
 最近のFIT4のマイナーチェンジで、さらにアダプティブ・オートクルーズの改善が行なわれ動作範囲が広くなったようです。技術の進歩は実に素晴らしいです。
 
 高齢者ドライバーがよく事故を起こして、ニュースになっていますが、安全支援装置が着いていれば、事故も少なくなるはずです。高齢者ドライバーほど、安全運転支援装置付きの車に乗るように規制が必要だとも思います。


 
記憶違い?
 さて、合掌造りの景色が、20年前と違うという印象を持ちましたが、帰宅後、インターネットで調べてみて、分かったことは、以前は、白川郷と合わせて、他に二か所の合掌集落を見に行ったようです。記憶から消えていましたが、その合掌集落は、岐阜の白川郷から少し北に行ったところに、五箇山という集落があります。こちらも有名で、雪の季節はライトアップし、たくさんの観光客が訪れるところです。旧、上平村菅沼集落と、旧平村相倉集落です。
 以前は、この五箇山にも行ったのです。 ここは富山県南砺市になります。

 また、次の機会があれば、五箇山に行ってみようと思います。





2023年6月23日(金)~24日(土)
和歌山沿岸の観光地、白浜、熊野本宮大社を廻りました!

 6月23日の行動
 今回は、一泊二日で郷里、和歌山県の観光地に出かけました。
 最寄りの交野北ICから第二京阪高速に乗り、門真JCTから近畿自動車道に入り、和歌山SAを通過して、海南ICで高速道を降り、国道42号線沿いに南下し、下津港に立ち寄りました。漁船が係留されている。

 ここに先日、大型クルーズ船が停泊したという話を聞きました。全長が300m以上もある強大なクルーズ船がどの桟橋に停泊したのか? 興味があり、見に行きましたが、桟橋が分からず港を後にしました。

 一度、42号線に戻り、箕島大橋を渡り、有田川沿いの『野』交差点を右折して、県道20号線を走り、田栖川、栖原、湯浅、広川町を通り、県道23号(御坊・湯浅線)をさらに沿岸沿いに進むと、岬の先端部にある白崎海岸に着きます。
付近の観光マップ
 

白崎海岸付近

ここは日本のエーゲ海 白崎海洋公園という名になっています。
真っ白い石灰岩で覆われた一帯があり、真新しい『道の駅』ができていました。さらに『オートキャンプ』『ログハウス』施設も併設しています。
上空からの全貌


ここで昼食・休憩


道の駅、駐車場、石灰岩


石灰岩の丘

 展望台


展望台から帰路の石灰石

 
 駐車場に戻り、県道24号線を進み、由良港付近を通過。ここの造船所は大型船のドックがあり、見た目で数千トンから1万トンぐらいの巨大な船が2隻ドックに入っていました。

 由良港を通過し、沿岸沿いの道路をさらに進むと、御崎の先端になったところに日御碕灯台があります。
灯台は新設され、大きく高くなっていました。


 灯台の定礎石
 

 近くにアメリカ村(カナダなどに移住した人が帰国した)があり、この辺一帯は、煙樹海岸県立自然公園地域になっていて、広大な砂浜が広がり、煙樹浜松林があります。


ここから東に少し行ったところに安珍清姫物語道成寺があります。
石段を登ると、仁王門
 

 本堂
 

 千手観音像が祀られている
 

 本堂の右手に、三重塔
 

 
 垂木が1,2層は平行垂木、3層目は扇垂木(放射状に開いている)
 

 道成寺で一休みしてから、再び国道42号線を走り、途中の『白馬』交差点から熊野街道に入り、再び海岸線沿いに進むと、天神崎があります。ナショナルトラストで有名になりましたが、どういう所か一度見たいと思っていましたので立ち寄りました。
海岸
 



 
 岩(堆積岩?)が海岸に広がった地形で、これが多様な生物を育んでいるのだなと思いました。ここに行く道は車が一台通れるかどうかの狭い道でしたので、対向はできません。何とか無事に通過しました。

 その後は、さらに海岸線沿いに走り白浜に向かい、無事に目的地、ホテル川久に到着しました。
 朝8時半、自宅を出発してホテル到着は夕方5時前でした。ずいぶんよく走った。

 ホテルは要塞のような頑丈な塀で囲まれ、城壁のような感じがする中で、非日常の印象を受けるところ。
スペイン瓦の鮮やかなオレンジが映える!
 

ホテル川久
に向かう正面 南ヨーロッパの異国情緒が漂う
 

 正面玄関前
 

要塞のような頑丈?な佇まい!
 
 
ロビーは天井が高く、床はモザイクタイル張り なかなか日本では見られない
 

ロビー 柱は黒大理石が力強く建ち並ぶ
 

 ホテル左側(客室側、海側)部屋は6階
 部屋はロイヤルスイートで、超広々!!
 

 翌朝、6階の部屋からの日の出 AM5:30  沢山の生け簀が浮かんでいる
 

 翌日、湾を挟んで対岸の道路から撮影 この位置で全景がうまく撮れた!
独特の建物は遠くからでも目立つ
 

 川久「一度は行ってみたいホテル」の高順位にあり、憧れのホテルで、スペイン風の建物はオレンジ色の屋根瓦、タイルなど現地から輸入したもの。建物の姿もスペイン風で、日本では珍しい堂々とした建物。

 ロビーは高い天井、広々していて、内装も南ヨーロッパ調のデザインでコーディネイトされています。
 部屋は、ロイヤルスイート100㎡以上もある贅沢なもので、広いリビング、寝室と、さらにもう一つ部屋があります。今まで旅行したホテルでは一番広々した部屋でした。洗面台は独立して2人が使えるレイアウト。

 食事は、バイキング方式『王様のビュッフェ』と呼んでいる)で、食材の良さ、メニューの豊富さは素晴らしいですが、自分には、『お品書き』の日本料理の方が身に合うようです。

 浴室は1階、2階にあり、泉質は少しつるっとした感じ、日替わりで男女の浴室が変わる。
 
 白浜温泉は、道後温泉や有馬温泉と並ぶ日本三古湯に数えられ、日本書紀には、当時の歴代天皇が訪れていたと記載されており、また万葉集には「牟婁の古湯」として登場しています。古くからたくさんの人に愛されてきた白浜温泉には、源泉かけ流し温泉から足湯、一部無料の共同浴場など、温泉そのものを楽しめる施設が点在しています。
泉質
塩化物泉、硫黄泉、炭酸水素塩泉、単純温泉


6月24日の行動
 朝から晴れで、梅雨の時期には珍しく天気に恵まれました。白浜の絶景スポットを廻りました。
円月島
 

千畳敷
 

三段壁
 福井県東尋坊と共に自殺の名所だった! 最近は自殺者が少ない。近くに命の電話ボックスがある
 昔は「ちょっと待て!」だったが、

 

 高さは30m以上の崖
 

三段壁洞窟
に下りました。エレベータで、36m下りると、洞窟につながる。
 

 この洞穴は熊野水軍の舟隠し場所だった。
料金が1200円と高いでしたが、入ってみると非常に感激した。
 洞窟に底に至る(海面)


波があると、洞窟内に飛沫(しぶき)が飛び散る!


 こんなところに祭壇がある。天井からつるされた灯籠がとてもきれいだ
 

 
洞窟内に、水軍の守護神、弁天さんが祀られている
 

 熊野水軍の説明看板
 
 

 白浜を後に国道311号線に入り、道の駅熊野古道中辺路に立ち寄り、わたらせ温泉川湯温泉を経由し、世界遺産熊野古道にある熊野本宮大社熊野本宮大社旧社地大斎原/大鳥居にお参りした。

 
 熊野本宮鳥居(現在)
 ヤタガラスの垂れ幕が目立つ
 
 
 本宮大社の石碑
 

 砂利道の参道
 

 石段を登ると、門がある
 

 夏!、知恵の輪
 

 本宮大社殿 正面
 ここでは中国人が沢山来ていた。
 
 社殿(左側から)
 

 
4人の神様が祀られている
 左から、矢印の場所が第一殿、第二殿、第三殿、第四殿になる。
 

 

 

 

 大鳥居(旧、大社の跡地) 高さ34mもあるそびえたつ。


 日本一の大鳥居の説明看板
 

 旧社は水害で流失した。その跡地 大斎原(おおゆのはら)
熊野本宮大社が鎮座していた場所。明治22年の大洪水により社殿の一部が流出し、2年後に現在の場所に遷座された。熊野川、音無川、岩田川の合流点の中州に位置し、江戸時代までは、橋がなく、着物の袖を濡らして水垢離(水垢はなし)を行ってからのみ立ち入ることが許された神聖な場所。
 
 

 世界遺産 石碑
 

 
十津川温泉谷瀬の吊り橋、星の郷、大塔で一休みして、無事に帰りました。


 旅行を終えて
 天気は、行き来とも曇りまたは晴れでした。この時期、晴れると気温が上がり、現地で歩くと汗ばみますが、車内はエアコンのおかげて移動は快適でした。
特に、事故もなく安全運転で無事帰宅しました。全走行距離は約500km。燃費は26.7km/L
満タン40Lのガソリンは、残量が6割ほど残っています。本当に燃費が良くて助かります。

 和歌山県内の道路状況は、一昔前のガタガタ道から拡張され、舗装もよくなり快適なドライブができます。
特に、海岸沿いの県道は、思ったより広く、舗装状態良くてびっくりしました。
国道311号の白浜から熊野までの間は、広くて安全に走れましたが、国道168号線は以前の大雨でがけ崩れがいたるところで発生し、その修復工事が行われ、一部通行止め区間があり、狭いう回路を走らされました。一方で、168号線はトンネル工事が盛んに行われ、まだまだくねくねした道路で幅が狭いところもありますが、高速並みの道路も工事ができつつあります。
奈良五条市から熊野市への特急バスが運行されています。約6時間かかるようですが、道路改修工事が進めば、3時間程度で走れると思います。
168号線沿いに高速道路をつける案が浮上していたようですが、採算面で合わず中止になりました。その代わりに、現状の168号線の改修工事を進める方に変わったようです。

 白浜は何度か行っていますが、今回初めて、三段碧の洞窟に入りました。洞窟と言えば、イタリアのソレントの近くのカプリ島にある『青の洞窟』を思い浮かべました。ここは、洞窟の小さな入り口から小舟で中に入るので、波が荒い時は中止になります。一回目は中止で、二回目に入ることができました。ここは入り口が狭く、そこから陽が差し込むと、海水の色がエメラルドグリーンに変わるという現象を楽しめます。
 海の洞窟と言っても、三段璧の洞窟は海面より2mほど高いところの岩場を廻廊して歩くようになっています。波があると、しぶきがかかります。このような洞窟の中に、熊野水軍の守護神が祀られているのに驚きました。

 今回は『一度は泊ってみたいホテル』で有名な『ホテル川久』に泊まりました。一言でいうなら、温泉観光旅館というイメージではなく、南ヨーロッパ旅行で泊るようなホテルです。内部の建築部材はカラフルな瓦や大理石やタイルが多用され、客室の間取りや室内の広さは日本のホテルでは味わえないものでした。
 王様のビュッフェ(バイキング)ホールは、浴衣・草履は禁止ということでした。エレベータは4基設置され、うち一基は浴室に行く際に浴衣で乗れるものでした。
 温泉に入り、浴衣姿でゆったり和食を食べたいという人には、余り進められません。非日常の異次元の旅行を経験したいという方にはお勧めです。日本では数少ない異色のホテルだと思います。
 先月、行った和倉温泉、加賀屋は日本の温泉旅館の巨大な代表的なホテルというイメージでした。それぞれ特徴を生かして造られていると思います。
 食事について、『王様のビュッフェ』の料理はバイキング方式ですから、皆さん同じです。食材が良く、目の前でステーキや魚などを焼いてくれます。種類が豊富で、ジュースはメロンの生ジュースなどもありました。ツアー客と、マイカー等で行った客はテーブル席の部屋を分けているようでした。王様のビュッフェは皆さん、皆さん同じです。

 
 参考資料

 熊野大社の八咫烏について

八咫烏とは、当社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。
日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。

八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。
この
三本の足はそれぞれ天・地・人をあらわす、といわれています。


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2023年5月16日(火)~18日(木)
上田城跡・別所温泉・善光寺~和倉温泉・能登島大橋・兼六園へ行きました!

 5月16日の行動
今回は2泊3日の旅行を組みました。全走行距離が1,000kmを超えるので、2泊することにしました。
全国旅行支援が続いていますので、一日一人当たり宿泊費が3,000円、買い物クーポン券が2,000円補助されますので、2日間で1万円/人支給されます。この制度は旅館に支払う宿泊費はもちろんですが、土産物など買う際に、二人で8,000円支給されるのは助かります。つい土産物をいつもよりたくさん買うことになり、これで観光地(地方)が潤うのであれば、経済活性化の制度の目的に叶っていると思います。

 出発時、いつものようにガソリンを満タンにし、トリップメータ(走行距離計)をゼロリセットし、帰宅時に、走行距離と燃費をチェックします。天気予報では、3日間晴れの予報で、楽しいドライブ、旅行ができると思います。

 自宅を8時過ぎに出発して、交野北ICから第二京阪高速道路に入り、久御山JCTから京滋バイパスを走り、瀬田東JCTから名神高速に乗り、米原IC、養老JCTを通過し、小牧JCTから中央道に入り、恵那山トンネルを抜けて、更植JCTから上上越道を走り、上田菅平ICで降りて、以前、仕事で青木村に通いましたので、その後の村の様子を見に立ち寄りました。ここにある青木村道の駅は地元農産物が販売されています。今回行ってみて、道の駅の建物が増築され、大変立派な施設に変身していました。

 その後、上田城址公園に向かいました。
 https://nagano-ueda.gr.jp/uedajo/ へのリンク

 上田城は、真田幸村の城で有名です。家康の息子、秀忠が大軍を率いて、関ケ原の戦いに向かう途中この地で、真田軍と遭遇し、苦戦し、諸将が居並ぶ中で関ケ原に着くのが遅れてしまったという苦い話や、豊臣秀頼、淀殿の要請を受け豊臣軍に参戦し、大阪冬の陣で真田軍が出城(真田丸)で家康軍を大いに混乱させたことでも有名です。これで家康の怒りをかい、徳川方は徹底して上田城を破壊し尽くしたそうで、天守はもちろん、城と言える建物は残っていません。上田城ホームページで上田城の歴史をご覧ください。城門と櫓が2棟あるだけです。広大な城跡ですが、戦国時代の権力闘争の激しさを伺えます。
真田家は『六文銭』を旗印や家紋にしましたが、その由来は?
 これは三途の川の渡し賃にあります。 つまり 「戦さ場でいつ命を落としても構わない」 という心意気を現しています。 この家紋が使われるようになったのは、幸村の祖父で武田二十四将に数えられた真田幸隆が武田信玄に仕えた時だという説があります


 史跡 上田城址 石碑
 

 櫓(やぐら) 石垣が崩れています。修復中だそうです。
 

 公園内散歩道(昔の堀跡?) 両側の新緑がとてもきれいです。秋の紅葉はさらにきれいなところです。
 

 公園案内板
 

 上田城の歴史看板  詳しく書かれた上田城の歴史。
 

 櫓
 
 城址は公園になり、春のサクラ、秋のモミジは特に有名な所です。今は新緑のシーズンで若葉が大変きれいでした。
 今日の観光はこれで終了。ここから別所温泉までは約半時間の距離。一般道路を走ります。


 無事、別所温泉花屋旅館』に到着。ここは別所温泉の老舗旅館です。 敷地は広く6,500坪、この旅館は、大正6年に大正モダン様式で建てられ、築100年以上経っています。今なお、しっかりメンテされた純日本建築です。 障子やガラス窓枠(桟)は木枠で、現在のアルミサッシとは違った風情を醸しています。
 驚いたことに、窓や障子、扉の建付け(締めた時の上下の隙間)が狂いなく、ぴしっと閉まります。この地の宮大工が腕に撚りをかけて建てた家屋ということで、廊下で結ばれた客室が大小40室もあるという大きな旅館です。冬は寒く零下になることが多いですが、夏は比較的涼しく、日照時間が長いことでも有名です。
 
 雑誌『プロが選ぶ日本の旅館・ホテル100選』にも掲載されています。 2022年度は72位
 

 花屋の全景図  広大な敷地面積6,500坪(約21,500㎡)に木造の建物と、庭が設えられている。
 
 

 花屋の入り口 奥に玄関が見える
 
 
 花屋の玄関 花の家紋が施されている特製の瓦
 
 
 花の紋瓦
 

 有形文化財建造物指定の額
 
 

 玄関には、年代物のホールクロックが置かれ、落ち着のある雰囲気を醸している。
 

 待合室(応接室)も、本物の木の温盛(ぬくもり)が感じられる。天井の照明も古風で良い。
 
 
 泊る部屋はこの廊下を渡り2階です。左右の庭の設えや手入れも行き届いていて、新緑が奇麗だ!
ツツジが咲いていたが、サツキは咲はじめたところ。
 池には、錦鯉が泳いている
 

 広い庭園の一角に水車小屋があり、水車がゆっくり回っている。懐かしい田舎の光景だ!
 このホームページは動画がUPできないのが残念。 YoutubeでUpしています。
 

 正面の建物の2階が宿泊部屋、広々としている。   庭がとても素晴らしい!!
 

 広々とした2階客室(20畳と16畳・2間続き、一間半の広縁)からの庭園の眺め
 こんな贅沢は、ここしか味わえないだろう!!
 
 

 夕食、朝食の部屋  柱や天井の梁は無垢のまま素材を見せる造りである。
 
 

 食堂入り口になぜか?置かれた年代物のオルガン。 ペダルを両足で漕いで空気を送り演奏する。
 
 
 温泉街を散策
 『別所温泉街案内図』の汚い看板  
 
「これは頂けない! 別所温泉のイメージダウン!」
    『いやしの郷 別所温泉へようこそ、いやしのポイント案内図』の看板
 別所温泉の顔が汚れている!  手入れができていない! 看板の表面を洗えば奇麗になりそう!

 「別所温泉組合の皆さん! すぐにきれいな看板に架け替えましょうよ!
 
 

 別所温泉の公衆浴場 「葵の湯」 立ち寄り湯ができる  木曽義仲が入浴した言い伝えがある所
 
 

 別所温泉街の風景 一部
 
 

 別所温泉由来の看板
 
 
 
 別所温泉は単純硫黄温泉

 近くの『北向観音』  正面が本堂
 北向観音(きたむきかんのん)は本堂が北を向いていることから、名付けられた。これは観世音菩薩出現の際、「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように、我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」というお告げによるものといわれている。
 本堂が北を向いている寺は、全国的にも珍しい。本尊は千手観音菩薩で、厄除け観音として知られる。日本遺産に指定されている。平安時代初期(825年)に慈覚大師が開基。樹高22mという上田市指定天然記念物の愛染カツラがある。
樹齢1200年。


 
   

 本堂内 結構大きなお寺  観世音菩薩が祀られている
 
 

 大湯薬師乃湯  温泉地のよくある足湯の一つ、他にもある。無料
 
 


 今は、若葉がとてもきれいだった。秋の紅葉もすごくきれいで最高と思われる場所。
少し気になったのは、冬の厳寒期に吹きさらしの廊下を渡り、部屋と浴場を行き来するのはちょっと大変だなと思った。でも、温泉で十分温まっているから大丈夫だろう。
 良く手入れされた庭には、ツツジやアヤメが咲き、水車が廻り、池には錦鯉が泳いでいた。
何とも言い切れぬ風情のある旅館だ。
 従業員の皆さんも、しとやかな感じで好感が持てた。特に食事処では、大正時代の衣装を身に着け、100年前の大正ロマンやノスタルジアを感じた。とても好印象が残る温泉旅館でした。お勧め旅館です。


 5月17日の行動
 翌日、長野市の『牛にひかれて善光寺・・・』で有名な善光寺にお参りした。 この寺は1400年の歴史があり、珍しく(多分、日本でここだけかと思います)無宗派のお寺で、天台宗、真言宗、禅宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗など宗派を問わず信者を受け入れるという心の広い?お寺です。 これは初めて知りました。
 『般若心経』は、お釈迦様の悟りを260文字(262文字の場合は、「仏説」の2文字が頭につく)に集約した仏教の原典ですので、どの宗派でも唱えるお経です。

 「魔訶般若波羅蜜多 心経観自在菩薩 行深般若波羅蜜多 時照見五 蘊皆空度 一切苦厄舎利子色 不異空空不異色 色即是空 空即是色 ・・・・・・羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」と浪々とお唱えします。 このお経はリズム感をもって読経すると覚えやすいです。 覚えました?
 本堂では10人ほどの僧侶が『般若心経』を拍子木に合わせ唱えていました。

  『般若心経』に関心ある方は、Youtubeにたくさんの動画がアップされていますので、ご覧ください。
宗派により、若干のお経の唱え方があるようです。


 広い敷地に、堂塔伽藍が建ち並ぶ大規模のお寺で、日本人観光客はもちろん、外国人、ヨーロッパ人、中国人など、沢山の人で賑わっていました。結構人気があるお寺のようです。

 仁王門に向かう素晴らしい石畳の参道
 

 石畳の参道の謂れ
 

 仁王門
 

 仁王門をくぐり、石畳の参道を進むと、正面に山門が見えてくる。
 

 山門に向かう参道の賑わい 参道の両側に手打ちそば屋、和菓子屋、、土産物店が建ち並ぶ
 

 山門や本堂内などの拝観料
  

 山門
 壮大な入母屋造り、二層の門
 

 山門 近接撮影
 

 入館料500円を支払い、お城に登るような急な階段を登る。
 二階には、知恵を授けて下さる文殊菩薩が祀られている
 

 2階の回廊からの眺望
 参道を見下ろす
 

 沢山の伽藍が建ち並んでいる。
 

 屋根を支える太い垂木と、ぶらさがった灯籠
 

 山門二階から本堂を見下ろす
 左手に資料館の三重塔が見える
 

 仁王門から山門、そして本堂とつながる配置図
 

 本堂
 木造建築では東日本最大級で二層屋根、総檜皮葺きは日本一。
 本尊は『一光三尊阿弥陀如来』が祀られ、創建は1400年前。
 
 (注)木造建築では、奈良の東大寺や京都の西本願寺など巨大な建物があるが、屋根は瓦葺き。
 

 本堂から山門の方の眺め
ここの石畳は実に素晴らしい!!



 『牛にひかれて善光寺参り』の謂れ
 信仰心のない老婆が、さらしていた布を角にかけて走っていく牛を追いかけ、ついに善光寺に至り、のち厚く信仰したという話から、思ってもいなかったことや他人の誘いによって、良い方に導かれることの例え

 横たわっていて、観光客が触るので、顔がつるつる、ピカピカに光っている。
後ろのベンチに座っている観光客はすべて外国人(ヨーロッパ、アメリカ人?)だった。


 参拝を終え、ちょうど昼食の時刻になったので、門前の蕎麦屋で手打ち信州そばを食べた。


 善光寺を後にして、須坂長野ICから上上越自動車道に入り、上上越JCTから黒部IC、立山IC、小矢部砺波JCTから能越自動車道を走り、和倉温泉加賀屋』に無事到着。
 加賀屋「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」のトップを長く維持している超有名な温泉旅館で、エレベータが4基も?設置され、20階建、1450人収容する大きな規模旅館です。1階の売店は一つの町の商店街のような広さで、宿泊客で大賑わいでした。
 

 和倉温泉街には、他にもたくさんのホテル・旅館が建ち並んでいます。
 加賀屋の館内案内のリンクはここをクリックしてください。
 
 宿泊した部屋は11階、和洋室で、和室2間と別にツインベッドルームがありました。
 館内の大浴場は2階にあり、浴場は二段になっていて、さらに露天風呂がある広々とした湯舟で、泉質は塩化物泉です。食事は1階の会場でした。 
 和倉温泉街にも、旅行客や観光客が多く、コロナ前の姿に戻りつつあるようです。
 
 5月18日の行動
 翌日は、のとじま大橋を渡り、能登島を一周しました。
 
 
 途中、「のとじま」から七尾湾を隔てて、対岸の和倉温泉街を眺めた遠望です。
 中央の一番高いビルが「加賀屋」です。
 

 高台にある「道の駅 のとじま交流市場」
 立派な建物で、周囲の景色、見晴らしも良かったです。
 

、近のガラス工房
 高台の丘に、ガラス細工のモニュメントが建ち並んでいます。
 

 
のとじまの周遊を終え、金沢市に向かいました。
高速道は、能越自動車道がありますが、今回は「のと里山海道」という海岸沿いの無料の自動車道を走り金沢市に向かいました。
 途中で、ガソリン残量が150kmを指示していましたので、30L給油しました。ここは、168円/Lでした。

 久しぶりに『兼六園』に立ち寄りました、ここも大勢の人・人・人で賑わっていました。
加賀100万石の前田家の隠居所として庭園が築かれたもので、案内書によれば、兼六園の名前の由来は、中国宋の時代の詩人・李格非(りかくひ)の書いた「洛陽名園記」の文中から採って、「宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古(そうこ)・水泉・眺望」の六勝を兼備するという意味で、「兼六園」と命名された。
 現在は文化財保護法により名勝の指定を受け、1985年には特別名勝となっている。
 (注)65歳以上の高齢者は入園料無料でした。(免許証などの身分証明書の提示が求められる)

 兼六園案内板
 

 花見橋付近
 

 明治記念之像
 

 七福神山付近
 

 内橋亭付近の霞ヶ池
 

 雁行橋(がんこうばし)付近
 

 黴珍灯籠(ことじとうろう)  下の写真が一番気に入りました! 
      使用カメラは、Canon EOS M6  と、一部 スマホ(iPhone)
 

 池の向こうに、赤い日傘をさした新郎新婦の姿が見える!  
 

 根上松(ねあがり松)
 大小40数本の根が地上2mまでせり上がった奇観、右の人の背丈と比べれば分かる。
 土を盛り上げて、普通に松の木を植え、成長するに連れ土を取り除き根をあらわにしたものだそうです。
 

 内橋亭付近  縁台に座り一休みしている観光客、外国人が多かった。
 この日は真夏のような暑さで、少々ぐったりした。
 



 以上で、今回のスケジュールはすべてこなした。
兼六園を後にして、北陸自動車道に入り、米原JCT、名神高速、京滋バイパス、第二京阪高速で交野北ICで降り、無事に帰宅。
全走行距離は、1,151Kmで、消費ガソリンは46L。フィット ハイブリッド e-HEVの燃費は25.6km/L


 今回の旅行のまとめ

(1) HONDA FIT HOME e-HEV(ハイブリッド)について
 この車は高速道路で、アダプティブクルーズと、レーンキープ機能をONにすると、ハンドルを自動で切り、設定速度で走ります。
 アダプティブクルーズは先行(前)車両がブレーキを踏むと、車間距離を一定に保ち走りますので、ブレーキペダルを踏むこともなく、楽に運転できます。以前のオートクルーズは常に一定速度を維持しましたので、車間距離を常に注意していないと追突する恐れがあり怖いものでした。 安全運転装置の進歩は隔世の感があります。
 レーンキープ機能は、高速道路では走っている車線の中心を常に維持してハンドルを切ってくれます。
一応ハンドルを軽く握ることが求められています。完全手放し運転はまだ保障されていません。

 いずれにしても、高速道の長距離・長時間運転は、この安全運転支援機能のおかげで大変楽に運転でき、疲れを感じません。車のセーフティー機能は秀逸の出来映えです。

 ホンダ e-HEVハイブリッドシステムと他社との違いは、高速道路走行時はエンジンと車軸が直結し、モータを介さないことです。だから高速運転時の燃費は良くなります。
 理由は、エンジン⇒発電機⇒バッテリー/走行モータ⇒車軸 の場合は、発電機とモータの効率が加味され、数%のロスが生じます。e-HEVはこのロスがありません。
 発進時は、シリーズハイブリッドシステムの特徴を活かし、モータの大トルクで力強く加速し、定常運転時は、エンジン⇒発電機⇒バッテリ/モータ⇒車軸とつながり車を走らせます。これにより、高燃費を得ることができます。静かで、スムーズに走り、加速もよく、高燃費という良いとこどりのシステムに仕上がっています。

(2)観光地は率先して、無電柱化すべき
 善光寺の参道は景観がスッキリして、とても気持ちがいい感じを受けた。それは参道の左右に電柱と電線がなく地下配電線になっているからだ。
 日本はここ数年前から、特に観光立国を謳い、外国人観光客の増加に力を入れている。
外国、特にヨーロッパ各国に行けば分かるが、街中はどこに行ってもスッキリしている。
 その要因は、店の看板が派手・派手しくなく、電柱がなく、蜘蛛の巣のように電線が張り巡らされていないからだ。
 日本の観光地は無電柱化を急速に進めることが大切。
外国人観光客に日本の素晴らしい風景を楽しんでもらうため、景観の維持、向上が大切。近年、都市部では無電柱化が進んで来ましたが、観光地の無電柱化は未だ遅れています。これを優先して国を挙げて支援し進めることが大切です。
 日本の進んでいる点は、観光地や駅やハイウェイのサービスエリアには、トイレが沢山あり、きれいで温水洗浄便座まで完備されています。これは素晴らしいことです。
 高速道路のサービスエリアのトイレなどは、『ここまでしなくても?』と思うほどきれいに整備されています。
 これからの課題は、電柱の廃止・地下配線化です。

(3)温泉旅館の感想
 日本の温泉旅館や温泉街ホテルには、いろんな姿がありますが、今回の別所温泉、和倉温泉の旅館は代表的な旅館だと印象深かったです。

 ■別所温泉、「花屋旅館  
   本物の純日本建築の建屋で、有形文化財にふさわしく、今まで利用した温泉の中でも非常に好感を
   持った旅館でした。是非、一度、行ってほしい、自信をもって推奨できる旅館です
   景観といい、建屋内部の設えと言い、庭園の姿といい、手の込んだ本物の木造と言う感じです。
   従業員の方々も、良く行き届いた接待をしてくれます。
 ■和倉温泉 「加賀屋
   ここは、もう言わずと知れた日本の温泉旅館の最高位の旅館です。
   規模と言い、設備と言い、接待のマナーと言い、ハード・ソフトの両面で最高のものです。

(4)全国旅行支援制度
   別所温泉・和倉温泉ともに、「全国旅行支援」制度を使い、二人で2万円頂きました。
   予定額が終了次第、中止になります。
   クーポン券の使い方が、スマホでQRコードを読み込んだり、面倒なことになっていますので、もう少し誰   もが簡単に使えるやり方に変えるべきだと思う。
   いずれにしても、この制度のおかげで、国内の旅行客が増えていることは確かだ。
   とても旅行が楽しくなります。
                                             以上、ありがとうございます。







2023年4月13日(木)~14日(金)
永平寺・山中温泉・東尋坊・丸岡城へ出かけました!

 「全国旅行支援制度」を利用して、北陸に車で出かけました。今回は両日、晴天に恵まれました。しかし黄砂がひどく遠方は霞んで見えました。『春霞』と言われたのは、この時期に中国ゴビ砂漠から黄砂が飛んできて霞んで見えたのを、春霞(はるがすみ)と言ったようです。
 この時期は、杉に続いて、檜(ヒノキ)花粉が飛び花粉症に悩まされる人が増えてきました。小生は田舎で育った性か、花粉症にならずに済んでいますが、今年はくしゃみがよく出ました。目に異常はないです。
 旅行は天気が一番ですので、今回はラッキーでした。

4月13日の行程
 朝、8時半ごろ、家を出て、交野北ICから第二京阪自動車道に乗り、久御山JCT(ジャンクション)から京滋バイパスを走り、草津JCTで名神高速道路に入り、米原JCTで北陸高速道路に入り、福井北JCTから中部縦貫道に入り、永平寺参道ICを出れば、すぐ近くに目指す「永平寺」があります。約4時間、220Km。
 
 永平寺
 曹洞宗大本山で、1244年、道元禅師により開かれた禅宗のお寺です。
 開祖、道元禅師は1200年、京都に生まれ、14歳の時、比叡山で出家し、24歳の春、生涯の師を求めて中国に渡り、天童山如浄禅師のもとで厳しい修行に励み「正伝の仏法」を受け継がれ28歳で帰国し、34歳の折に京都深草に興聖寺(こうしょうじ)を建立。その後、波田野義重公の要請もあり、越前の国(福井県)に永平寺を開祖されました。現在は、道元禅師の意向を継承し、修行道場として僧侶の育成と人々への布教を行っています。

 七堂伽藍(しちどうがらん)について
 寺院の建物を「伽藍」と言います。伽藍には僧侶が修行する清浄な場所という意味があり、禅宗寺院では特に主要な伽藍として、法堂(はっとう)、仏殿、僧堂、庫院(くいん)、山門、東司(とうす)、浴室を指して七堂伽藍と呼びます。中でも、僧堂、東司、浴室は「三黙(さんもく)道場」と言われ、修行する上で大切な場所とされています。
 ・法堂;七堂伽藍の一番奥に位置し、朝課(ちょうか・朝のお勤め)など各種法要を行います。
 ・仏殿;七堂伽藍の中心に位置し、ご本尊のお釈迦様(釈迦如来仏)をお祀りしています。
 ・僧堂;修行の根本となる伽藍で、座禅・食事・就寝などを行います。
 ・大庫院;食事を司る典座寮をはじめ、寺を維持管理する多くの部署があります。
 ・東司;お手洗いのこと、戸の開け方から手の洗い方まで、細かな作法が定まっています。
 ・浴室;入浴は大切な修行であり、身も心も清浄となるよう心掛ける道場です。
 ・山門;中国唐時代様式の楼閣門で、両側に四天王が安置されています。

 修行僧の生活
 修行僧の一日は、生活とかけ離れたものではなく、日常生活そのままが修行です。
 ・座禅;修行の根本です。背筋を伸ばし姿勢を正し、静かに息を調えた姿は仏の姿そのものです。
 ・朝課;朝の座禅が終わると法堂に移り、朝課(朝のおつとめ)を行います。読経、
     修行僧の一糸乱れぬ読経の声が永平寺の山内に響き渡ります。
 ・行鉢(ぎょうはつ);正式な作法に則り食事を頂くことです。
     食事は多くの関わり合いの中に生かされていることに感謝し、いのちと向き合う大切な時間です。
 ・作務;座禅や読経のほかに行う掃除などのこと。廻廊の雑巾がけなどは「動の座禅」と言えます。


 永平寺の全体図
見学できるところは、朱色の伽藍


 境内への入口に置かれた石碑;吉祥山永平寺 日本曹洞宗第一道場
                          

 通用門(拝観料を支払う窓口・言わば勝手口)ここから境内に入る


 山門
 山門は通れない(入れない)。

 
 山門を守る2躰の仁王(赤鬼)


 山門を守る2躰の仁王(青鬼)


 大書院(廊下・階段から右手奥)


 仏殿


 仏殿 祭壇;祭壇中央にご本尊、釈迦如来(お釈迦様)を祀る。


 ??


 鐘楼


 山門
を別の角度から撮った構図


 中雀門 奥に仏殿 


 傘松閣(さんしょうかく) 156畳敷き、「絵天井の間」

 
大すりこぎ棒
;太い柱ほどの「すりこぎ棒
 多数の修行僧の食材を作るための「すりこぎ棒」
 

 永平寺は広大な敷地に、たくさんの建物があり、
各伽藍は雪国らしく廊下でつながれている。
以前、お参りした時は、もっと素朴で古めかしい堂塔だった
記憶があるが、今回は大変きれいに改葬?され
、少々違和感を感じたほどだ。
境内案内板と写真が一致しないところがあり、
堂塔表示に間違いがあるかもしれない。




 
永平寺を見終わって、山中温泉「白鷺湯たわらや」に向かう。
 国道364号 28km 約1時間のドライブ
途中、山中温泉の手前でに菅原神社が祀られている。境内に栢野大杉(かやのおおすぎ)があり、パワースポットだ!  昭和天皇も立ち寄ったとされる天覧大杉
 

 天覧の大杉(右側)、
 高さ54m、太さは11.5m 大人7人が手を繋いで抱えられるほどの巨木  樹齢2300年。
 奥に見えるのが、菅原神社
 

 ここから山中温泉はすぐの距離  約2km。山中温泉の入り口と言えるところ
無事、旅館に到着、白鷺湯たわらや
チェックイン後、鶴仙渓(かくせんけい)』遊歩道を散策、今は新緑で埋め尽くされていた。
特に『モミジ』が沢山植わっていて、若葉がとてもきれいだった。秋の紅葉は一層素晴らしいところだと思う
是非、紅葉の季節に再度来てみたい場所だ!
 
 鶴仙渓遊歩道~温泉街
あやとり橋
鉄骨を「あやとり」のように組み合わせた珍しい橋。
橋脚はなく、吊り橋でもない。鉄骨を組み合わせるだけ。 
通路はS字型にカーブ。







あやとり橋
  橋を渡り、鶴仙渓に向かう
 
 川床
  4月の陽気の中、絶景を楽しみながらのんびり過ごすのは至極のひと時
     営業期間;4/1~11/30  大人300円 抹茶しるこ ロール菓子など
 
絶景の鶴仙渓;大聖寺川(馬洗川)両岸 新緑と渓流のハーモニーが素晴らしい!
 スメタナのモルドウの曲が思い浮かぶ
 
 
 こおろぎ橋
 

 渓流と新緑  川の流れは、様々な姿を見せる。ここは急流!
 

今日は、思いもかけない絶景を楽しみ、遊歩道約1kmを往復して、温泉街に戻る。


共同浴場観光広場があり、からくり時計台足湯場がある。
 総湯「菊の湯」山中座
 

 からくり時計台 毎正時に戸ビラが開き、人形が民謡を歌う
   

 足湯『傘の露』 からくり時計台の横にある。



 たわらや旅館の近くにある山中温泉名物娘娘(にゃあにゃあ)饅頭』山中石川屋本店
 

 今日は1万歩以上歩いたので、ホテルに戻る。 白鷺湯たわらや
 

 ここは35代、創業800年という老舗旅館
渓谷の傾斜地に建てているので、玄関は5階になる。大浴場は1階、部屋は和・洋室

ロビーでソフトドリンク、コーヒが無料で飲める。
部屋にはアメニティー、2Lミネラル水、スリッパなど、テレビは和室、洋室に各1台、設備は申し分なし。
着替えて、まず温泉(大浴場)に行く。広々とした湯舟、露天風呂からの眺めは最高。
いよいよ、夕食の時間になった。
料理は、のどぐろ、能登牛ローストビーフなどなど、なかなか豪華で美味しかった。
薄暗くなった山をライトアップし、新緑を眺めながら食事を楽しむ。ゆったりとした自然の美を感じる。


 新緑も大変きれいだが、秋の紅葉は絶対に素晴らしいだろう!!


■4月14日の行程
 朝食を済ませ、出発まで旅館近くを散策。
 ここは、松尾芭蕉 所縁の地、「奥の細道 山中の段」に詠われている

 芭蕉堂

 近くに黒岩橋があり、奇岩が層をなしている景勝地で、芭蕉はその岩に腰を降ろし、渓流の音を聴き、「行脚の楽しみここにあり」と手を打って喜んだとされる。芭蕉は多くの人に見送られて、那谷寺へと旅立った別れの橋でもあった。

黒谷橋 一面モミジの新緑で埋め尽くされている


黒谷橋 周辺を沸き立つような新緑で覆われている



芭蕉の館
 元禄二年の秋、松尾芭蕉は門弟の曾良を伴い、山中温泉を訪れ、泉屋に九日間逗留します。
山中温泉の総湯「菊の湯」の名称は、芭蕉が「奥の細道」で詠んだ「山中や 菊はたおらじ 湯のにほひ」に由来します。この家は芭蕉が逗留した泉屋に隣接していた「扇屋」の別荘であった建物です。
 
 長年にわたり旅館として営業していましたが、時代の流れと老朽化により一時閉館。古式ゆかしい風情と山中温泉という恵まれた立地から、平成十六年に大々的に改修し『芭蕉の館』として再出発したものです。
 明治三十八年の建築で築後百年を経ていますが、日本建築ならではの耐久性と現代建築にはない雰囲気が満ち溢れています。



 
上の看板の解説の部分を詳しく紹介された記事がありますので、ご参考まで。
 「奥の細道」松尾芭蕉の同行の弟子・河合曾良は途中でリタイアしました
 松尾芭蕉の『奥の細道』の旅は、門人の河合曾良(かわいそら)が同行した2人旅でした。
河合曾良は目的地の「大垣」まで同行できず、途中リタイアしてしまいました。でも養生して完治できました。

 芭蕉・曾良の旅は江戸深川を出発し、そこから東北・北陸を回って大垣で終了します。
江戸から同行していた曾良は、旅の後半の山中温泉で腹痛がひどく体調不良のためリタイアしました。
3月に出発してから約120日間、約4カ月間共に旅したのでした。
 
 河合曾良は、芭蕉の旅のナビゲーター役で、旅の経費の計算など、実務的なことを担当しました。
曾良は几帳面な性格で、江戸にいた頃から芭蕉庵の近くに住んで、芭蕉の秘書的な仕事をしていました。
芭蕉に、かなり信頼されていたと思われます。

 彼は地理学や神道に詳しく、訪れる場所の神社仏閣、西行や能因の歌枕の地など、いろいろ調べて準備をするのも怠りませんでした。旅をしながら、「曾良旅日記」を書いていますが、出発前にも「備忘録」を作っています。持ち物リストとか予定地のメモとか、詳しく書いてそうです。
 芭蕉の旅は俳諧を東北地方に定着させるために、俳諧を教えたり門人を増やしたりするものだったので、
2人ともそれぞれ忙しい旅になりました。曾良が同行してくれて、芭蕉はすごく心強かったでしょう。

 
山中温泉で曾良との別れ
 金沢あたりから体調がすぐれなかった曾良は、ついに山中温泉で病に臥せってしまいます。
芭蕉の旅は、俳諧の指導など忙しく歩き回る旅でした。
これ以上同行すると足手まといになると考えた曾良は、伊勢国の親戚のところへ行って養生するために一足先に旅立つ決心します。そのときに詠んだ曾良の俳句がこちらです。

 『行き行きて 伏れふすとも 萩の原』
宗匠を残して一人先に行く私は、病の身ゆえ途中で行き倒れるかもしれません。しかし、今の季節に美しく咲く萩の原で倒れるならば、それもまた本望です。そして、それを受けた芭蕉の俳句がこちらです。

 『今日よりや 書付けさん 笠の露』
今日からは、笠に書きつけた「同行二人」の文字をかき消そう、笠に降りた露を使って。その露は、私の落とした涙だから。とても素直に、悲しくて心細い心情を表現しています。旅の笠に書く「同行二人」というのは、本来「仏様と私」という意味です。芭蕉は、それを「曾良と私」と置き換えているのでした。
曾良に対する、芭蕉の愛情と感謝の気持ちが込められた一句なのでした。

 『曾良旅日記』は『奥の細道』のガイドブックなる

 曾良の書いた『曾良旅日記』は、この旅のガイドブックとして大変貴重な文献です。『奥の細道』は、芭蕉が江戸に戻ってから、旅の記録を紀行文という形に創り上げたフィクションの作品です。
ですから、『奥の細道』には旅の日程や行った場所を前後させたりする「創作・虚構」が見られます。その作品を旅が終わってから仕上げるために、芭蕉は曾良にも旅日記を書いてもらっていました。曾良の書いた旅日記は詳細に記録していたので大いに役に立ったでしょう。
 『奥の細道』が完成するまで、曾良はすごく貢献していると思います。こういう有能なサポータがいたということが、芭蕉の人徳なのかもしれません。

 芭蕉と曾良・ゴールの「大垣」で再会する
 その後、俳諧を作ったり広めたりしながら、松尾芭蕉は『奥の細道』終焉の地「大垣」に無事到着します。
大垣では、多くの友人や知人が、出迎えに来てくれました。そして、その中に元気になった曾良の姿もあったのです。2人は大垣で再会できたのでした。

 
松尾芭蕉は、1694年10月に、旅先の大坂で病に倒れ亡くなります。
 その年の5月、芭蕉が伊賀上野へ帰郷するとき、曾良が箱根まで同行して見送りました。それが、師弟の最期の別れです。芭蕉は、帰郷した後、再び旅に出て大坂で病に倒れたのです。
 
 『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』
これが、芭蕉の生前最後の句です。彼はこの句の前書きに「病中吟」と記しました。
突然、病に倒れたけれど、彼の旅への思い、俳諧への思いは、未だ留まることなく駆け回っていたのです。
まだまだ創りたいという、意欲が感じられる一句です。


 館内の越前塗 漆器 展示だな


奥の細道図屏風 与謝蕪村作 (重要文化財複製品)


 松尾芭蕉 『奥の細道』 山中の段の句
 ・山中や 菊は手折らじ 湯のにほひ
 ・漁火に 河鹿や波の 下むせび
 ・今日よりや 書付消さん 笠の露
 ・湯の名残 今宵は肌の 寒からむ
 ・桃の木の その葉散らすな 秋の風

 
館の庭園 見事に手入れされている。


 
ホテル近くの加賀名物娘娘(にゃあにゃあ饅頭本店


 たわらや旅館に戻りチェックアウトして、九谷焼美術館に向かう。山代温泉街を通り、約20分の距離

九谷焼美術館(石川県)



九谷焼の謎

 九谷焼は大正寺氏を統治する最初の地方である前田利治の監修のもと、1655年に設立された磁器
磁器伊万里焼で有名な有田(佐賀藩)の新たに導入された技術に基づき、九谷村の鉱山開発中に磁器石が発見されたことから始まりました。この地に窯ができたことから「九谷」焼と呼ばれていました。
この時期に作られた九谷焼は、後に「古九谷」と呼ばれ、深緑、黄、紺青、紫の色を使った「青手」や「いろえ」(赤、緑、紫、紺青、黄色の色)の美しい装飾様式とともに、知識人や磁器職人から特に注目を集め、名作として代々受け継がれてきました。
 しかし、古九谷の歴史は短命(約50年ほど)に終わりました。その理由は九谷焼の謎のままです。

説明板(館内)



















 挿絵、色付けなど緻密な作業が見える逸品ぞろい。こんな精緻な絵柄を筆で描けるのかと不思議な感じがする。

 九谷焼美術館を見終わり、一路、東尋坊に向かう。

東尋坊
 荒々しい岩肌が1kmに渡って続く柱状節理は珍しく、世界でも3本の指に数えられ、東尋坊は国の天然記念物、名勝に指定されている。岸壁の高さが20メートル以上に及び、断崖は勇壮というより壮絶です。 自殺の名所でも有名です。特に、冬、日本海の荒波が打ち寄せると、しぶきが店先まで飛び散るそうです。
 今回は遊覧船に乗りました。絶壁の上から見た海は穏やかに見えましたが、海上に出ると大きく船が揺れて、水平線が左右に大きく傾き、舳先が持ち上げられてはドスンと落ちるような揺れでした。

 まず、遊覧船は雄島(おしま)に向かい、島の裏側まで行き、反転して戻ります。雄島は無人島で、224mの朱塗りの歩道橋が掛けられています。標高27メートル、周囲2キロの越前海岸では一番大きな小島です。昔から、神の島と信仰されている島で、小さな灯台と監視小屋があり、不審船などの見張りをしていた時期があったと聞きました。今は使われていません。
 帰り航路は、船着き場を通過して、ライオン岩、ろうそく岩などと名付けられた奇岩の説明を受け、自然の造形を見ました。無事に船着き場に戻りましたが、スリル満点のクルーズでした。

東尋坊案内板


東尋坊石碑


遊覧船を見下ろす。この船に乗り込む!


巨大な柱状節理 切り口が六角形のものが多いが、ここはランダムな形のものが多い。
 以前、アイスランド旅行で柱状節理を見たが、岩が奇麗な六角形だった。ここをクリックしてください。


いよいよ、これから石段や坂を下り、係留している遊覧船に乗る


遊覧船は定員120名の小さな船。


離岸すると、すぐ巨岩(柱状節理)群が迫ってくる。舟からの眺めは、一層迫力がある。


ライオン岩  赤い楕円の岩がライオンに見える?


雄島 中央の白い棒が小さな灯台、右端に赤い橋がつながっている


雄島を結ぶ長さ224mの赤い橋


無事に帰還して、崖の上から再度雄大な眺望を楽しむ


 東尋坊の由来;船内の説明によると、
 昔、平泉寺には数千人僧侶がいて、その中にいた東尋坊という僧は、怪力で人々に対して悪事の限りをつくした。東尋坊が暴れ出すと手がつけられず、誰も彼を抑えることが出来なかった。東尋坊はまさにやりたい放題、好き勝手に悪行を重ねていたので、平泉寺の僧侶は困り果てていた。
 また東尋坊は、とある美しい姫君に心を奪われ、恋敵である真柄覚念(まがらかくねん)という僧と激しくいがみ合った。寿永元年(1182年)4月5日、平泉寺の僧たちは皆で相談し、東尋坊を海辺見物に誘い出す。
一同が高い岩壁から海を見下ろせるその場所へ着くと、岩の上に腰掛けて酒盛りが始まった。
その日は天気も良く眺めの良い景色も手伝ってか、皆次第に酒がすすみ、その内、東尋坊も酒に酔って横になり、うとうとと眠り始めた。東尋坊のその様子をうかがうと一同は目配せをし真柄覚念に合図を送った。
真柄覚念は、ここぞとばかりに東尋坊を絶壁の上から海へ突き落とした。平泉寺の僧侶たちの目的は悪事に手を焼いていた東尋坊を酔わせて、高い岩壁から海に突き落とすことにあった。 それから49日の間、海は大荒れとなった。東尋坊の地名はその僧侶の名前。


 船から戻ると、昼食時だったので、沢山の土産物店や食堂が並んでいる中の一つの店に入った。
福井名物『おろしそば』を食べた。福井は物価が安いのか、そばの量が多く、かつ値段が安かった。

東尋坊を後にして、最後の周遊予定地の「丸岡城」に行った。 約20分の行程
丸岡城
ここは何と言っても、現存12天守の一つであること。小さな3層構造のお城。

 現存十二天守とは、
 丸岡城の天守は江戸時代以前に建設され、それが今もなお残っています。 このようなお城は日本全国に12城あり、「現存十二天守」と呼ばれる貴重な天守です。北陸地方に唯一残るのが丸岡城国の重要文化財にも指定されています。

 現存12天守
 弘前城    【青森県】
 松本城    【長野県】
 丸岡城    【福井県】
 犬山城    【愛知県】
 彦根城    【滋賀県】
 姫路城    【兵庫県】
 松江城    【島根県】
 備中松山城 【岡山県】
 丸亀城    【香川県】
 松山城    【愛媛県】
 宇和島城   【愛媛県】
 高知城    【高知県】


12名城中、11城を見学した。
 残る城は?  弘前城   是非、行ってみたい!

今回の丸岡城は二回目の訪問だった。
以前は、記念館(資料館)はなく、天守だけであったが、ずいぶん整備されている。


 そそり立つ三層の天守


写真撮影用の看板


天守正面の石段


左側からの天守閣


丸岡城の全体図 今は堀が残っていない


独特の石瓦の屋根 冬の寒さ、雪に耐えるように土瓦ではない


瓦の説明看板

 丸岡城の二階、三階への階段は急こう配で、かつ踏板の間隔が普通の階段の2倍ぐらいあるので、上り下りが大変だ。階段の両側に手すりを着けているが、今回も登ってみると、階段両側に太い綱を1m間隔ぐらいで結び目を着けて、転び落ちないようにしていた。高齢者の天守への上り下りは無理かも?。
自分は登れたが、・・・。

鯱(しゃちほこ)は石だった。今取り付けられている鯱は木製とのこと(軽量化のため)


城下町の模型図


今回も1泊2日の旅行となった。
福井旅行支援を利用して、宿泊費3000円、買い物クーポン2000円 合計5000円/一人 が助かる。

 往復の走行距離(全走行距離)は、550km 燃費は、26.7km/L だった。
北陸自動車道路は、走行車線(左側車線)を走ると、タイヤノイズが大きくなる。追い越車線(右側)を走ると静かに走れる。その差が非常に大きい。これは走行車線の路面が荒れているため。以前は、走行車線の轍(わだち)がひどかったが、今回はそれは感じなかった。

 最近、最高制限速度が100km/時になっている高速道が増えてきた。名神高速道でも、八日市付近では100km/時になっている。北陸自動車道は100km/時が多くなっていた。車の性能が上がってきたので、制限速度の緩和が進んでいる。

 フィット4 e-HEV(ハイブリッド)は、燃費が良くてガソリン代は気にならなくなった。高速運転中は右足のアクセル操作は必要がなく自動運転できるので助かる。ハンドルも自動で舵をとってくれる。手足は添える程度で良い。今までは長距離を運転すると、疲れたが、この車に変えてあまり疲れなくなった。
Honda安全運転支援システム(Honda Sensing)の出来栄えは素晴らしい。感謝感謝です。

 今までは、運転中はアクセル、ブレーキ操作が常に必要だった。この車はアダプティブオートクルーズというシステムの働きで、前方を走っている車との車間距離を常に一定に保ってくれる。自分の走行速度を設定すると、後はアクセルから足を離していても、自動でアクセル、ブレーキ操作をやってくれる。ハンドル操作も高速道では、車線の中心を追随しながら走ってくれる。追い越しする際は自分でハンドル操作する。
 これはあくまで、運転支援システムであり、完璧な自動運転システムの一歩手前の段階のシステムだ。
でも、十分、危険を感じることなく走行してくれるので助かっている。
この装置がついていないと、高齢者の高速道の長距離運転は無理だと思う。
 そんなわけで、今回も無事に安全にドライブを終えることができた。 FIT4に感謝・感謝です。





2023年3月22日(水)~23日(木)
浜名湖 舘山寺温泉、浜松城、竜ゲ岩洞へ行きました!

  全国旅行支援制度を活用し、今回は浜名湖周辺舘山寺温泉に車で出かけました。22日、23日は雨の予報で、出かける日まで少々気が引けましたが、おかげさまで22日は晴れました。
 
3月22日の行動
 浜名湖は、東京に行き来する新幹線車窓から何回となく眺めてきましたが、新幹線ならあっという間に通過してしまいますが、現地に行ったのは今回が初めてです。浜名湖は当初は淡水湖だったそうですが、淡水と海水が混じった湖ということで、海の魚の漁も盛んなところです。もちろん、淡水のうなぎは名物で、特産の『ひつまぶし』を食べてきました。本場の本物のうなぎは格別でした。
 行きは、自宅を出て、型の北ICから第二京阪高速道路に乗り、久御山JCTを通り、京滋バイパスに入り、草津JCTから新名阪高速道路を走り、四日市JCTから伊勢湾岸道路に入り、豊田JCTから東名高速道路に入り、新設されたETC専用の舘山寺SIC(スマートインターチェンジ)を降り、ここから一般道路を15分ほど走ると舘山寺温泉に着きます。片道は230km、4時間半の行程です。途中のICで簡単に昼食を済ませました。
 浜名湖畔の『山水館欣龍』に宿をとりました。
 

  『山水館欣龍』は舘山寺温泉の老舗旅館と言うだけあって、建屋は特別大きいわけではありませんが、曹洞宗舘山寺のすぐ近くにあり、すぐ横に『浜名湖遊覧船』の船着き場がある一番の場所だと思います。近くには『うなぎ』専門店も数軒建ち並び、歩いて20分ぐらいのところに、かんざんじロープウェイ乗り場があります。またロープウェイ乗り場と併設された遊園地(パーク)があり、平日ですが賑わっていました。ロープウェイ山頂に浜名湖オルゴールミュージアムがあります。


 舘山寺案内看板
 

 舘山寺本殿
 曹洞宗舘山寺は思ったより小さなお寺だった。
 

 舘山寺拝所 右は堂内の祭壇
  

 本殿左に縁結地蔵尊が祀られている  沢山の願札


 舘山寺左に建てられた愛宕神社
 

 

 舘山寺境内の石碑と浜名湖
 
 
 浜名湖クルーズ(遊覧船)に乗船、 桟橋に入ってくる遊覧船 右隅にロープウェイのゴンドラが見える
 
 
 船着き場を後に出航、30分間の遊覧開始
 
 
 「かっぱえびせん」を投げると、空中でキャッチするカモメの群れ
 

 東名高速道路橋の下をくぐり抜ける遊覧船からの眺め
 
 
 遊覧船から東名高速道路橋の遠景風景
 

 30分間の短いクルーズを終え、ロープウェイに乗る。
 
 山頂のオルゴールミュージアム屋上は素晴らしい眺望だ! 360℃浜名湖のパロラマが広がる
 
 

 

 オルゴールミュージアムの屋上    『恋人の聖地』だそうだ』
 

 屋上にある「カリオン自動演奏機」  毎時00分から演奏が始まる。
 

 ミュージアム3階はホールがあり、古い自動演奏のオルゴールやオルガンが並んでいる。
まず、ホールの正面に大きな自動演奏のパイプオルガンがあり、大迫力な音量で演奏される
 
 
 1800年代の古いヨーロッパなどから集めた様々な自動演奏楽器類 
 円筒型ピン埋め込みオルゴール
 
 上:自動演奏オルゴール
  
 左:円盤型ピン埋め込みオルゴール

 上:さん孔シート自動演奏オルガン




 今日の見学予定はこれで終了。
 山水館欣龍で、温泉、食事を楽しむ。
 温泉の湯は、くみ上げた湯なので、特別な匂いや色はなく、少しヌルっとした感じがあるが、温泉に入ったという特別な実感がなかった。
 食事はコロナ禍で対応したと思われる真新しい個室で、テーブル席だった。料理は浜名湖の魚介類をぜいたくに使ったもので、特にあわびの焼が美味しかった。今日の予定はこれで終了。

■舘山寺温泉について、(ネット情報・ロープウェイ案内)
 温泉の泉質は、中性ナトリウム・カルシウム塩化物温泉(食塩泉)。日帰り温泉施設「華咲の湯」にある自家源泉のお風呂「かんざんじ黄金の湯」以外は、そこの「かんざんじ白金の湯」を含めて、どこの宿泊施設も源泉掛け流しではなく循環式になっており、共同源泉の泉温が低い為、加温しています。
 他の温泉地に比べると、温泉自体の効能に魅了が乏しいですが、浜名湖と砂浜の美しい風景を堪能でき他の温泉地と比べて飲食店が多く、うなぎを始めとした浜名湖やその周辺の美食が楽しめます
 また、レジャー施設もあて、全体の印象としては、そこそこの規模がある明るい温泉地。




地理(ネット情報・ロープウェイ案内)
 浜名湖(はまなこ)は、静岡県西部の浜松市と湖西市にまたがる湖。元々は淡水湖であったが、室町時代に起きた明応地震(1498年)と高潮により砂州が決壊して外海と通じ、汽水湖となった。栄養豊富で海の生物が行き来できるため生物多様性に恵まれ、魚類401種、甲殻類59種、軟体動物84種が生息している。湖の面積としては日本で10番目の大きさである。
 形は複雑で、人の手のひらのような形で、細江湖(ほそえこ)、猪鼻湖(いのはなこ)、松見ヶ浦(まつみがうら)、庄内湖(しょうないこ)といった支湖や湾を持ち、これらの面積は湖全体の面積の4割に達する。
このため、周囲長は日本の汽水湖では最長、湖全体では3番目となる。湖の北側と南側で水深は大きく異なり、北側は深く、南側は比較的浅い。
 天然魚の漁業や釣りのほかウナギ、ノリ、カキ、スッポンなどの養殖が盛ん。特に養殖ウナギは有名で、鰻丼(鰻飯)、ウナギボーン、うなぎパイなどの特産品がある。ウナギ稚魚価格の高騰と輸入ウナギに押される形で養殖業者、漁獲量ともに1980年代から減少を続けており、現在の漁獲は最盛期の1/3以下となっている。潮干狩りでも利用され、主としてアサリが採取される。漁業でのアサリの収穫量は2010年代に入り減少しており、原因は水質浄化による栄養不足、塩分濃度の変化、クロダイなどによる稚貝食害などが考えられており、浜松ホトニクスが漁協を支援して、パブロバという植物プランクトンを増やして稚貝に食べさせ、生殖力を高めてから浜名湖に放つ取り組みを進めている。
 また、浜名湖周辺は観光地・リゾート地としても利用されており、ボートやヨットなどのマリンスポーツも盛んに行われている。北部には舘山寺温泉がある。浜名湖県立自然公園にも指定されている。

歴史(ネット情報)
 浜名湖の歴史はおおよそ40~50万年前の海侵期まで遡り、天竜川による土砂の堆積により台地が形成されたことが始まりである。次の海退期に現在の浜名湖付近に谷形が形成され、38万年前、第二海侵期に入り江となる。このとき三方原台地が堆積する。この後の海退期には天竜川が台地を三方原と磐田原の二つに分裂させ、第三海侵期に浜名湖付近の沈降と海面上昇で、現在の浜名湖に近い入り江が出来る。
 第四海退期(約2万年前)には、それに続く沖積世の海面上昇により、沿岸流が運ぶ土砂で海への入口を塞がれ、浜名湖を形成した。沖積世の海面上昇は縄文海侵(海進)とよばれ、このあと+3mから-2mほどにわたる数度の海侵・海退が訪れた。これにより低地には海岸線に平行な砂堤を複数残している。その最大は雄踏町で高さ10mである。縄文時代中期~後期以降、浜名湖は庄内半島から日ノ岡より北にあり、その南は平野となっていて川として現在の弁天島駅付近で海に注いでいた。
その後この大平野が消滅、平安時代には浜名湖の出口は現在の湖西市新居町大倉戸に流れていて橋が掛けられた。この川を浜名川と呼び、ここを東海道が通っていた。
 一般的に古名は遠津淡海(とおつあわうみ、遠淡海)と呼ばれており、遠江(とうとう)の語源となったとも言われる。一方、向坂鋼二などから国府のある磐田湖(大之浦)を指すとする説もある。ただし大之浦は名称の通り浦であり、淡水湖でないことに留意される。これは近江国の「近淡海(ちかつあはうみ)」の琵琶湖から対比された名称とされ、都から遠い淡海、つまり淡水湖として認識されていた。
 浜名湖は海に近い湖であったが、湖面の方が海面より高く、浜名湖より流れ出る川を海水が逆流するようなことは無かった。


■3月23日の行動
 朝から小雨だったので、朝風呂に入りゆっくりして浜松城に行った。お城に着く頃は、薄曇りで傘は不要。今年のNHK大河ドラマのテーマになっている『どうする家康』の徳川家康由来の地ということで、浜松市は大変な力の入れようです。浜松城駐車場は無料で、浜松城入場料は70歳以上は無料ということで、大変ラッキーでした。
 駐車場から城内まで至る所に『どうする家康』ののぼり旗が立てられ観光に力が入っているなと感じた。
 
 浜松城は、広大な浜松城公園の一角にあり、その入り口の様子。
 

 浜松城公園案内看板
 

 サクラは満開で、大阪より少し早く咲いている感じだった 天守閣への道路
 

 天守閣を守る城門 石垣は荒々しい『野面積み
  

 若き日の『徳川家康公』銅像
 

 再建された天守閣 2層構造(鉄筋コンクリート)
 元の城は、もっと大きかったらしい。ただし、2層構造は同じ。
 

 

 

 入城券発売所 大人200円、70歳以上無料
 

 家康歴戦の説明看板 幾多の戦争を生き延び、天下統一を成し遂げたストーリが展示されている。
 

 当時の甲冑
 

 刀剣、火縄銃
   

 帰り道からの天守閣を眺める  荒々し野面積み石垣
 

 公園内の見事な日本庭園 シニアボランティアが園内の清掃をされて奇麗な庭園が保たれている
 

 公園内の吾妻屋 右横に滝外池があった。
 

 浜松城を見た後、舘山寺温泉に戻り、昼は、うなぎや浜乃木で名物『鰻ひつまぶし』を食べた。
 『鰻ひつまぶし』と言えば、尾張一宮駅の名鉄百貨店7階にある「はせ川」で数回食べたことがあるが、舘山寺のひつまぶしも、うなぎは柔らかく口にすると蕩けるような感じでとても美味しかった。味わいは、舘山寺の店の方がさっぱりした感じだった。両方とも、浜名湖産のウナギを厳選したものを使っているということなので、格別のおいしさは当然だと思う。

 
 
 

 昼食を終え、小雨の中、『竜が岩洞』に向かう。距離は10km程度  発券所と右に入り口
 

 竜が岩洞の地層、成り立ちの説明モニュメント
 

 竜が岩洞の洞窟の通路説明看板 見学ルートが400mもある
年間を通じ、堂内は18℃一定だそうだ
洞内の通路は整備され、コンクリートが張られているので危険はない。垂れ下がった岩で頭を打たないように前かがみで進む。狭いところは一人が通るのがやっと!
黄金の滝という場所は、水がしたたり落ちていた。ここは動画をとったが、写真はない。 

 奇妙な形の鍾乳石、石筍などが無数にある。
   
 
 
 
 竜が岩洞を観光用に掘削した人たちの偉業の紹介
 

 これで、今回の観光はすべて終了。
帰り道は、往路の逆で東名高速、伊勢湾岸高速、新名神高速を信楽ICまで走り、そこから国道307号線で枚方に向かい、第二京阪高速のわき道を走って無事に帰宅。

 マイカー フィットe-HEV
 今回の走行距離と燃費
  走行距離;520.4Km  平均燃費;27.0Km/L  
  (満タンで約950Km走行可能、ガソリンタンク容量;40L)
 気温が上がって、燃費は格段に良くなってきた。
 

 浜松市はホンダやスズキ自動車、ヤマハ、河合楽器という有名な楽器メーカ、浜松ホトニクスなど日本を代表する独自の技術を核とした特徴のあるメーカが沢山あります。静岡大学工学部もあり、技術や学術に対する深い研究や開発が行われている土地柄です。






2023年2月17日(金)~2月18日(土)

琴引浜の羽衣荘に『カニ』を食べに行きました!

帰り路、玄武洞公園に立ち寄り『「柱状節理』を見てきました。

  今年も早や2月になり、立春が過ぎましたが、このところ寒の戻りで気温が安定しません。今シーズンのカニも終わりに近づきましたので急に思い立ち、以前お世話になった民宿『羽衣荘』に予約を入れました。
 当初予定は、14日~15日でしたが、寒波が予報されていましたので、予定変更して頂きました。
17日はおかげさまで晴天に恵まれ、快適にドライブができました。往路は200km程度ですので、ゆっくりと一般道路を走りました。朝、9時頃出かけて、午後3時前に『羽衣荘』に到着しました。

(注)白い車は旅館のプリウスです。

この民宿は、『鳴き砂』で有名な「琴引き浜」に面しており、海の潮騒が聞こえる大変景色のいい環境です。
天気が良くて、穏やかな日本海は青白くとてもきれいでした。
浜辺の砂は、『鳴き砂』で有名なところで、夏場の方がよく啼くようです。
宿の玄関に、コップに入れた砂が置いていました。杵で押し付けると「ぎゅ、ぎゅ」と音が出ます。


生け簀には、大きなズワイガニ(活き松葉ガニ)が待ってくれています。 さて、どれを頂くのかな?


ゆっくり休んで、風呂に入り、6時過ぎに別室で、『カニ三昧』の料理を頂きました。


生のカニみそ、カニ刺、ゆでガニ、焼きガニ等々、カニ尽くしで、腹一杯になり、雑炊まで入りませんでした


夜の『羽衣荘』


朝食は昨夜の『カニ雑炊』を頂きました。大変これも美味しかったです。

朝の支度を済ませて、チェックアウト。
京都旅行支援(全国旅行支援の都道府県版)を利用して、宿泊費は3000円支援を受け、さらに京都府下で利用できる『クーポン券』が2000円貰いました。

民宿の若女将、二代目の料理長に見送られて、近くの道の駅に立ちより、クーポン券で買い物。
いろいろと籠に入れると、クーポン券二人分4000円はあっという間にオーバしました。
景気をよくするために、積極的に参加、金を回すことが大切と勝手に解釈して、シイタケ、イチゴ、サツマイモなどを買い込みました。結局、京都府下で2つの道の駅に立ち寄りました。

その後、178号線を西に向かい、兵庫県豊岡市にある玄武洞公園に立ち寄りました。
ここは、日本では珍しい『柱状節理』が見られる場所です。北海道の層雲峡でも見られる柱状節理は世界的には沢山あります。以前、アイスランド旅行した時に、レイニスフィヤトラ海岸で巨大な柱状節理を見ました。アイスランドの柱状節理は大きく、巨大な柱にびっくりしました。
 (上のアイスランド旅行をクリックすれば、リンクを張っています)

柱状節理は火山の溶岩の玄武岩(シリコンや鉄を多く含む)がゆっくり冷えて固まり、結晶化したものだそうです。アイスランドの柱状節理は、奇麗な6角柱になっていましたが、玄武洞のものは多角形の状態になっていました。大きさは10cm~15cm程度の小さな柱が多くみられました。
また、溶岩の流れ方で、縦になったり、横になったりと姿を変えています。

玄武洞入り口
この階段を登れば、入場券発売所があり、大人500円払って通過します。



『柱状節理のできる仕組み』の案内板の紹介です。








不思議な『柱状節理』の理解をしたうえで、実際の現場を案内します。
玄武洞公園は、玄武洞、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞の5つの特徴ある柱状節理からできています。この順番に観光します。

まずは玄武洞
昔は採石場として、人工的に造られた洞穴と掘り残された柱との対比がダイナミックな景観を呈しています。
大正15年の北但大震災で大きく崩れ、崩れた玄武岩が地元赤石集落の家の石垣や城崎温泉街を流れる大谿川の護岸などに使われたそうです。


続いて、青龍洞
玄武洞公園の中でも特に美しい縦の柱状節理が見られる場所。




続いて白虎洞です。
ここは水平方向に延びた柱状節理の断面を見ることができる場所です。玄武洞より柱状節理が細いことが分かります。ゆっくり冷えると太い柱状節理になります。ここは早く冷えた場所、つまり溶岩の周縁部に近い場所と言えます。


続いて北朱雀洞




続いて南朱雀洞




柱状節理は数千万年前の火山の噴火による溶岩が残した自然の驚異です。

玄武洞を見終え、帰路につきました。
途中の山間部では雪が道端に残っていましたが、路面は凍結もなく無事に通過できました。
今回の旅行は、14,15日に行くことで予約しましたが寒波が来る予報が出ましたので日程を変更しました。これが正解で良い天気に恵まれました。
 

 走行距離、燃費をメータで確認しました結果は、下の写真のとおりでした。
 
 今回の走行距離:393.4km 平均燃費:26.6Km/L
 寒い中、暖房を入れて走った割には、燃費が良い結果になりました。
 新型フィット4 e-HEV(ハイブリッド)は、燃費がかからず助かります。